北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第91回 北京の胡同・思わず立ち寄ってしまう場所(喫茶店、ホテルなど)

2016-04-29 13:51:23 | 北京・胡同散策
みなさんにも思わず立ち寄ってしまいたくなるお店や立ち寄ってしまう場所が
おありではありませんか。

北京の胡同を歩いていると、ノドも渇いていないし、草臥れているわけでもないのに
つい立ち寄ってしまうお店があるんですよ。

たとえば、このお店。
写真は三年前のものになってしまうですが紹介させていただきますね。



ご存知の方も多いかもれ知れません。
中に入るとすぐにテーブルや椅子があるのですが、それらを通り越して階段をあがります。

階段をあがり、横を見るとこんな可愛らしい洗面所。



もう少し進むと素敵なテラス。

こんな花が飾ってあったり、



天気が良い場合、周りの四合院住宅の甍の波やハトたちが飛びまわる姿を堪能したりするんです。






次はホテル。
このホテルももちろんのこと、この周辺は歴史的にとても重要な場所で、明代からの胡同や
民国期のオシャレな建造物がいっぱい遺っているんですよ。

そのホテルの一階ロビーには、こんな素敵な螺旋状の階段。





こんな窓だってあるんです。



静かな廊下を胡同を歩くようにさまよっていると、

初代の臨時大総統・孫文のもとで、北京大学の初代教育総長、後に学長を務めた蔡元培の
プロフィールの書かれたプレートが貼られた部屋や





蔡元培学長の時、北京大学で図書館主任(1917年)、後に教授を兼任。その十年後、北京を
支配していた軍閥の張作霖に若くして逮捕・処刑されてしまった李大钊さんの部屋や



西安の華清池(ここは、楊貴妃が湯浴みした場所として有名ですね)で蒋介石を逮捕・拘束した、
いわゆる西安事件(事変とも)首謀者の一人と目される張学良さんの部屋などがあるんですよ。



部屋の中はというと、たとえば洋風あり華風ありで、どれも泊まりたくなってしまうものばかり。
泊まらなくても立ち寄って見学するだけでも楽しめますね。





一階に戻り、奥に進むと廊下。



右側にはこんな展示物が。清朝末から民国期にかけて使用されていたものじゃないでしょうか。



ドアから外に出てみると、そこは中庭。



次の写真は、建物内に戻り、喫茶室の廊下です。この写真は廊下の一番奥から入口方向を撮ったもの。
上の写真の向かって左側にあるんですよ。



廊下から見た喫茶室の一部。
静かで落ち着いた雰囲気。



ここにはアップしませんでしたが、中庭沿いには半個室風の場所が四つほど並んでいます。
それぞれ三人ほどが座れますので、ガラス越しに中庭や建物を眺めながら、友人知人とコーヒーや
紅茶を飲みながらおしゃべりに花を咲かせるにはもってこいの場所。

次に紹介したいのは建物。

今月23日、胡同会のみなさんと前門の東南一帯を歩いたその帰り道、会員の見目麗しき
二人の女性と歩いていると、こんな建物がありました。





星の横の壁に四文字。



そして素敵な窓。



植物模様にうっとり。



星の建物をあとに歩いて行くと、こんなトイレ。



なんて可愛らしいんでしょ。見てくださいよ、タイルばりの外壁、アーチ型をした入口のまわりの
模様を。こんな魅力的な外壁のトイレには滅多に出会えません。これじゃあ、用事がなくても、
つい、ふらふらっと立ち寄りたくなってしまいます。再開発の波にさらわれずにどうか残って欲しい。
これからも見守っていきたいですね。



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第90回 通州・半截胡同(その四) 見通しのきかない曲り角のある狭い路地

2016-04-26 11:29:07 | 通州・胡同散歩
見通しのきかない曲り角のある狭い路地ほど期待に胸が膨らむ場所はありませんね。
そして、その期待につきまとうかすかな不安。
あの曲り角の向こう側から誰があらわれるのか、何があらわれるのか。
あの曲り角の向こう側にはどのような世界がひろがっているのか。
半截胡同の歩き残した道がまさしくそれでした。



少し進むと不意に物陰からイヌが姿をあらわし、さかんに吠え立てたるじゃありませんか。
イヌが怖いというのではありません。突然吠えられ、その驚きで期待も不安も、吹っ飛んでしまい
ましたよ。



少し様子をみてみようと、その場に佇んであれこれ考えましたね。
この道を利用するのはこの路地に沿って建っている家の住人に限られるのではないか。
ここは関係のない人など滅多に足を踏み入れることのない路地なのだ。だからイヌが過剰に
吠え立てるんじゃないか。
きっとこのあたりは人通りの少ない物騒な道なんだ。暗くなってからは特にそうに違いない。
だから、よく吼える犬を飼っていることは住人の賢い選択で、このイヌは番犬としての役割を
十二分に果しているのだ。

そんなことを考えていると、突き当りの曲り角から一人の男性が現れましたよ。
イヌが吠えるのなどまったく意に介せず、いかにも慣れた風情で、こちらにやって
来るではありませんか。それにイヌもいつしか吠えなくなっていましたね。



そこで私も勇を鼓して歩き始めたんですよ。






イヌのいる家の手前にはこんな路地もありました。



イヌが不思議そうな顔をしてこちらを見つめていました。
ワンちゃん、おどろかしてゴメンね。



突き当たりを右に曲がると・・・、こんな風景が。



そして、左に曲がると・・・。
人っこ一人おりません。静寂そのもの。先ほどのワンちゃんが恋しいくらいです。



右側の煉瓦の塀が崩れていました。
どうして崩れているのか、そして、この崩れたレンガ塀の奥にさらに塀があることに
ちょっと首をかしげたんですが、塀の崩れ目から伸びている樹木の旺盛な生命力にはドキッと
しましたね。

しかし、この時私を圧倒したのはなんといっても目の前に広がる、塀と塀の機能を失った
塀ならざるものそれぞれの境や輪郭があいまいになった時空間そのものでした。
崩れたレンガ塀が実にグロテスクで不気味でありつつ、一種独特の美しさをたたえていたんですよ。



右側に見えるプレートには「この壁危険につき、近づくなかれ」と書かれてあったんですが、
撮りはぐってしまいました。



というのも、上の写真の宅門の中で突然イヌが吠え出したんですね、崩れた塀を眺めていた時
にはなんの気配もなかったのに。
その太い声から察するにかなりの大型犬だといっていいと思います。驚きましたよ。
そこで、左の塀沿いを歩きました。



前にこの路地は物騒なところなんて書きましたが、先ほどの姿の見えないイヌのことを
考慮しても、やはりそう思いますね。
特に暗くなってからは絶対に一人では歩けません。夜の闇にまぎれてどんな輩が出没するか
分りませんからね。そんなことが脳裏をよぎると思わず後ろを振り返って、誰かいないか
確認してしまいましたよ。(でも、夜中に歩いてみたいという気持ちも、ちょっとあるんですが。)

それにしてもこの路地は別世界ですねぇ。
このまま歩いて行くとどこにたどり着くか分らず、歩いているうちにふっと自分のカラダが
周囲のレンガ塀や繁茂する植物たちに吸い込まれてしまい、本当に別世界に行ってしまうような
気持ちになってしまいます。



宅門の前を通り過ぎると、右に曲がっていて・・・、



少し進むと今度は左。






周りのレンガや蔦の素敵な道を歩いて行くと、正面に三輪車。この三輪車を見つけてなぜかほっとしましたね。
そこに人の気配を感じるからでしょうか。





突き当たりの左側は行き止まり。どうやら今まで歩いてきた左側が「蓮華寺(胡同)」、右側は
半截胡同ということになるんでしょうが、今まで歩いてきたどの辺りまでがそれぞれの胡同に
なるのかは分りませんでした。
突き当たり右側を見るとやはりほっとしましたよ。





というのも、なんと、そこは見覚えのある場所。以前紹介した紫竹庵胡同の東端だったんですよ。
そのとき上を仰いで目に映った青空がなんと眩しかったことか。
そして、すぐ上の写真左に見える家の玄関には、次の住所表示。



この表示板のある家の前からまっすぐ西方向に走っているのは紫竹庵胡同。そしてこの表示板のある家
の前を通り過ぎてまっすぐ進むと「太平庄」という胡同なんですよ。
「太平庄・甲1号」。太平庄(胡同)が「おいで、おいで」と私を誘っているじゃありませんか。
歩いてみたいですね、誘われるままに。



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第89回 通州・半截胡同(その三) 和諧家庭、婦女聯合会、そして北京文化遺産保護センターって何ですか?

2016-04-18 12:22:53 | 通州・胡同散歩
ドアに貼られたプレートには次のように書かれていました。

大きく「文明和諧家庭」、その下に「通州区婦女聯合会」「通州区精神文明建設委員会办公室」。



ということで、今回はまず、「文明和諧家庭」と「通州区婦女聯合会」に関連する記事の紹介
です。

「文明和諧家庭」。それは調和のとれた家庭ということですが、かくあるべき、あるいは、
このようにあって欲しい理想的な家庭像に合致した家庭といってよいかもれません。
この理想的家庭像は5、60年ほど前からあったようですが、名称や基準は時代の移り変わりと共
に変化しているようです。

次に重複部分もあるのですが、理想的家庭像の沿革や基準などについて比較的分りやすいのではと
思われました記事を二つ貼っておきました。中国という国家における、ある一つの組織によって
提示される理想的家庭像に興味のある方はもちろんのこと、価値観が多様化した時代の中で日ごろ
どういう家庭を築いたらいいんだろうとあれこれ考えていらっしゃる方にもお役に立つかもしれ
ませんね。記事は通州を含む北京市の事例です。

『北京の「和諧家庭」がホットな話題に - 中国国際放送局』
 japanese.cri.cn/918/2012/02/16/141s187281.htm

『北京市「調和のとれた家庭」指標で物議--人民網日本語版--人民日報』
(この記事に関しましては、コピペのうえ検索していただけるとたすかります。)

「通州区婦女聯合会」というのは、「中華全国婦女連合会」の一部と言ってよいのですが、この
中華全国婦女連合会という婦女連合会の総元締・総本山と市や区政府におけるそれとが具体的に
どのような関係にあるのかという点についてはさておいて、次に中華全国婦女連合会についての
記事を二つ貼っておきました。重複する部分もあり、突っ込んだ説明ではありませんが、沿革・
活動内容などのおおよそは分りますので、興味のある方はご覧下さい。

『中国百科』中国国際放送局
japanese.cri.cn/chinaabc/chapter12/chapter120201.htm
チャイナネット・中国網
japanese.china.org.cn/japanese/77788.htm

次の二つもやはり中華全国婦女連合会に関する記事ですが、中国におけるNGO活動などと
からめた内容が私には興味深く思われましたので、あえて挙げた次第です。

「中国女性 NGO の発展 解題 - 国立女性教育会館」
「中国女性NGOの発展 - 国立女性教育会館」
(上の記事に関しましては、コピペのうえ検索していただけるとたすかります。)

次の写真に写っているのは自宅アパート敷地内の掲示板に貼ってあった通州区婦女聯合会からの
<お知らせ>です。参考に貼っておきました。







なお、私個人としては、現在歩いている胡同(清真寺を介して住民たちが結びついた地域)の中で、
通州区婦女聯合会なる組織が具体的現実的にどのような役割を持ち、いかなる活動をしているの
か、胡同住民たちが婦女聯合会という組織にどのような思いを抱いているのかという点に最も興味
があったのですが、その辺りついて触れることは情報量も少ないなどの理由もあり、今回は省略
したことをお断りしておきます。

ここでちょっと寄り道。
先ほどNGO関係の記事を紹介したのですが、その流れとして『北京文化遺産保護センター』について
の記事を貼らせていただきますね。

一つは、胡同会代表でもあるフリーランスライター多田麻美さんによる北京文化遺産保護センターの
何戍中さんへのインタビュー記事。

『意識の変革を通じ、真の文化財保護を──北京文化遺産保護センター、何戍中さんインタビュー』
www.shukousha.com/column/tada/2145/

もう一つは北京文化遺産保護センターのサイトです。
www.bjchp.org/

北京の文化財に興味をお持ちの方必見の記事とサイト。ぜひご覧くださいますよう、
よろしくお願い申し上げます。

それでは再び、半截胡同歩き。

突き当りを左に曲がり、北方向に進みます。









短い坂がありました。



少し進んで振り返って。
雪の日などはちょっとあぶない場所ですが、素敵な坂ですよね。
歩くのが楽しくなるんじやないでしょうか。





坂を下って左側にこんなおうちがありましたよ。
手前に植えてあるのはヘチマではないでしょうか。前回にも書いたのですが、
やっぱりここは「糸瓜胡同」という名前がふさわしい。今後、わたし的には糸瓜胡同と呼びたいと
思います。






見てくださいよ。この植え込みの素敵なこと。
思わず頭の中で大きな花マルを書いてしまいましたよ。



なお、上のおうちが半截胡同の1号。
道路をはさんでこのおうちの前にはこんな掲示板がありました。



社区民警とあります。
この社区民警についての説明は今回は省略です。
それよりもここで書いておきたいのは、ここが住所としては「蓮華寺(胡同)」になるということ。
ということは、私は、半截胡同という住所表示の家と蓮華寺(胡同)という住所表示の建物との間の
道にいるわけですが、ならば私の立っている道はいったい半截胡同と呼ぶべきか蓮花寺(胡同)と
呼ぶべきか。社区民警の壁にはこの界隈の略図があり、私の立っている場所が蓮花寺(胡同)と呼ぶ
ことは分っていたのですが、ちょっと気になり、あえて通りかかった住民の方二、三人に「この胡同
名はなんですか?」とお訊きしたところ半截胡同という名前ではなく蓮華寺(胡同)という答えが返って
きました。それを聞いてひとまず気持ちが落ち着きましたよ。細かいことを言えば、ここは半截胡同
と蓮華寺(胡同)とが重なっている場所というのが正確なところなんでしょうが。



来た道を振り返ってみました。
写真では分りづらいかもしれません。写真奥に二階が青い家がありますが、その家の壁に沿って
西から東へ一本路地が走っているんですよ。



二階建てのある側は住所としては半截胡同、その反対は蓮華寺(胡同)になるようです。
そして、その細い路地自体は半截胡同と呼ぶようです。私はまだ半截胡同を全部歩いては
いなかったんですねぇ。
次回は歩き残してしまったこの細い路地を紹介させていただきます。



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第88回 通州・半截胡同(その二) 洋車と自行車、そして三輪車へ。

2016-04-13 10:53:51 | 通州・胡同散歩
ご覧のように右側に三輪車。



街の中を歩いているとよく見かける三輪車。自家用と商売用のものがありますが、
これは商売用で、色々な宣伝がみえますね。北京に居住している日本人の中には
足代わりにお使いになったことのある方もいらっしゃるのではないでしようか。
自家用の場合は、わざわざ「自家用」と書かれた紙が貼ってあったりするんですよ。
街を走っていたり、ちょっと停車している時に商売用と間違える人がいるからなん
でしようね。

この三輪車なる乗り物、なんと人力車と自転車が合体して出来あがったものなんだ
そうです。本棚にあった北京の乗り物関係の本にそうありました。

北京に人力車が持ち込まれたのは、1800年代の終わりごろ。1886年、日本人がかの
西太后に贈ったものが記念すべき第一号(現在も頤和園に陳列されているとか)。
そして、北京城に人力車が姿を現すのは、1897年、天津と北京の間に鉄道が開通して
からなんだそうです。終点駅が豊台区の馬家堡。北京城内までの距離があり、旅客
たちにとってはとても不便。しかも、城内に通じる道路の状態もひどく、道路整備後、
旅客を乗せた人力車が城内を走ったというわけなのです。
北方では「洋車yangche」、南方では「黄包車huangbaoche」と呼ばれていました。
洋車が東洋車の略語で、東洋が日本のことであることをご存知の方は多いかもしれ
ませんね。

今も「洋車」は走っているんですよ。
次の写真の場所は紀曉嵐故居前。2013年8月31日撮影。午前10時前ということで、まだ観光客
はいないようです。この日は北京文化遺産保護センターの何さんや胡同会の皆さんと八大胡同
を主に歩いた時の写真です。



自転車が北京にいつごろ出現したのか細かいところは分らないのですが、やはり
1800年代の後半、西洋諸国と関係浅からぬ天津や上海を経由して北京にやって来た
ようです。自転車(自行車zixingche)は、南方では「脚踏車jiaotache」。
ラストエンペラーこと溥儀さんが紫禁城の一画で自転車を乗り回すのは1900年代の
初めごろでした。

では問題の三輪車の出現は?
私が調べた乗り物関係の本によりますと、1937年の日本軍による北京占領後のこと
なんだそうです。もっとも、その頃の三輪車は現在北京の街で見かけるものとは
違います。当時の三輪車の様子を今に伝える写真はないものかと探してみたのですが、
『北京旧影』という写真集にありました。



場所は「東四牌楼」とあります。当時は、こんな立派な牌楼があつたんですねえ。
それはともかく、撮影したのは1935年前後とありました。そういえば、北京には
「胡同游」というのがありますが、あの人力三輪車が昔の面影をとどめていると
いってよいかもしません。郭沫若さんの故居の前で見かけた三輪車(2015年10月に
撮影)



ついでといっては何ですが、今どきのオシャレな電動式三輪車をご紹介。



これなど今にも空を飛びそうです。三輪車ファンの垂涎の的の一台じゃないでしょうか。
撮影2013年8月31日。

次の二台は自宅アパート前の遊歩道に置かれていたもの。撮影2016年4月8日。
色もデザインもオシャレになったなぁーって、つくづく感じてしまいました。






自転車などの話はこのくらいにして、胡同歩きに戻ります。
三輪車の前の家の玄関。



ちょっと中を拝見。



きれいに整頓されていますね。私の自宅とはまったく違います。
実はこのお宅を拝見するのはこれで二度目なんですが、一度目は2013年の12月。
その時もやはりドアが開いていて、見るともなく中を拝見してしまったわけなんですが、
その時は住人の方がなにか作業中でした。顔があったので、軽く会釈すると笑顔が返って
きました。写真を撮らせていただく時、快諾してくださったのは有り難かったですね。



今回もどなたかいらっしゃるかなぁと思いながら中を覗いてみたのですが、どなたも
いらっしゃらなかったのは、少し残念。

先に進みます。










玄関の上に「花瓦頂」のある家がありました。



やはり中を拝見。
ちゃんと整頓されていますね。



実はこのおウチも2013年の12月に拝見したんですよ。
キッカケは「花瓦頂」がステキだなぁという思いもあったのですが、その時には、なんと
玄関前に鳥籠がさがっていたのです。胡同には小鳥と鳥籠がよく似合うってホント感心して
しまいますね。



さらに進みます。









二階建ての家がありました。



ガラスの部分が多く、ずいぶん開放的。サン・ルームかな?






ここにもヘチマです。



このヘチマでこの胡同には三ヶ所ヘチマの植え込みがあるわけですが、三ヶ所全部にヘチマ棚を
作ったら夢のある実にステキな木陰が出来るでしょうね。糸瓜胡同なんて名前はどうでしょうか!?






こちらにも二階建ての家。
北側ということで、大きな窓がありません。写真に見える窓も小さめです。









突き当りの家に来ましたが、ここを左に曲がります。



でも、その前にちょっと気にかかることが・・・。
突き当りの家のドアにプレートが貼られ、なにやら書かれています。
これは以前訪れた時にはなかったもの。



いったいなんでしょうか?
調査してみたいと思います。報告は次回に。


 
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第87回 通州・半截胡同(その一) 狭い路地にもヘチマと門墩

2016-04-07 10:20:22 | 通州・胡同散歩
今回から、数回に分けて「半截胡同(banjiehutong)」を歩きます。(撮影・昨年の初夏)



この胡同は明の時代にはすでにあったようです。当時ここに集住した人たちは
どのように生計を立てていたのか。やはり、当時は栄えていた漕運関係の仕事
に従事してしていたということなのでしょうか。

前回までご紹介してきた紫竹庵胡同と熊家胡同との間にあり、全長109,3メートル、
ほかの胡同の半分ほどの長さということで「半截胡同」という名前になったようです。
時期は分らないのですが、「東半截胡同」と呼ばれていた時もあったとか。
(『北京胡同志』を参照)


当日は、中街(胡同)にある胡同口から入り、東方向に歩きました。



ちなみにこの入口の左角には、文房具屋さんがあります。



このお店は小学校が授業中の時は閉まっています。
昼休みに生徒たちが昼食のためにいったん帰宅する時や下校時に開店しているというわけです。
利用客は多いようで、けっこう品物がそろっているお店です。
小学校の近くには、必ずといってよいほど文房具屋さんてありますよね。
たんに学習用具を売っている所というよりか、なんか夢がありました。

トンボや三菱のごくふつうの鉛筆、消しゴムが頭についている事務用鉛筆。
決してよく消えるわけではないのですが、なにか良い匂いのする、色つきで半透明な消しゴム、
白い紙に大きな升目や罫線のひかれた、ごくありふれたノート。画用紙や折り紙。
使い始めは透明で艶のある三角定規や分度器。そして、今思えばとってもチープなコンパス。
お店に置かれた一つ一つの品物がみんな輝いていました。小学校の近くの文房具屋さんは
宝物でいっぱいです。

入口の右側。
この日は陽射しが強く、樹木に繁る多くの葉や道に張られた日除けが心地よい陰を
つくっていました。







こういう狭い路地にも植え込みがありました。
ヘチマ(糸瓜)です。



花期は7月から9月くらいまでのようですが、歩いたのは6月中旬。
北京のヘチマの花は咲くのが少し早いようです。


少し前に行ってみます。




右にちょっとした物置がありますが、煉炭が貯蔵されているのかもしれません。







再びヘチマの植え込みがありました。





胡同には、植物がよく似合うんですよ。
そんな胡同を歩くようになってから植物によりいっそう興味や親しみを持つようになりました。
でも、それだけではありません。住んでいる方たちの気持ちのあり方の一端をも垣間見るような
気持ちになり、住人の方たちにも親しみを持つようになってしまいますね。
こういうちょっとしたことで、現在住んでいる通州という場所が、広く言えば北京という場所が
北京生まれ、北京育ちではない私にぐっと近くなったような気がするのです。親しみ度を上昇させて
くれたのは、なんといっても胡同歩きのお蔭です。そして、参加している「胡同会」や個人的な
胡同歩きや胡同調べにさらに拍車がかかってしまいます。異国に親しみを覚えるということは、
こういう些細なことの積み重ねの結果なのでしょうね。「胡同歩き」の小さな積み重ねが親しみを
持つに至る大きなキッカケになってくれました。

ヘチマを育てているのは、次の玄関の家の住人でいらっしゃるわけですが、ドアの模様が、
やはり植物模様なんですよ。おもしろいですねぇ。







なんと、こういう路地にも門墩(mendun)がありました。
でも、置き方がちょっと変。いやいや、こういう利用方法もありですよ。
廃棄してしまうのではなく、たとえ置き方が多少変でもこうやって使っていらっしゃるということ、
それはこの家の住人の方の門墩に対する親しみや愛情のあらわれだと思えるのです。





抱鼓型。なにやら彫り飾りなどもあるのですが、ずいぶん磨滅しています。



玄関前に置かれた様子が分らないといけないと思い、他の日に撮った写真を次にアップ。



門墩の置き方にはじめ驚いたり、目がグルグル(@@;)してしまったりしたのですが、
よい目の保養をさせてもらいました。



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