北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第166回 通州の胡同・胡同の麗しき幻影ーある料理店に関してー

2017-11-21 10:45:22 | 通州・胡同散歩
名前はない。
早朝のみの営業。
ご覧のとおり、品数も四品のみ。



胡同の麗しき伝説のひとつとして、ひそかに、そして
いつまでも語り継ぎたいお店です。


 
 
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第165回 通州の胡同 秋日回憶ー半截胡同と太平庄の間道にてー

2017-11-18 11:41:50 | 通州・胡同散歩
夏が終わると秋になる。百も承知していることであっても、油断がならない。



北京の秋は足早に過ぎていき、気が付くと冬、という結果にもなりかねない。





そのことに気付いて、思わずわたしも足早になって、胡同へ。



ひと口に秋といってもいろいろあって、
街の中のなにげない児童公園の秋、人の多く集まる華やかな観光地の秋、ベランダに置か
れたプランターの中のつつましい秋、スーパーマーケットの果物や野菜売り場の見映えよ
くコーディネートされた秋、秋刀魚の美味い秋、街路の木立が金色に輝く秋、定家の“
見わたせば花ももみぢもなかりけり浦のとま屋の秋の夕暮れ”の秋、静かな森の中でリス
が木の実を齧る秋。

もちろん、胡同の秋にもいろいろあるけれど、ここ、地元通州の半截胡同と太平庄とをつ
なぐ間道の秋はわたしにとっては格別で、年季の入った煉瓦塀や煉瓦の外壁、そして蔦の
葉が共犯関係を築いているから怖ろしい。



急いだお蔭で今年の秋に十分間に合った。















今はもう、道端の水溜りの水もすっかり凍りつき、髪の毛の薄くなった頭が毛糸の帽子を
恋しがる季節になりました。



立ちのぼる白い湯気で眼鏡のレンズを曇らせながら涮羊肉(シュアンヤンロウ)に舌鼓をうつ季
節になる前に、今年も一所懸命な秋に再会できたのは嬉しい。この間道の秋は、いつまでも記
憶に残る秋の風物詩のひとつになっています。




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第143回 通州の胡同・西順城街(その四) 「 秧歌(yangge)」と中倉社区の11の胡同

2017-05-20 11:28:58 | 通州・胡同散歩
前回の結びは、

「椅子の人」に別れを告げて、路地を出ると、右手にあったはずの数軒のお店が
なくなっているのに改めて気付づいた次第。

ということなのですが、まずは次の写真(前回分の再掲ですが)を。



向かって右側の一番手前の建物、この建物の窓の下に赤い看板らしきものがありますが、この看板に
書かれているのは「博古軒」という骨董屋さんの店名で、このお店は4年前にもありました。



その隣は本屋さんで、文房具なども扱っているお店。





この本屋さんの4年前のお姿をご覧ください。


マックとケンタが合体したような、あまりに楽しすぎるお店でした。
中国語に馴染み薄の方のために・・・「マクドナルド」は中国語で「麦当劳(maidanglao)」、
「ケンタッキー」は「肯徳基(kendeji)」。

角を曲がると、赤と黄の組み合わせがそれなりに今風の装飾。



4年前の姿をご堪能いただければ幸いです。



こちらもハンバーガーやフライドポテトなどを提供するお店だったのです。



そして、その隣のお店の4年前の姿。


貼られたイケメンのポスターが場末のホストクラブを髣髴とさせ、営業内容とのあまりの落差が
微笑ましい、その名もロマン溢れる「茶物語」。

そこは、やはりハンバーガーやフライドポテトなどを供するお店。
「いったい、どんな客がここを訪れるの?」
そんな興味も当時あったのですが、一度も訪れなかったことが今からすれば悔やまれてしかた
ありません。

写真では分かりづらいかも知れませんが、4年後の現在は「佳運文具」「晨光文具」という看板の
掲げられた文具店になっています。なお、この「晨光文具」という看板には後ほど再びご登場ねが
いますので、乞うご期待。



さて、以上4年前にハンバーガーなどを売っていたお店をご紹介しましたが、お次は西順城街の通りを
はさんだ南側にある学校をご紹介。

上のお店の南側には、坂道。
ここは立地条件から関係車両しか入ってきませんので、生徒たちにとって安全といえば安全な場所
なのです。



この坂を下りきると、右手に立派な校門。







「東方小学」の前は「通州区第六中学」。



学校見学は現在、関係者以外の立ち入りは厳しくなっていますが、当日は警備員さんのご厚意で、
少しですが中に入ることが出来ました。ほんの一部ですが、ご覧ください。

校舎。



グランド。





つぶやき・・・先の「東方小学」や通州区六中の生徒の中には、4年前にはあったお店で、
楽しい買い食いをした生徒もいたに違いない。



警備員さんにお礼をいって、再び西順城街へ。
この辺りから胡同の中を歩いていた時とは雰囲気がずいぶん変わります。



左側はアパートで、その一階は貸し店舗になっています。
右側は、「中倉社区」「中倉小区」と呼ばれる巨大なアパート群。このアパート群は、西順城街に沿っ
て西側と北側にのびる「中倉路」に沿って広がっていますが、いくつもの胡同を取り壊した跡地に建て
られたもの。昔、この地にあった胡同については後ほどご紹介いたします。



左手のアパート一階の貸し店舗は現在借り手がいないようで、ほとんど空室。



次の写真は「中倉社区」が、西順城街と「中倉路」とに分かれる角地。



右から(ここは写真では小さくて見えませんが)「超市」すなわちスーパーマーケット、薬屋、本屋と
お店が並んでいます。

4年前。



角には先にご紹介した「晨光文具」がありました。

現在、スーパーの隣は薬屋さんですが、



写真は省略ですが、4年前は、ありませんでした。

そして、「希望の弦」という名の本屋さん。



このお店、4年前は通りの反対側の、現在は借り手のいないアパート一階にあったのです。
おそらく家賃の値上がりによって現在の場所に移ったのでは、と考えられます。



当時、店頭には若い男の子や女の子向けの雑誌が置かれていました。



でも、現在のお店のウインドウに飾られているのは、幼い男の子や女の子向けのもの。


オジさんやオバさんが買っても、もちろん問題はありません。



お店入口脇には、女の子が欲しがりそうなものが溢れています。



さらに西順城街を歩きます。



スーパーがありました。



「北京大運河超市」。
お店はこじんまりとしていますが、名前はでっかいのです。



窓のガラス越しに飾られた商品をご覧ください。









店内を拝見。


店員さんが「没有(メイヨウ)」としか言わなかった時代の中国とは違い、所狭しと商品が並んでいます。
今の中国の縮図を見るようです。

私の好きなパイナップル。



店員さんはテレビを観ながら店番してました。



スーパーの斜め前には、中華レストラン。



店構えはおとなしいですが、このお店は4年前にはすでにあり、一時の流行に左右されない実力派かも。



先ほどのスーパーを過ぎると、ホテル。



「記憶にないなぁ、このホテル。」

そんなことは、さておいて、ホテルの名前は「東方之珠国際温泉酒店」。



金ピカな飾り付け。







ここは「酒店」、つまりホテルであることに間違いはないのですが、宿泊中心というより、
のんびりと温泉に浸かってから、食事を楽しんだりする娯楽施設といってよく、先にご紹介
した金ピカの飾り付けも、このホテルが非日常性、娯楽性を優先していることが分かります。
温泉、そこは憂き世(浮き世)の垢を綺麗さっぱり洗い流す場所。天使たちに俗世間からの
離脱への願いが込められているかのようです。

そして私が驚いたのは、玄関周り。



玄関脇にでっかい「泰山石敢当」。
この大きさのものは、はじめて見たような気がします。



この温泉ホテル、ひょっとして邪悪なものを完全にシャットアウトした聖なる場所なのかも。
ちなみに、私の経験範囲では温泉は水着着用てす。

金ピカの天使たちや「泰山石敢当」に見送られながら、さらに前身。





私の前を横切っているのは、ダック店やお粥屋さん、刀削麺や喫茶店、ホテルや郵便局に銀行などが
軒を連ねる「車站路」という商店街。



さて、ここまでが「西順城街」ですが、向かい側の公園からかすかに楽しげな音楽が
聞こえてきます。行ってみると、北方農村に伝わる田植え踊り「秧歌(yangge)」の真っ最中。


動画も撮っておいたのですが、当ブログではご覧いただけないのが残念です。



オヤジのつぶやき・・・北京の前門あたりで、この「秧歌」やらないかなぁ。チャルメラと太鼓の
音に合わせて、ガンガンねり歩いてほしいゾ!! しかも、プロの踊り手がやるんじゃあなくて、
素人の愛好家たちにやってほしい。1990年代の北京の東単なんかでもチャルメラと太鼓の音に
合わせて愛好家さんたちがねり歩いていたのを見かけたものです。

前門と踊りの取り合わせで思い出した。以前、前門で「阿波踊り」を踊るという企画があった。
奥さんも参加が決定していたのに、ちょっとした問題があってお流れになってしまった。その後、
あの計画はどこへ行ったの?

世界中の踊りが北京・前門に集結。
題して、ちょっと微妙ですが、『みんなで踊れば怖くないゾ in前門!!』。



さてさて、つぶやきはこの辺にして、かつて中倉社区(小区とも)にあった胡同名をご紹介。

まずは、次の清・光緒時代の通州城の地図(複製)。



オレンジ色が「西順城街」、左の水色部分が「車站路」。「車站路」から右に延びているのは
「西大街」という通りの一部、その右端から下がっているのは「中倉路」という通り。

これら4本の通りに囲まれているのが中倉社区(正確にはこんな長方形はしていませんが)。
ここには現在35棟ほどのアパートが建っていますが、かつては11本の胡同がありました。

次の写真は西順城街西側の出入口、その左側一帯に11本の胡同が広がっていたのです。



今回は、それら11本の胡同名のご紹介をもって当記事の結びとさせていただきます。

中倉胡同・・・・1992年取り壊し。
大焼酒胡同・・・1991年取り壊し。
中焼酒胡同・・・1991年取り壊し。
小焼酒胡同・・・1986年取り壊し。
華厳寺胡同・・・1991年取り壊し。
倪家胡同・・・・1991年取り壊し。
西麦芋胡同・・・1986年取り壊し。
東麦芋胡同・・・1991年取り壊し。
神路街・・・・・1991年取り壊し。
前板井・・・・・1991年取り壊し。
後板井・・・・・1991年取り壊し。



 
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第142回 通州の胡同・西順城街(その三) 椅子の人

2017-05-13 11:31:24 | 通州・胡同散歩
毛家胡同の南側出入口のお宅。



その玄関には可愛らしい絵が。



小飯桌(xiaofanzhuo)という玄関脇の看板から小学生に昼食を提供するお宅であることが
分かり、可愛らしい絵に、納得です。



4年前の冬に訪れた時を振り返ってみると、可愛らしい絵もなく看板もありません。



ついでに、やはり4年前の毛家胡同の南側出入口を見ると、



「小売部」という看板から、当時、出入口東角のお宅がお店を営んでいたことが分かります。



さらに歩いて行こうとすると、



先ほどのお宅の脇に路地。





玄関に比べて大きな春聯。



門神は、やっぱり「秦叔宝(しんしゅくほう)」と「尉遅恭(うつちきょう)」の二神。





玄関の奥正面に貼られた、門扉が開いていなければ全く気付かない、やや控え目な「福」の字。





階段の用途が不明なのですが、左手の建物は、通州区第六中学の一部です。



お次はその対面。



並びには、ズバリ「商店」という名のお店。



お客さんの出入口にも、ちゃんと「商店」と書かれています。



このお店、4年前もその名は「商店」。



ただ、玄関周りが変わりました。



写真を撮っていると、散歩中の二匹のワンちゃんと飼い主さん。





また路地がありました。







「椅子の人」。



この方は公共トイレの清掃員。ただ今、作業中。

それはそうと、右手の玄関に子供の落書きがありました。







玄関の中にも落書き。







魚の骨と戦う、凛々しいお顔の作者。



路地突き当たり。



突き当りを左折。



写真奥を横切っているのは、「中倉路」。その向こうに見えますのは「中倉社区」と
呼ばれるアパート群。次回、再びこのアパート群については触れたいと思います。

再び突き当りのお宅。玄関内を見ると「北京市政府放心早餐工程」と書かれた三輪車。











角地は果物やジュースなどを扱っているお店。



向かって左がお店のご主人。



ところで、貼られている春聯は牛乳メーカーとして名を馳せる一つ「豪牛」がお客さんに
配布したもの。中国の人たちの心性をよくよく掴んだサービスです。



お店の中に鳥籠が置いてあったのを眺めていると、ご主人がわざわざ外に出してくれました。
これも嬉しい心遣い。





4年前のご主人とお店をご覧ください。
廃品回収業者に廃品を出しているところでした。





もと来た出入口に戻る途中、トイレ清掃の仕事が一段落して休憩中のようなので、
「椅子の人」に写真を撮らせていただきました。



この椅子がこの方の休憩施設。
暑い夏も寒い冬も、この椅子に腰掛けて休む「椅子の人」。



「椅子の人」に別れを告げて、路地を出ると、右手にあったはずの数軒のお店が
なくなっているのに改めて気付づいた次第。

次回は、4年前に撮った店舗の写真をご紹介いたします。


  
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第141回 通州の胡同・西順城街(その二) ここは「毛家胡同」です。

2017-05-09 10:27:57 | 通州・胡同散歩
前回に引き続き、西順城街をご紹介。





春聯がありました。



しかも、通州で見た春聯の中では、このような貼り方は初めて。
ちょっと、感激でした。







お次は、私好みの木製門扉。






細かい指摘で恐縮です。

この春聯は、1984年地元通州で産声を上げた「強力家具」(正式名「北京強力家具有限公司)が
お客さんに配ったもの。春聯の配布とは、強力家具もなかなか心憎いことをやるものです。



年季の入った門扉を「素敵だなぁ」と思うのはもちろん。その門扉をカバーする金属板が、
私の思いに拍車を駆けます。



参ったなぁ、右手に路地。



もちろん、入ってみました。





まずは、玄関上部に貼られた「百福臨門」。
北京の胡同などで「五福」はよく見かけますが、「百福」は初めてではないかと。



そして、中に入ると突き当たりの壁に「百福」に正比例するような大きな「福」の字。
影壁の役割を持っているのかもしれません。



こんなに大きな福の字にはめったに出会えません。
貴重な体験でした。



突き当りを左折。





この路地を出る時に見かけた洗濯物。
ご覧のように馬、リス、キリン、花が描かれた可愛らしい幼児の衣服です。



小さなものは大きい、大きなものは小さい。
ひょっとして、そんなパラドックスも成り立つんじゃないかな?と
思った路地体験でした。







右手に再び路地。



実はこの路地、西順城街と悟仙観とをつなぐ間道で、それでいて西順城街にも悟仙観にも
属していない独立した胡同。名前は「毛家胡同」。気を付けないと地名を間違えてしまいます。

今回は悟仙観側から歩いた場合をご紹介いたします。







お気づきのようにチョークで「毛家胡同1号」と書かれています。



この胡同には、なぜか正式な門牌(住所表示板)が貼られておりません。



まるで天や地や日や月のような、よりプリミティブな古層がひょっこりと
顔を出していました。









門牌は貼られていませんが、春聯は貼られています。









この胡同、その名称からお分かりのように「毛さん」という姓の方が住み始めた
のが、名前の由来。『北京胡同志』によれば、1913年前後から住み始めたという
ことです。それ以上のことは『北京胡同志』には書かれていないのですが、この
胡同が西順城街にも悟仙観にも属さず独立した地名を保っているのは、なぜなの?
そんな疑問を胸にこの胡同を後にしました。



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