北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第3回 通州の胡同・回民胡同(その三・固まってもいいですか?・改訂版)

2014-06-26 01:54:17 | 通州・胡同散歩
胡同を歩いていると魅力に富んだ風景やものに出遭うことがあるのです。

たとえば前回ご紹介した、これ。



柔らかい石の一部です。

こういう風景との出遭いは実に心地よいのです。また、こういう風景をこのブログを見てくださっている人たちに
ご紹介できるのが、この上なくうれしい。

でも、こういう風景ばかりに出遭えるとは限らない、そんな心地よさに酔いしれてばかりいられないのが胡同歩き。
そのほんの一例がやはり前回ご紹介した、やっているのかいないのかよく分らないお店。

ならばそんなものは無視すればいいだろ、と思うのですが、そこが胡同歩き愛好者、胡同ウォッチャーの悲しいさが。ついつい
立ち止まっては考え、果てはカメラのシャッターを切ってしまうのです。

下の写真をご覧ください。



これは、清真寺胡同の入り口附近から回民胡同の東側に向かって撮影したもの。
右側の壁沿いには前回ご紹介した柔らかい石たちが並んでいるのですが、その中に混じって異質なものが一つあるのです。

それは、これ。



これを見た時、「これって、手すり」と思ったのですが、すぐに「じゃあ、ないよね」。

「手すり」にしては壁沿いに石が置かれていて、その壁沿いを歩く人などそもそもいるわけもなく、これが「手すり」としての
役目を果しているわけがないからなのです。

じゃあ、これって、何?

まさか「平均台」ってことあるわけはない。

ひょっとすると、あの柔らかい石たちと同様「駐車禁止」のサインなのか。おそらくこう考えるのが穏やかな結論なのかも・・・。

でも、もしそうだとしたらあまりにも「手すり」っぽさが主張されすぎていないでしょうか。

あの柔らかい石たちが辺りの雰囲気に何気なく溶け込んでいるとしたら、この「手すりのようなもの」はあまりにもその「手すりっぽさ」
を人目に明示しすぎているのです。

だからこの「手すりのようなもの」を見た時「これって、手すり」って思ってしまったというわけなんですね。この「手すりっぽさ」が
まんまと満腹楼の頭を「手すり」という答えに誘導してしまったわけなのです。

繰り返しになりますが、これは断じて「手すり」ではありません。そうして、「じゃあ、これって、いったい何なんだ?」という疑問が
満腹楼の心に頭をもたげてしまう。
重心の置き方によってその見え方がいろいろ変化してしまうこの「手すりのようなもの」、はたして本当に「駐車禁止」のサインなんだろうか。

答えらしいものが見つからずに「手すりのようなもの」の前に佇み、いささか心細く途方にくれた満腹楼。この「手すりのようなもの」にすがりつきたくなった。


でも、そんな満腹楼の心を力強く支え、奮い立たせてくれるのは、こんな「手すりのようなもの」ではありません。
それは、これ。



「手すりのようなもの」の先にある住宅の玄関とそれに続く壁。胡同ではけっして珍しいものではなく、というよりも胡同には
欠かすことのできないものですが、回民胡同を歩いていてウットリと魅了されてしまう風景のひとつなのです。胡同といったら、これ。
これがない所を「胡同」とは言わない、言っちゃいけないのです。

ちなみに、この住宅は北向きであるため、壁に窓はありません。北京の冬は厳しく、連日零下。
北風を防ぐため、北側には極力開口部を設けないのが原則で、この住宅、北京における住宅の一つの典型を見るような思いがするのです。

この玄関とそれに続く壁のお蔭で「手すりのようなもの」に困惑・攪乱された心も落ち着いたので、ちょっと細部をご紹介いたしましょう。



玄関。どちらかといえば装飾の少ない、いたって地味なもの。





門dun(土へんに、敦。mendun)ですね。

これは装飾品であると共に、かつてはその家の主人の家柄や地位などを示していたりするのですが、その役割はそれだけではありません。
玄関の敷居、柱や扉を支えるための重要な建築部材なのです。形は、鼓状のものや箱状のものがあります。


その先には、こんな家が。



前の家とは違い、規模がだいぶ小さい。



玄関も前のとは違って、小規模。
しかもこの家には門dun(土へんに、敦。mendun)がありません、と書いたものの、
よく見ると玄関の前方にこんなものが・・・




「これって、何ですか?」

これって門dunですよね?
でも、門dunの役割なんて果していないですよね?
門dunの役割を果していない門dun、いったいどうしてこんな所に置かれているのでしょうか?

しかも、この形が謎なのです。
融けたようにぐにゃりとしているのは、いったいどうしたことなんでしょうかぁ?
謎は深まるばかりなのです。

次々に湧いてくる「これって、何?」という思いを振り切るように先に進むと・・・



手すりです。
でも、これは前にご紹介した「手すりのようなもの」とは違い、階段に付けられているということで明らかに手すり。安心です。

でも問題は、この建物。

満腹楼にはかつて何かのお店だったように思えてしかたがありません。建物上部に看板を取り付ける土台のようなものが見えるから
なのです。

そして、シャッター。この家屋がかつて店を営んでいた頃の名残なのでしょうか?
いったいこの家屋ではどのような商売が展開されていたのか?

そんなことを考えながらシャッターをよく見ると、完全に閉ざされたシャッターもあるにはあるのですが、上げられているものも
あるのです。ひょっとして店を閉めてしまった今でも利用者がいるわけか?

かつて、それが何のお店であったのかは不明ながら、ともかく何か店を営んでいたことを示す夢のかけらを人目に晒しながら、
現在は人気のないひっそりとした空気をあたりに漂わせている家屋。
そして、利用者がいるようないないような、いないようないるような、見方によってはどちらにでも見えてしまう実に曖昧、中途半端
な家屋。

こんな家屋を眺めていると、満腹楼は困惑とむなしさを覚えてしまう。
そして、たまらなくやりきれないのは、巷間、密かに囁かれる残便感のようなものだ。

そして話を広げれば先に書いたかくある家屋のあり様とそれに対する満腹楼の反応とが、いわゆる「胡同」と名づけられた場所一般の
あり様とそれに対する反応とに重なってはいないと言い切れるのかどうか・・・。謎は深まるばかりなのです。

いずれにしても、このような状態に人を誘ってやまないこの家屋、回民胡同に好ましい影響を及ぼすとはけっして思えないのだが・・・。
環境問題は、何も大気汚染だけとは限らないんだよね。

スッキリした顔で胡同を楽しく歩くことのできる、そんな恩寵にも似た時が満腹楼にやってくるんでしょうかぁ?


困惑とむなしさ、そしてキレの悪さに場所柄もわきまえずに固まってしまった満腹楼。




これって本当に満腹楼なんだろうか?


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第2回 通州の胡同・回民胡同(その二・石はお嫌いですか?)

2014-06-11 13:34:34 | 通州・胡同散歩

新華東街の南側、南大街の東側一帯には、前回からご紹介している回民胡同をはじめ、清真寺胡同、北二条、馬家胡同、安家大院、劉菜園、熊家胡同、半截胡同、紫竹庵胡同、蔡老胡同、白将軍胡同、頭条、南二条、南三条、東順城街などの胡同がある。

そんな中で回民胡同は、他の胡同とはその趣を異にしているといってよいかもしれない。歩いていて気付いた違いをここではとりあえず三つあげておきたい。

一つは、前回ご紹介したようにここには幼稚園や小学校などの教育、清真寺といった宗教の各施設があること。
二つ目は、他の胡同が平屋の四合院住宅が並んだいわゆる胡同らしい胡同といってよいとすれば、回民胡同の場合、胡同の道をはさんで北側には、平屋ではなく、道沿いに人やクルマの交通量の多い、しかも路線バスの走っている新華東街に正面を向けた商業用やオフィス用のビルが並んでいること。
そして三つ目は、この胡同内には実にわずかで小規模ながら、商売を営んでいるようないないような、見方によってはどちらにも見えてしまう、実に曖昧な宙ぶらりんな家屋が点在しているということ。

次の写真をご覧ください。

これは、前回ご紹介したトイレのすぐ隣の建物。





正面から見るとこんな感じ。




街や胡同を歩いていると、魅了されてウットリとさせられてしまうようなモノやコトに出遭うことが満腹楼には、ある。時には「これって、何?」としばしその場にたたずんで考え込んでしまいそうなモノやコトに出っくわすことだってある。上の家屋は、「これって、何?」という思いをこめて撮った写真。そして以下は、写真を眺めながら考え込んでしまった頭の中のたどたどしいお散歩風景の一例なのですが、ここにあえて掲げておこうと思います。

写真を見てこの家屋が、辛うじて消え残った「売」という一字によってかつて何かの販売店であったということはすぐに理解できるのではないでしょうか。と書いたものの販売店であったのは果たして「かつて」であったのか。事の当否はともかく、この家屋、看板は出ていないけれども、現在もけっして店仕舞いなどしていないとも言えるのではないか、と満腹楼は考えてしまう。すでに分っている方もいらっしゃるとは思うけれど、あえて確認の意味でその根拠らしきものを二つあげておきたい。

一つは、おそらく何らかの商品をめぐって客とのやり取りのために必要な窓が、それほど遠くはない日に真新しく小奇麗なものに交換されたばかりなんじゃないかと思えてしまうこと。客に対する商売を営む者としての気遣いを感じさせる窓。
もう一つは、これが決定的で、店の前に置かれた移動式店舗用の三輪車。もし店仕舞いしているとすれば、この三輪車、このままでは場所をとるだけで実に使い勝手も悪く、とっくに商品陳列棚の部分は取り外されていてもおかしくないのではないか。
つまりこの家屋の住人は、この家屋自体を店舗として、同時に三輪車によって商品の路上販売も行なっているということになるわけだ。

ならば扱っている商品は何か。商品棚の様子から、それは例えば前回ご紹介した物売りのおばちゃんと同じような餅類だと言っても、大きな誤りを犯すことにはならないという気がする。そして、販売の時間帯はといえば、この点については後ほど再び触れることになるけど、早朝と夕方の一日二回といったところだろうか。

ところで、このお店、店舗自体で商品を販売しつつ自転車を使って路上販売もしているということで、それなりに商売熱心だと言えなくもない。そこで頭をもたげるのが、ならばなぜ看板らしきものを掲げていないのかという疑問だ。看板を掲げて、もっと店をアピールしてもよいではないか。
 
思えば人通りの多い表通りに面しているわけでもないこの場所は、本来商売には不向きなのだといえなくもない。しかしそうとばかり言えないのもこの場所で、意外にも人通りがあるからだ。ここに微妙な商売成立の秘密がある。

これにはこの胡同の地理的条件が一役買っている。というのも、もし、この胡同より南側に居住している人たちの中で、例えば通勤通学にバスなどを利用しようとする人は、回民胡同の北側にある表通りの新華東街に出る必要があるわけだが、そのバス通りに行くためにはこの胡同を通過しなければならず、つまり、そのようなバス利用者は一日のうち最低でも朝夕二回はこの胡同を通らなければならず、これが人通りを作り出してしまう理由なのだ。

この人通り、商売をするにはそれなりの条件なわけだが、それを実に小規模ながら活用しているのがこのお店と考えていい。
そして、この人通りが、この店に看板を必要としない状況を作り出している。というのも、人通りとは言ってもこの店の前を通る人たちは、不特定のだれかれではなく、ほぼ同じ顔ぶれであってこの店に看板などなくとも、この家屋が何を売っているかを熟知しているからだ。店側からすれば看板など出す必要などないということになるだろう。

人通りと看板の有無との関係について角度をかえていえば、前に見たようにこの店の前を通る人たちはほぼ同じ顔ぶれで、しかもその数は、不特定でしかも多数の人たちが往来するであろう表通りなどとは違って限りがあるにちがいない。看板など掲げてもその効果はいたって薄いという以上に、誇張していえばまったくその役割を果さないというのが現実であるにちがいない。限られた売り上げを補うのが、三輪車による路上販売であることはいうまでもない。

こうして商売を営んでいるようないないような、見方によってはどちらにも見えてしまう宙ぶらりんな家屋の出現ということになる。

ここまで書いてきて気になるのは、いたって便利でお手軽なファーストフード店や現代的な大型商業施設の増加、そして消費者の生活スタイルの変化などによって、このようなお店にその必要を満たすために立ち寄った客たちは今までも減ってきただろうし、これからさらに減少する可能性は十分にありえるということだ。現に、この胡同内にはその体裁はかつて何らかの店を営んでいたことを示しながら、現在は人気のないひっそり閑とした家屋を見ることができるのが、そのよい見本なのだ。

そして、そのような店舗のあり方は、胡同自体の状況に重なってしまうことになる。通州だけに注目してもどれ程多くの胡同が消滅してしまったことか。北京の場合を言っても、胡同とは名ばかりで実体の伴わない、胡同でありながら胡同ではないような何とも宙ぶらりんな場所が多いことか。

ところで、前回ご紹介したように、ここ通州は新しい街づくり人づくりに立ち上がったわけだけれども、その一端を示すポスターなどに明記されていることは、たとえば「遵守社会公徳」といった、いたって倫理的なもので通州区民にその意識の変革を訴えるもの。

そこで、急ぎ足ながら通州に在住する者のひとりとして満腹楼も自戒をこめて、柄にもなく不似合いな夢想のような街づくりの心構えを、恥ずかしげも臆面もなく書き留めておこうと思う。通州運河を渡る爽やかな風を感じていただければ、うれしい。
題して「満腹楼の新しい街づくりのための心構え」。

  

~『満腹楼の新しい街づくりのための心構え』~

もし、街づくりが倫理的なものであるならば、その街づくりが街づくりの主体である区民一人ひとりの生活をおびやかすようなものであっては、もちろんいけない。効率のよさと便宜性を追い求めるあまり、それら区民の、地理的条件や歴史性と一体となったような環境としてある生活の場を破壊してしまうような反倫理的な行為であっていけないのは、当然だ。
新しい街づくりとは、新しいモノばかりで出来上がった街をつくることばかりをいうのではないはずだ。

また、新しい街づくりには、新しい街づくりを立案計画し主導牽引する人たちをはじめ、区民一人ひとりの意識の変革が必要だ。上意下達や他人まかせを"是"とするような、はたまた、上意下達や他人まかせに甘んじているようなあり方は改める必要がある。

新しい街づくりにあたって、その街に住みながら自分には無関係などと無責任なことはいうべきではない。もっと自分の住む街に主体的にかかわるべきだし、責任を持ってしかるべきではないか。誰かの街なのではなく、まさに自分が住んでいる我が家と同じく"わが街"なのだ。

通州だけとは限らないのだが、街のあり方を決定する要因の一つはその街に住む、またその街にかかわりのある人一人ひとりのその街に対する関心の持ち方や愛情のあり方といってよいと思う。街の表情とは、そこに住む人の街に対する関心の持ち方と愛情のあり方の現われにほかならない。新しい街づくりに立ち上がった通州。区民一人ひとりの力量と街に対する愛情のあり方が試される時なのかもしれない。
       

                  通州是誰的?
       通州是通州区民的!!

     通州是誰的?
        
       通州是世界的!!


・・・と、柄にもなく力んで肩の凝るようなことを書いてしまったのだが、そんな時にも満腹楼の心にちらちら浮かんだのは、前回ご紹介したあの「涮羊肉」のお店だった。

時代の流れにのって華やかに商売を展開している店や二匹目のドジョウを地でいくような店、いっけん外見は立派に見えながら、実はハリボテ、内実は火の車といった店、そして、「あれ、この前までココにあったよね!」と気の毒にもデート中の恋人同士の楽しい話題の一つになってしまうような店、そんな商店たちが飽きもせず懲りもせずにしのぎを削りあい跋扈する時代の中で、時代の流れなど我関せずといわんばかりにひっそりと存在し続ける、あのお店。

もちろん、あのお店だって時代の流れの埒外にあるわけではけっしてないのであって、今後も同じ状態であり続けるであろうことは望むべくもないのかもしれない。しかしながら、胡同とその店の体裁との取り合わせや店の今後の存否は問わぬにしても、あのような店を見ると「飄々」「淡々」といった言葉を思い起こす以上に何やら「凄み」のようなものを感じてしまうのだ。


取りとめのないことを取りとめもなく書いてきてしまったけれど、ここでさらに胡同の散歩を続けようと思う。


トイレの隣のあの家屋の前は、日を改めてご紹介予定の清真寺胡同。この胡同入り口前を通る時いつも気になるのは、写真左下に写っている何気なく置かれているような石。
 


この石。きっと、建物の角にクルマがぶつかって建物を傷めないようにするために置かれたものだと思うんだけど・・・。もちろん、ご近所のお年寄りの散歩途中の休憩場所になることもある。
 
 

回民胡同沿いには、さらに石。

 
 
 
 石臼の一部と思われる石。その一部に寄りかかるようにしてある石、よく見ると彫り飾りがしてあって、もとは建物の一部だったんじゃないか。
  
 
 
 これらの石って、おそらく「ここにクルマを停めないでね」「ここにクルマを停めんじゃねぇよ」っていう住民の意思表示で、自衛手段としてのいわば苦肉の策だといってよいと思うが、時によって歩行者にとっては迷惑な代物だといえなくもない。しかし満腹楼には、その一方で実に魅力に富んだ工夫だとも思えてしまう。そこでその点についてもう少し書いておこう。
 
たとえばここに「駐車禁止」と大書された立て札が立っていたり、貼紙が貼ってあったりしたら、どうだろう。きっと、立て札や貼紙では自己主張が強すぎて、この場所の持った独特の雰囲気をだいなしにしてしまうおそれがあるのではないかな。

それにひきかえこの石たち。けっして声高に自己主張するわけでもなく、むしろ石ゆえの沈黙を守って実に大きな効果を発揮しながら、しかも、これらの石たちがかつて胡同の生活の一部であったであろう石臼の断片であったりするがゆえに、過去から現在までの時間の刻まれた胡同に実に何気に溶け込んでいると言ってよいのではないか。

そして忘れていけないことは、この石たちがこの場に実に何気なく溶け込むだけではなく、溶け込むことによってさらにこの場によりいっそうの奥深さと深い味わいとを与えるのに一役も二役もかっていることだ。急いで言い添えておけば、この石たちをご覧になる方の中には日本庭園の飛び石や龍安寺の庭に置かれた石を連想する人もいらっしゃるかもしれない。また、すぐれたオブジェをここに見る人がいてもおかしくはない。いずれにしても、一つひとつの石は、なんと豊かな表情をしていてることだろう。


次に数枚ですが、胡同を舞台にしたストーンショウをご覧いただきましょう。















石は、たしかにカタい。それゆえに長い間多くの人々に愛されてきたのだと思えるし、これらの石たちもそのカタさゆえにこの場に置かれているわけだが、一方、この場の雰囲気に実に何気なく溶け込み、さらにこの場の雰囲気をよりいっそう魅力的なものにしているという意味でこれら石たちは実に柔らかいともいえる。胡同を舞台にあまりに見事な離れ技を見せてくれるこれら柔らかい石たちに、私は脱帽したい。    




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第1回 通州の胡同・回民胡同(その一・プロローグのようなもの)

2014-06-01 05:30:26 | 通州・胡同散歩
胡同(フートン)といえば、北京旧市街(内城外城)のそれから歩き始めるのが常道というものでありましょうが、
このブログでは、開発ラッシュに沸騰する地元・通州に今もその命脈を保つ胡同のお散歩日記から始めたいと
思います。(なお、以下の日記がおもに昨年秋から冬にかけてのものであることをお断りしておきます。)
  
 
まずは下の清末光緒時代通州城の地図からご覧ください。

北京旧市街がかつて城壁に囲まれていたように、ここ通州も城壁に守られていたんですね。
それに、写真では小さくてよく見えないかもしれませんが、ちゃんと鼓楼だってあったのです。
ちなみに今回ご紹介する胡同は、この写真を四つに分割すると右側の下に位置しています。
 
通州は京杭運河の北端。かつて南方から運ばれた物資は、いったんここに集められ、
さらに元の時に開削された通恵河で北京に転送された。通州は南方から運ばれた物資の
集積地として重要な地位を占めていた。地図の下半分の所に、「中倉」「西倉」が見える。
資料によっては、南倉もあったという。なお、現在の通州は、再開発の真っ最中だが、
再開発に当たって何らかの理由で過去に失ったものの再現に力を入れている、といえる
側面もあるようだ。
 

かつて下のような帆船が運河を行き交っていたのかと思うとワクワクしちゃいます。

いつか通州から杭州まで船旅ができるようになったら愉快すぎる。
いや、その前に通恵河で通州-北京間を小さな船の旅、なんていうのもおもしろい。
こんな夢も、愚公移山で、いつか実現してしまうかも・・・。


1920年代 
 

1930年代



上の写真に見られるような船で通州にいったん集められた物資は、通恵河でいざ北京へ!!
 
写真は、荷物が運び込まれた北京東便門あたり。荷物の背後に見えるのは内城と外城の
間の城壁。1800年代末に撮影。
 


・・・ということで
それでは、かつて、いや現在もそして未来も運河の街・通州の胡同散歩をはじめたいと思います。


回民胡同への入り方にはいくつかあるのですが、今回は新華大街、くわしくは新華東街沿いにある
「??商厦」入り口横手、南大街から入りました。南大街に入り、左手の一本目の通りが目指す
「回民胡同」です。

屋上に時計台があるのでわかりやすいかも・・・。




南大街「华联商厦」の横手を歩いていると、物売りのおばちゃん。いつも笑顔が素敵なので一枚。
こんな素敵な笑顔に出会うのも胡同歩きの醍醐味の一つなんですが、ここが肝心、胡同歩きのはじめに
このような笑顔に出会うのは、さい先がよいのです。
 



ほんのすこし行くと、靴修理の札。奥にもあります。
これを見るとなぜかホッとするんですね。きっとこの札が「ここから先が回民胡同ですよ」って私に声を
かけてくれているからかもしれません。
 


胡同の入り口、角地という商売にはもってこいの場所で店開きしてる靴修理のおじちゃん。
このおじちゃんの前を通る時、たいてい「ニイハオ」って挨拶するんですが、おじちゃんもほぼきまって
「ヤァ、こんにちは」といわんばかりに片手を上げて挨拶を返してくれるんですね。
 この日は、日差しが強くまぶしかったので、お顔がよく見えません。
この隣に自転車修理のお兄ちゃんがいることもあるんですが、当日はお休みのようだった。写真には写って
いないけどこの日は他の人がいた。
 


これが回民胡同の入り口。



この入り口あたり、下の写真をご覧になるとお分かりのように、かつては「牛市口」と呼んでいたんですね。
清末光緒通州城地図の一部。
  

牛市口、つまり牛の市場の入り口ってことですが、このあたり、通恵河が開鑿された至元29年(1292年)前後、
「牛市」(または羊市とも)と呼ばれる市場があって、その牛市を中心に食糧・薪・ラバ・雑貨などのマーケット
があったとか。
その後、漕運が盛んになるにつれ、集住する回民の数も増え、この市場も東側一帯に拡張。俗に牛市胡同と呼ばれ、
その西端が牛市口だったわけなんです。

そして時代が下って明の嘉靖7年(1528年)以後の漕運盛時、回民の集住者がさらに増え、当然、胡同の数も増えて
いくわけですが、その頃の牛市胡同の正式名は回回大条胡同。

もちろん、この牛市胡同や回回大条胡同がやがて現在の回民胡同になるわけですが、それは清朝が倒れ、中華民国
の成立した一年後の1913年以後のことだったようです。
  
 
胡同入り口右側にある清真飯店「小楼飯店」。イスラム風なのですぐにわかります。

この飯店、もと「義和軒」という名で創業清光緒26年(1900年)の、いわゆる老字号(老舗)。

通州には名物が三つ。通州三宝といわれていますが、このお店の「小楼焼鮎魚」がその一つなのです。
もちろんこのお店には他にもおいしい食べ物がありますが、「小楼焼鮎魚」も含め、日を改めてご紹介
したいと思います。

下は、小楼飯館という名前だった頃のお店。写真左側が回民胡同、店の前が南大街。
1950年代撮影。
 


 
回民胡同沿いの小楼飯店の先にはこんなお店が。

改革開放後一段とおしゃれ度のアップした北京や通州の女性達にとって欠かすことの出来ないお店です。
日本でいえば、美容院・美容室ですね。

今どきの北京、いやここ通州でもよく見かける、ガラスばりの明るくおしゃれなお店とはいささか趣が
ちがうのですが、あなどってはいけません、どうしてどうして客の入りはたいしたものなんです。
このお店の前を通るたびに何気に店内を観察すると、必ずといってよいほど鏡の前のイスは女性客で
いっぱいなのです。

ちなみに私が通うのは自宅近くの理髪店。散髪と洗髪でしめて15元。付き合い始めて9年になろうと
していますが、通い始めは6,7元だったのがその後12元に。そしてすこし前から15元。物価の上昇は
こんな所にも影響してるわけですね。


美容室の前を先に進むと、こんなお店。看板でお分かりのように「涮羊肉(shuanyangrou)」、羊肉の
しゃぶしゃぶのお店です。冬の北京には欠かすことの出来ない料理の一つ。
看板はあるのですが、なぜかお店の名前がありません。
 
このお店、昔からずうーっとここにあって、しかも昔からずうーっと閉店中なんじゃないか?って思えて
しまうような店構え。名前がない?のも、ちょっと怪しい。怪しく、かつミステリアスなお店。

実は、日本でもそうなのですが、このようなお店こそ要注意なのです。実際、今回の胡同をひとわたり
歩いた帰り、この店の前を通ると人の気配が。
そこでガラス越しに中をこわごわ覗いてみると、なんと薄暗い店内にお客さんたちがところ狭し
(とはいっても、もともと店内は狭いようですが・・・)と飲食しながら、なにやら談笑中といった
あんばいじゃぁありませんか。

おそらく、地元の昔からのファンが集うお店、もしくは、ひとたび訪れた客のハートをギュッとつかんで
放さない、私などにははかり知れない美食の三昧境にいざなってやまない、そんな豊かさを秘めたお店
なのかもしれません。

華やかさや見た目の新しさとは程遠い存在として人目にその姿を惜しげもなくさらしながら、変動激しい
北京・通州にあって、時代の流れに媚びることなくおのれのスタイルを堅持しているこのお店は独特の
魅力を放っているのです。

今後もこのスタイルのままなのか、はたまた何らかの変貌を遂げてしまうのか、これからも目を離すことが
できませんね。


?羊肉のお店の写真を撮っていると、どこからともなく子供達の声が・・・。声のするほうに行ってみると、
路地の中で小学生たちが遊び戯れていました。
 

昼休みの食事もすませ、午後の授業の始まるまでの時間、ここで羽を伸ばしているのでしょう。
イスに座っているおばあちゃんが、撮影許可のサインを送ってくださったので、路地の中に入り、一枚。
 

小学生たちの写真を撮った後、路地から道に戻ると、ちょっと前までは誰もいなかったはずのところに、
いつの間にか、どこからともなく現れ、ちょこんと腰掛けた少年ひとり。

とまどいつつも撮影してもいいかと訊ねればその首を縦に振り,カメラを構えるとこんなポーズをして
くれました。題して「謎の少年」。 
 
と書いたものの、少年からすればこの寒空にカメラを持ってウロウロしているこっちこそが謎だっちゅうの!!

 
ここが、あの小学生たちが通っている小学校。「通州区民族小学」。



窓の形が独特なのです。



そして、小学校の前は、清真寺。中国式モスク。

ここは北門ですが、礼拝堂に通じる門というよりも、どちらかといえば幼稚園の出入り口と呼んだ方が
よいかもしれません。
ご覧になってお分かりのように、敷居がありません。そのため送迎バスにとってはもちろんのこと、園児
やその保護者にとっても通行しやすいのではないでしょうか。ましてや、私のような部外者にとっても、
敷居をまたぐという儀式めいた所作に伴う緊張感を味わうことなく、中に入ることが出来るんですね。


北門横の電信柱には、こんな看板も。



中に入ってみると、幼稚園の案内板。






さらに中はこんな感じ。どことなくイスラム風でどことなく中華風。


写真右奥の水色の壁沿いに左に行くと幼稚園。
 


右側奥の建物が教室の一つですね。
昼食の時間が終わり、昼休み中で園内はとても静か。さらに奥に入り、園児たちはもちろん、先生方を
驚かしてはいけないので、ここでUターンすることに。
 



北門の裏側。

私は残念ながら実見していないのですが、この北門、はっきりしたことはいえないのですが以前は
いわゆるモスク風だったとか。
創建が元の延祐年間というから、現在まで700年ほどが経っているわけですが、その間にたとえば
旧日本軍からの災禍も含めいろんなことがこの寺に降りかかり、外観も幾多もの変貌を遂げてきた
ことでしょう。でも、そんなお寺もいつもかわらず回民の人たちの心のよりどころであったんですね。

 








写真を撮っていると、子供たちの声が。
午後の授業が始まったようです。

生徒たちが校庭で何か始めようとしています。


まさか、寒さしのぎに

   おしくらまんじゅう

でもやろうって訳ではないと思います。

ましてや、

  
   咲いた 咲いた チューリップの花が
   並んだ 並んだ 赤 白 黄色
   どの花 見ても・・・

なんて声をそろえて歌う訳があろうはずもありません。

ちなみにこの小学校のホームページを見ると、学校の前身は「穆光小学」。「穆光」は日本語で
「ぼくこう」、中国語で「muguang」。1938年に回民の人たちによって創られ、1940年に正式開校。
1955年「回民小学」となり、1957年「民族小学」となったとありました。
生徒数全学年あわせて180人、その中少数民族生徒は56人で全体の31%。


子供たちを見ながらとりとめのないことを考えていると、なぜかこんなものが目の前に広がりました。


               マーク(マルク)・ロスコの作品。


小学校入り口のすぐ隣には、胡同に欠かすことのできない、これ。

胡同にお住まいの方にはご不便なこともあるかもしれません。でも、私のような胡同歩き愛好者に
とっては、とりわけ冬場などには十分にその必要を満たしてくれるたのもしくも強い味方。

これがあるから、安心、かつ、スッキリした気持ちで胡同歩きができるわけですね !!

道から少しさがった奥に設置されている点も、いいのです。
 

そうして私の前には、こんな人が。
胡同を清潔に保ち、その美観を維持するための一翼を担っているのが、黙々と作業を続けるこんな人。



そういえば、こんな人にも出会った。落ち葉が散り始めるほんのすこし前の頃、この日は突然の
強風に木の葉が吹き落とされた。その散った木の葉を掃き集める地元住民。
場所は今回歩いた胡同ではなく、後日ご紹介予定の「安家大院」という胡同。


胡同歩きの愛好者が快適に胡同を歩くことができるのも、こういう人たちがいればこそ。私のような
のん気者はそういうことをすぐに忘れてしまうから、猛省。

胡同歩きは、楽しい。そして疲れないのです。ならば、私にとってどのような胡同がそうなのか。
贅沢なことをあえて書けば、観光旅行者向けにこれ見よがしにあまりにも整備されすぎた観光用胡同や
自転車でひく三輪車が走っているような胡同ではないほうが、私には合うようです。もっとも、そういった
観光客用の胡同にも、それはそれで観光地としての楽しみ方はあり、また、かりにそのような胡同で
あっても、ちょっとはずれて脇道に入ってみると、ハッとするような胡同のある場合も無きにしも非ずと
いえなくもないのですが・・・。
 
話をもとに戻し、楽しく、疲れない理由や原因はたくさんあるであろう中のいくつかを上げれば、たとえば
街の中にありながらも、胡同に一歩足を踏み入れると空が広い。どこかしっとりとした落ち着きのある静か
なたたずまいが、いい。そして、見逃せないのが、先に写真で見ていただいたような掃除係や住民一人ひとりの
黙々とした営みのもたらしたたまものであるその道のありよう。
  
 
すこし前、近所の飲食店の壁にこんなポスターが。



そして、自宅アパートにもこんなものが。
 
運河や燃灯佛舎利塔も登場。



新しい街づくりに立ち上がった通州!!
その一端を垣間見せてくれるのがこれら三枚のポスター。
スローガンも絵柄も素晴らしい!! 
 
でも、スローガンが立派であるということ。それは見方によってはそのスローガンが立派であればあるほど
そのスローガンとは真逆の重い現実があるということを示している、と言えなくもないんですね。
 

今回の結びの言葉にかえて、ここで胡同にその居を構えるひとりの畏友をご紹介いたしましょう。

胡同特有の壁。その壁を背景に胡同の美化のため、そしてスローガンを実践すべく日々孤軍奮闘するワンさま!!
 
こんな素敵な友人を得ることができるのも、胡同散歩の醍醐味の一つなのです。

通州、いや北京の街にもこんなワンさまがもっと増えるといいかも・・・。


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