本日から数回にわたり、地元通州の胡同「劉菜園」をご紹介いたします。
どこか中華レストランを連想させる名前の劉菜園。
美味しいことに出遭いそうな予感がしてわくわくしちゃいます。
では、そんな期待に胸を膨らませて、本日も歩きます!!
これが当日の劉菜園の入口(胡同口)風景です。
足を踏み入れ、進行方向右側のおウチはこんな感じです。
玄関脇に植え込み。
北京、広く中国の自然環境は植物の生育にとって実に厳しい。だから、造花をより多く見かけるわけですが、
そんな中での植え込みのみどりです。
道端にみどりがあると気持ちがいい。それを大切にしている住人も気持ちのいい人にちがいありません。(おいおい)
通行人に対する心遣いのようなものを感じます。
「こんにちは。お元気ですか」
少し行くと・・・
洗濯物が出迎えてくれました。
感激したぁー◎◎!!!
いろいろな住宅事情はさておいて、その生活感のあふれだしたような出迎えに感激のあまり、
お日さまの匂いのするような洗濯物に頬ずりしたくなりました。(おいおい)
でも、さすがにそれは出来ないので、柄にもなくお礼に心をこめて写真を・・・。
そして、やはり柄にもなく、つくづくじわぁっと思った。
・・・胡同、それは茶の間だ。あるいは、茶の間のあふれ出した場所だ。
茶の間のテーブルの上には、クッキーの食べかけがあったり、飲みかけのお茶がまだ残るよく使い込まれた湯飲み茶碗が
あったりする。
いくらか反り返ったようなメモ用紙。そこには、次のように読めるのです。
「酒屋さんにビール。マーケットでダイコン、ニンジン、ミソ、豚肉」
さらに・・・
「帰りに、私にごほうびお赤飯、おばあちゃんにはイチゴダイフク」。
メモ用紙の横には、チビたエンピツ。
なぜか子供用の毛糸の手袋が片方だけチョコンとのっかっていたりする。
タンスの上に目をやると、どこぞの観光地に出かけた時に買い求めたいかにも月並みを絵に描いたような人形が
鎮座ましましていらっしゃる。
畳に目を移せば、読みかけの雑誌が開きっぱなしで置いてあったり、ついさっきまで枕代わりに使われていたんじゃないか
と思われるような折りたたまれた座布団があったり・・・。
外から取り込んだばかりの洗濯物がところ狭しと言った風情で投げ出されたりしていることだってある。
さらに畳に目を凝らすと、イヌやネコの毛だ。道理で柱に引っかきキズがついているわけだ。
茶の間にあるものは、ズラーッと何気ないものばかり。
でも、その一つ一つに住人たちの愛情がこもり、住人たちのこまごまとした喜怒哀楽に彩られた歴史が、住人たちと共に過ごしてきた
年月が刻み込まれ、染み透っているのです。
私は、そんな何気ないものたちに親しみを感じる。そんな何気ないものにあふれた茶の間にオーラを感じる。
そこは、よそ行き顔でもなく、けっしてしゃちほこばってもいない場所。それが茶の間。
そんなお茶の間にこそお宝はある。そんなお茶の間にこそ美しさと聖性は宿っているのです。
・・・洗濯物の出迎えに感極まり、柄にもなくリキんでしまった私は、なぜかアジのひらきの干物やサンマを焼いた時の
かぐわしい匂いを思い出していた。
私:「あなたの宝物は、なんですか?」
回答者:「以前、北京に遊びに行った時、胡同で見つけた屋根瓦ですよ。近くにいた人にもらって良いか確かめたら
OKサインが出たのでもらってきました。日本の屋根瓦と形や材料の違いを比べたらおもしろいと思っています。
ボクは、そういうことに興味を持っているんです」
私:「それは、おもしろそうですね」
私:「あなたの宝物は、なんですか?」
回答者:「このオルゴールよ。ワタシが幼稚園に通うようになった時、おばあちゃんが贈ってくれたものなの・・・。今は
壊れて音が出ないけど、今度、修理してもらうことになっているのよ。今から楽しみにしてるの」
私:「それは、よかったですね。ご大切に」
洗濯物の前には、こんなおウチが・・・。
きっと中庭に建てましたのに違いないけど、住人の工夫が感じられるおウチです。
ガラスの採光用窓がシャレています。
古いものと新しいものの取り合わせって、その合わせ方によっては実に独特なおしゃれな雰囲気が醸成されます。
そっとドアを開けて中を覗いたら、庭に面して総ガラス張りのサンルームになっていたりして・・・。
歩みを進めると・・・
突き当たりです。
左側に道が続いているようです。
行ってみましょう。
突き当たり左側の角を曲がると・・・
げっ!
そこは路地。シーンと静まりかえっています。
怖い。
別に閉所恐怖症というわけではないのです。
入ってみたい、という気持ちは臆病者の私にも人一倍あるのです。
まだ体験したことはないのですが、胡同には「抄手胡同」(思案胡同)といって、入ったところに戻ってしまう所も
あるそうです。まぁ、元に戻れるわけですから、これは安心ですが、未知の胡同ではどこへ行きどこに出るのか
分らなくなってしまうような胡同だってあるのです。
かりにこの路地がそうでなくても、どんな人に出っくわすか分りません。でっかいイヌが突然、どこからか飛び出してきて、
私にとびかかってきたりなんかしても、ちっともおかしいことじゃぁないのです。
路上でこんなことを一人思っていると、いやが上にも脚がすくんでしまいます。そしてさらに・・・
ひょっとして、私とおんなじ顔をした人間が物陰にじっと潜んでいて、突然物陰から顔をぬっと出したら・・・
どうしたらいいんだぁー!! 怖すぎて泣いちゃうじゃないかぁー◎◎!!!
・・・と臆病者の私は離人症のような状態になってしまうのです。
すると・・・もう一人の私
「没問題だな。洗濯物が歓迎してくれたじゃん!」
その声に、不安と恐怖に大きく波立っていた私の心もいくらか静まり、臆病なくせに実にノー天気な私。
居直ったわけではないのですが、みょうにサバサバした調子で・・・
「そうだな」
さらに・・・お調子者の私は、
「夢と勇気と、少々のお金だ」と、意味不明なことを心の中でつぶやき、
そして、大胆になり、やはり心の中で
「何でも、いらっしゃーい!」。
一歩踏み出しました。
進行方向右側のおウチの入口です。
落ち着きのある、周囲と合わせた色のドア。ドアノブが、シンプル。
上のおウチからちょっと先へ進み、前方方向を写してみました。
ご覧のように電動三輪車があります。
電動三輪車って、その大きさといい、そのデザインといい、そのスピードといい胡同によく似合うんじゃないかと感じます。
これも、古いものと新しいものとの取り合わせの一つです。
以前、北京の前門近く廊房二条にある本屋さん「正陽書局」に立ち寄った時のことを思い出しました。
その帰り道、こんな三輪車に出っくわしたことがあるのです。
今にも空を飛びそうです!!
海底深くだって、へっちゃら・・・かも。
デザインといいその機能性といい、実に頼もしい、胡同によく似合う一品です。ハナマル!!!
先へ進み、右側のおウチのドア。
模様が素敵です。
私:「あなたは、どんなドアがお好きですか?」
回答者:「ボクは、木製の厚みのあるどっしりとした感じのドアがいいね」
私:「あなたは、どんなドアがお好きですか?」
回答者:「ペットを飼ってるの。だからペットが自由に出入りできる、ドアの下の方にさらにペット用の小さいドアがあるのがいいわ」
私:「あなたは、どんなドアがお好きですか?」
回答者:「なんたって、どこでもドアに決まってるじゃないか!!」
あなたは、どんな扉がお望みですか?
上のおウチの前辺りから進行方向を・・・。
先へ進み、今度は左側のおウチ。
正面から。
中に入ってみたかったのですが、今回は遠慮して、ちょっと入ったところから・・・
来た道をこわごわと振り返ってみると・・・。
先に進むと・・・
広い所に出たあぁー!!!
うおおぉー!! ヤッタァー◎◎!!!
広々とした所を眺めながら
「これで、いいんですよ・・・」
やっぱり意味不明なことを、なぜかしみじみと心の中でつぶやいてしまう私。
そうして、感動と共に左横を見ると・・・トイレ。
泣く子と地頭には勝てぬと申しますが、トイレ現象にも勝てません。
ちょっと失礼・・・。
胡同のトイレでは、思い出すことがあるのです。
かつて胡同のトイレがまだニーハオトイレだった時のこと、初めて使用した私の心に浮かんだのは、なぜかポコちゃんとペコちゃんの
次の話と光景でした。
出題者:「ポコちゃんとペコちゃんが、デートをしました。その時、ポコちゃんがペコちゃんのスカートを
めくろうとしました。さて、そういうポコちゃんに向かって、ペコちゃんは一言なんと言ったでしょうかぁー!!」
回答者:「ミルキー!!」
クス玉が割れ、赤、青、黄色の紙ふぶきが宙を舞い、やんややんやの大喝采・・・。
その時のトイレ使用後と同様、私はスッキリした顔で劉菜園探索を続けたのでした。
胡同、私にとってそこは、美と聖性の宿るオーラを放つ日常が息づく所。
不安と恐怖と爽快感がないまぜになったような心地よさを味わうことのできる場所。
ついでに、ちょっとエロ・カワイイお話を思い出させてくれる、そんな楽しい場所でもあるです。
後日、あの時の心地よさをもう一度!! と言わんばかりに同じ場所を再び訪れたノー天気な私は、こんな光景に出っくわした。
つまったのね。
私:「あなたたちでしたか・・・」
心の中でつぶやきながら
殊勝にも感謝の気持ちをこめて写真を撮っていたら、
もう一人の私:「そういう気持ちがあるなら、少しは手伝ったらどうよ!」
私:「ウゥゥゥ・・・・・」
私もつまってしまいました。(--;)
どこか中華レストランを連想させる名前の劉菜園。
美味しいことに出遭いそうな予感がしてわくわくしちゃいます。
では、そんな期待に胸を膨らませて、本日も歩きます!!
これが当日の劉菜園の入口(胡同口)風景です。
足を踏み入れ、進行方向右側のおウチはこんな感じです。
玄関脇に植え込み。
北京、広く中国の自然環境は植物の生育にとって実に厳しい。だから、造花をより多く見かけるわけですが、
そんな中での植え込みのみどりです。
道端にみどりがあると気持ちがいい。それを大切にしている住人も気持ちのいい人にちがいありません。(おいおい)
通行人に対する心遣いのようなものを感じます。
「こんにちは。お元気ですか」
少し行くと・・・
洗濯物が出迎えてくれました。
感激したぁー◎◎!!!
いろいろな住宅事情はさておいて、その生活感のあふれだしたような出迎えに感激のあまり、
お日さまの匂いのするような洗濯物に頬ずりしたくなりました。(おいおい)
でも、さすがにそれは出来ないので、柄にもなくお礼に心をこめて写真を・・・。
そして、やはり柄にもなく、つくづくじわぁっと思った。
・・・胡同、それは茶の間だ。あるいは、茶の間のあふれ出した場所だ。
茶の間のテーブルの上には、クッキーの食べかけがあったり、飲みかけのお茶がまだ残るよく使い込まれた湯飲み茶碗が
あったりする。
いくらか反り返ったようなメモ用紙。そこには、次のように読めるのです。
「酒屋さんにビール。マーケットでダイコン、ニンジン、ミソ、豚肉」
さらに・・・
「帰りに、私にごほうびお赤飯、おばあちゃんにはイチゴダイフク」。
メモ用紙の横には、チビたエンピツ。
なぜか子供用の毛糸の手袋が片方だけチョコンとのっかっていたりする。
タンスの上に目をやると、どこぞの観光地に出かけた時に買い求めたいかにも月並みを絵に描いたような人形が
鎮座ましましていらっしゃる。
畳に目を移せば、読みかけの雑誌が開きっぱなしで置いてあったり、ついさっきまで枕代わりに使われていたんじゃないか
と思われるような折りたたまれた座布団があったり・・・。
外から取り込んだばかりの洗濯物がところ狭しと言った風情で投げ出されたりしていることだってある。
さらに畳に目を凝らすと、イヌやネコの毛だ。道理で柱に引っかきキズがついているわけだ。
茶の間にあるものは、ズラーッと何気ないものばかり。
でも、その一つ一つに住人たちの愛情がこもり、住人たちのこまごまとした喜怒哀楽に彩られた歴史が、住人たちと共に過ごしてきた
年月が刻み込まれ、染み透っているのです。
私は、そんな何気ないものたちに親しみを感じる。そんな何気ないものにあふれた茶の間にオーラを感じる。
そこは、よそ行き顔でもなく、けっしてしゃちほこばってもいない場所。それが茶の間。
そんなお茶の間にこそお宝はある。そんなお茶の間にこそ美しさと聖性は宿っているのです。
・・・洗濯物の出迎えに感極まり、柄にもなくリキんでしまった私は、なぜかアジのひらきの干物やサンマを焼いた時の
かぐわしい匂いを思い出していた。
私:「あなたの宝物は、なんですか?」
回答者:「以前、北京に遊びに行った時、胡同で見つけた屋根瓦ですよ。近くにいた人にもらって良いか確かめたら
OKサインが出たのでもらってきました。日本の屋根瓦と形や材料の違いを比べたらおもしろいと思っています。
ボクは、そういうことに興味を持っているんです」
私:「それは、おもしろそうですね」
私:「あなたの宝物は、なんですか?」
回答者:「このオルゴールよ。ワタシが幼稚園に通うようになった時、おばあちゃんが贈ってくれたものなの・・・。今は
壊れて音が出ないけど、今度、修理してもらうことになっているのよ。今から楽しみにしてるの」
私:「それは、よかったですね。ご大切に」
洗濯物の前には、こんなおウチが・・・。
きっと中庭に建てましたのに違いないけど、住人の工夫が感じられるおウチです。
ガラスの採光用窓がシャレています。
古いものと新しいものの取り合わせって、その合わせ方によっては実に独特なおしゃれな雰囲気が醸成されます。
そっとドアを開けて中を覗いたら、庭に面して総ガラス張りのサンルームになっていたりして・・・。
歩みを進めると・・・
突き当たりです。
左側に道が続いているようです。
行ってみましょう。
突き当たり左側の角を曲がると・・・
げっ!
そこは路地。シーンと静まりかえっています。
怖い。
別に閉所恐怖症というわけではないのです。
入ってみたい、という気持ちは臆病者の私にも人一倍あるのです。
まだ体験したことはないのですが、胡同には「抄手胡同」(思案胡同)といって、入ったところに戻ってしまう所も
あるそうです。まぁ、元に戻れるわけですから、これは安心ですが、未知の胡同ではどこへ行きどこに出るのか
分らなくなってしまうような胡同だってあるのです。
かりにこの路地がそうでなくても、どんな人に出っくわすか分りません。でっかいイヌが突然、どこからか飛び出してきて、
私にとびかかってきたりなんかしても、ちっともおかしいことじゃぁないのです。
路上でこんなことを一人思っていると、いやが上にも脚がすくんでしまいます。そしてさらに・・・
ひょっとして、私とおんなじ顔をした人間が物陰にじっと潜んでいて、突然物陰から顔をぬっと出したら・・・
どうしたらいいんだぁー!! 怖すぎて泣いちゃうじゃないかぁー◎◎!!!
・・・と臆病者の私は離人症のような状態になってしまうのです。
すると・・・もう一人の私
「没問題だな。洗濯物が歓迎してくれたじゃん!」
その声に、不安と恐怖に大きく波立っていた私の心もいくらか静まり、臆病なくせに実にノー天気な私。
居直ったわけではないのですが、みょうにサバサバした調子で・・・
「そうだな」
さらに・・・お調子者の私は、
「夢と勇気と、少々のお金だ」と、意味不明なことを心の中でつぶやき、
そして、大胆になり、やはり心の中で
「何でも、いらっしゃーい!」。
一歩踏み出しました。
進行方向右側のおウチの入口です。
落ち着きのある、周囲と合わせた色のドア。ドアノブが、シンプル。
上のおウチからちょっと先へ進み、前方方向を写してみました。
ご覧のように電動三輪車があります。
電動三輪車って、その大きさといい、そのデザインといい、そのスピードといい胡同によく似合うんじゃないかと感じます。
これも、古いものと新しいものとの取り合わせの一つです。
以前、北京の前門近く廊房二条にある本屋さん「正陽書局」に立ち寄った時のことを思い出しました。
その帰り道、こんな三輪車に出っくわしたことがあるのです。
今にも空を飛びそうです!!
海底深くだって、へっちゃら・・・かも。
デザインといいその機能性といい、実に頼もしい、胡同によく似合う一品です。ハナマル!!!
先へ進み、右側のおウチのドア。
模様が素敵です。
私:「あなたは、どんなドアがお好きですか?」
回答者:「ボクは、木製の厚みのあるどっしりとした感じのドアがいいね」
私:「あなたは、どんなドアがお好きですか?」
回答者:「ペットを飼ってるの。だからペットが自由に出入りできる、ドアの下の方にさらにペット用の小さいドアがあるのがいいわ」
私:「あなたは、どんなドアがお好きですか?」
回答者:「なんたって、どこでもドアに決まってるじゃないか!!」
あなたは、どんな扉がお望みですか?
上のおウチの前辺りから進行方向を・・・。
先へ進み、今度は左側のおウチ。
正面から。
中に入ってみたかったのですが、今回は遠慮して、ちょっと入ったところから・・・
来た道をこわごわと振り返ってみると・・・。
先に進むと・・・
広い所に出たあぁー!!!
うおおぉー!! ヤッタァー◎◎!!!
広々とした所を眺めながら
「これで、いいんですよ・・・」
やっぱり意味不明なことを、なぜかしみじみと心の中でつぶやいてしまう私。
そうして、感動と共に左横を見ると・・・トイレ。
泣く子と地頭には勝てぬと申しますが、トイレ現象にも勝てません。
ちょっと失礼・・・。
胡同のトイレでは、思い出すことがあるのです。
かつて胡同のトイレがまだニーハオトイレだった時のこと、初めて使用した私の心に浮かんだのは、なぜかポコちゃんとペコちゃんの
次の話と光景でした。
出題者:「ポコちゃんとペコちゃんが、デートをしました。その時、ポコちゃんがペコちゃんのスカートを
めくろうとしました。さて、そういうポコちゃんに向かって、ペコちゃんは一言なんと言ったでしょうかぁー!!」
回答者:「ミルキー!!」
クス玉が割れ、赤、青、黄色の紙ふぶきが宙を舞い、やんややんやの大喝采・・・。
その時のトイレ使用後と同様、私はスッキリした顔で劉菜園探索を続けたのでした。
胡同、私にとってそこは、美と聖性の宿るオーラを放つ日常が息づく所。
不安と恐怖と爽快感がないまぜになったような心地よさを味わうことのできる場所。
ついでに、ちょっとエロ・カワイイお話を思い出させてくれる、そんな楽しい場所でもあるです。
後日、あの時の心地よさをもう一度!! と言わんばかりに同じ場所を再び訪れたノー天気な私は、こんな光景に出っくわした。
つまったのね。
私:「あなたたちでしたか・・・」
心の中でつぶやきながら
殊勝にも感謝の気持ちをこめて写真を撮っていたら、
もう一人の私:「そういう気持ちがあるなら、少しは手伝ったらどうよ!」
私:「ウゥゥゥ・・・・・」
私もつまってしまいました。(--;)