北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第196回 北京・前海にて 夏は水辺で昼食を

2018-06-28 10:20:03 | 北京・胡同散策
この日は、カラダが溶けてしまいそうな暑さだったのですが、地安門大街での用事も無事にすみ、
その足で煙袋斜街に行ってきました。





ここは観光スポットのひとつということで、おしゃれな雑貨店にカフェなども多く、地方からの
中国人観光客をはじめ、外国からのお客さんや多くの若者たちが訪れます。



この日は、昼食時間も近かったためか、通行人も割と少なく、幸いのんびりと歩くことが出来ました。



普段は一軒一軒のぞいてみるだけでも楽しいお店ばかり。でも、この日は暑さ負けして、
カメラのシャッターを切る回数も減ってしまいました。ですから今回はとくにお店の紹介もありません。

そんな中で、露天商のお兄さんの笑顔に救われた思いです。





広福観という道教のお寺です。





物売りのお兄さんの笑顔のお蔭でやっと暑さも半減、と思ったのも束の間。

・・・・・うぅー、あつい、暑い、熱い。



途中で買ったアイスクリームも、ご覧の通り。




こんな可愛らしいものが。





ここは「大清郵政信櫃」。







内部。



荷物を運ぶ駱駝隊と旧北京東駅との組み合わせがおもしろく、ついつい絵葉書を買って
しまいました。


清末にできた旧北京東駅の正式な名称は「京奉鉄路正陽門東車站」で、北京と奉天(現在の瀋陽)
とを結ぶ鉄道の起点。1950年代の終わりごろに現在の北京駅ができ、その使命を終えました。
その後、鉄道労働者クラブ、「老車站商場」(ショッピングセンター)となり、現在は「中国鉄道
博物館(正陽門館)」として活躍中。

ここからほんの少し戻り、前海に通じる道を抜け、前海沿いの「慶雲楼飯荘」にやってきました。


時代の流れでしょうか、およそ一年前とは違い、お店の一階部分が三分割されていました。
お店の出入口が他の二店舗にはさまれた格好です。

それはそうと、お客さんでいっぱいだったのですが、幸運にも二階の窓側に座ることが出来、
窓ガラス越しにこんな景色を眺めながら簡単な食事が出来ました。





メニューも従来のものに新しいものが加わっています。

今回は、新しいメニューからベトナム風野菜カレーとやはりベトナム風チャーハン(?)の
二品を選んでみました。





二品とも、わたしにはもったいないくらいに美味しかった。

そうして食後。
今度は、屋上からの美味な風景を堪能です。

まずは、眼下を走る煙袋斜街。



お次は、鼓楼様と鐘楼様。


手前が鼓楼様で奥が鐘楼様。
いつ拝見しても凛々しい鐘楼様のお姿にすっかり暑さを忘れることが出来ました。感動。

そして、前海。
昼食の時間帯なので舟遊びをしている人はおらず、前海沿いを歩いている人の姿もまばらでした。



先にも書きましたが、当日はカラダが溶けてしまいそうな暑さでした。
しかし、そんな暑さの中にあっても水辺はあくまで涼しげで、穏やかな
時間が流れていました。


夏は水辺で昼食を。


夏は やっぱり これでしょ!!






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第195回 北京・小報房胡同(後) 謎の洋館と『大清郵政總局』誕生から『北京郵政博物館』閉館まで

2018-06-21 13:48:11 | 北京・胡同散策
いよいよ謎の洋館めざして出発です。

民国期に国民党憲兵19団の駐屯地であったという洋館と今は閉館されてしまった北京郵政博物館
の間の路地。





小学生が追いぬいていきました。





小報房胡同13号。



こういう年季の入った物件と出合えるとは思いもしませんでした。
得した気分。







住民の“体温”が伝わってくる木製手作りの郵便受け。
字体もおもしろい。



郵便受けを後にして、さらに進みます。




写真左手の門柱らしきものに「不通」と書かれています。

これ以上先へは行けないのかな、と思ったのですが、奥を見ると突き当たりに細い路地。





とにかく「あの路地のところまで行ってみよう」と思い、行ってみました。

う、だいじょうぶ、道がありました。






干された布団、鉢植え、電動バイク。ここを境に道が二手に分かれています。
奥の道から歩いてみることにしました。











奥に見える布団をくぐると、足元に犬かネコの足跡。



そうして、見上げると、ありました洋館が。



「やったぁ」。
そんな感激の言葉を心の中でつぶやいたものの、ここからでは洋館にこれ以上近づくことが
できません。そこで、取り急ぎもとに戻って、もう一本の道を行ってみることに。



急いだため、途中写真を撮り忘れてしまったのはうかつでした。



とうとうやりました。突き当りを左折すると、洋館の玄関。



なぜか緊張気味。恐る恐る近づいてみました。



傷んではいるものの、貫禄十分な洋風玄関です。



この建物、もとはどのように使用されていたのか不明。
玄関の周りには平屋住宅がひろがっていますが、それら平屋住宅の場所は、もともとはこの
洋館附属の庭ではなかったのかと勝手に想像している次第です。



外壁のタイルを見ると、貼りかえられてそれほど長い年月は経っていないようです。
その辺りからの推測ですが、この建物は今後も取り壊されることなく、無事に保存され、
蘇るときがいつかやって来るのでは。



空調の室外機など、それほど時間が経っていないものもあり、今もどなたか住んでいらっ
しゃるのかな、と思ったのですが、洗濯物を取り込んでいらっしゃった方にお訊ねしてみ
ると、今は誰も住んではいないとのことでした。



いったい内部はどうなっているのか、中に入ってみたい、そんな疑問や気持ちももちろん
あったのですが、玄関の中に一歩足を踏み入れると、外とはまったく違う静けさ、その上、
流れているのは、ひーんやりとした空気。

・・・・・これ以上進むのは、またの機会に譲ることにして、再び21号の前へ。

下の写真は、21号の前から西方向を撮ったもの。



写真奥を横切るのは崇文門内大街。




これは、胡同の西出入口から東方向を撮ったもので、正面奥に小報房胡同7号「大清郵政總局」
の旧跡(後に北京郵政博物館)が写っています。

次に、不備な点や不確かな点があるとは思いますが、「大清郵政總局」設立から「北京郵政博
物館」閉館までの流れをとりあえず駆け足で追いかけてみました。ご興味をお持ちの方はご笑
覧ください。(参考:王彬・徐秀珊主編『北京地名典』修訂版、中国オンライン百科『360百科』)

〇光緒二十三年(1897)二月二十日、大清郵政總局設立される。場所は、旧使館区東交民巷
 台基廠にあった海関総税務司署の廟内。
〇光緒三十一年(1905)、小報房胡同に總局移る。
〇光緒三十三年(1907)、總局が東長安街に移る。小報房胡同の郵局は、東単牌楼支局となる。
〇民国三年(1914)、東単牌楼支局、北京第一郵務支局となる。
〇民国十九年(1920)、北京第一郵務支局が崇文門大街支局となる。
〇新中国成立後、郵政支局、郵電部などが置かれる。名称は崇文門大街支局のまま。
〇1995年、民居となる。
〇1996年、北京郵政博物館となり、翌97年2月19日に開館。東城区文物保護単位となる。
〇2002年7月15日、閉館される。

なお、たまたま見つけた中国網の記事によって、この博物館が奇妙にも2009年11月に取り壊され
ていることを知りました。この点については前回ご紹介した中国人ブロガー老土坷垃さんの記事
(《看照片讲故事》系列之“话说小报房胡同”(一))でも触れられています。

『北京市東城区文保単位大清郵政局未批先被拆』中国網(2009年11月27日)
新闻">news.china.com.cn>新闻

東城区の文物保護単位であったものが取り壊されてしまう不可解さ。
北京の胡同を歩いているとこういう不可解さに出っくわしてしまうのも胡同散策の醍醐味のひとつ、
なんて間違ってもそんな風には思いたくありませんよね。


 
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第194回 北京・小報房胡同(前) 二棟の洋館及び『大清郵政總局旧跡』など

2018-06-15 11:20:47 | 北京・胡同散策
今回は、南八宝胡同沿いにある小報房胡同(XiaobaofangHutong/シアオバオファンフートン)を
散策してみました。




この胡同には出入口が西口と東口の二ヶ所あるのですが、当日は前に書いたように南八宝胡同沿いの
東口から歩き始めました。

沿革をざっと書きますと、清の乾隆帝の時代には「報房胡同」、時代が下って清の光緒帝の時代に
「小報房胡同」となり、それが現在まで続いています。




海友酒店(Hi Inn Hotel)。宿泊費の廉価なホテルチェーン。住所は南八宝胡同23号。




小報房胡同3号。
歩いた当日は分からなかったのですが、後日中国人ブロガー老土坷垃さんの記事によって、
以前ここが「郵電部」職員の宿舎であったことを知りました。
ご興味をお持ちの方は次のブログをご覧ください。(『《看照片讲故事》系列之“话说小报
房胡同”(三) 老土坷垃』)




外壁など、改修後数年しか経っていない様子。

突き当りのお宅の門扉と郵便受け。



そして、玄関先には年季の入った牛乳びん受けの箱。






人が集まっています。



こちらは東交民巷小学校(分校)の北門(「船板胡同」に南門あり)。
低学年の生徒たちの下校時間で、関係者が迎えに来ていました。



先に挙げた中国人ブロガー老土坷垃さんによると、ここは以前“北京鉄路第一小学”という
小学校だったようです。

ちなみに、東交民巷小学校の本校は、ここから真西の旧使館区“東交民巷”にあり、住所は
北京市東城区台基廠大街14号。

学校の校門に次のようなプレートが貼られていました。


中央戯劇学院。
こちらは中国の演劇関係を代表する学校ですが、わたしの知っている中央戯劇学院は、
北京東城区東綿花胡同にある学校。ここに分校(?)があることは知りませんでした。

さて、目を学校から転じて、学校の対面、西方向に走る塀沿いに注目です。
歩いてみると分かるのですが、そこには灰色の高い塀が続き、しかもその上には鉄条
網(?)まであり、さらには実に味気ない、それを見る人のまなざしをはじき返すよう
な閉ざされた鉄の門扉まであったりと、なんともやりきれない風景がひろがっていま
した。






この小報房胡同を歩いた当日、
「いやに冷ややかな風景がつづくな」、
そんな印象を持ったものでしたが、後日、先に挙げた中国人ブロガー老土坷垃さんの記事を
見つけ、記事を拝見しますと、ここは住所は5号で、現在の用途は分からないものの、以前
ここには通称“部長大院”と呼ばれる屋敷があったことが分かりました。名前の由来は、「
郵電部」の部長、副部長が暮らしていたからなのだとか。おそらく社宅ではなかったかと思
われます。記事には、屋敷の外観や庭など貴重な写真が紹介されています。(《看照片讲故事》
系列之“话说小报房胡同”(二))。

この部長大院が現役であった頃の風景と現在のそれとはだいぶちがっていて、部長大院のあった
当時の方がまだよかったのではないかと、正直残念で仕方ありません。



次の写真右手。


やはり灰色の高い塀がつづいており、当日、個人的には「まったく残念だな」と感じてしまったの
ですが、老土坷垃さんの記事によって、以前、この辺りには今は閉館された《北京郵政博物館》(
後述)の入口があったことが分かりました。住所は小報房胡同7号。(《看照片讲故事》系列之“话
说小报房胡同”(一))

話しは変わりますが、高い塀沿いを歩いて行くと、今までと違う輝きをおびた風景が目に飛び込ん
できました。なんと、洋館があったのです。



外壁を塗りなおして、まだ数年しか経っていないようです。




上の写真、洋館の東側斜め前に、シャッターが見えますが、そこは1905年から1907年まであった
「大清郵政總局」(のち北京郵政博物館)の一部。

そのシャッターのある建物と洋館の間に路地があります。この路地はあとでご紹介させていただくこ
ととし、まずは洋館を。



住所は小報房胡同21号。
前掲のブログによりますと、民国期、国民党憲兵19団の駐屯地として使われていたようで、新中国
成立後は外貿部宿舎だったようです。

胡同を歩いていると何に出っくわすか分かったものではありません。中国にも憲兵のいたことは
知っていたのですが、ここでその駐屯地の一つに出合っていたとはまったく意外で、下調べ不足
をつくづく感じたしだいです。(《看照片讲故事》系列之“话说小报房胡同”(三))

まずは門墩(mendun)から。



真上にも彫り飾り。







玄関脇には、鉢植え。











門洞を抜けて、反対側。





洋館の外壁が灰色に塗られておらず、レンガがむき出しになっています。



しかし、このレンガの色が美しく、見とれてしまった。











見上げると「内蒙古大厦(Inner Mongolia Grand Hotel)」。



目を右側に移すと、やはり魅力的な洋館が。


こちらの住民の方三人ほどにお訊ねしたところ、この洋館が何かは不明とのこと。
現在使われていないのかもしれません。

この洋館まで無事にたどり着けるかどうか不安もあったのですが、さっそく行って
みることにしました。



玄関に戻ると、下校するお孫さんを迎えに来たおばあちゃんが玄関内の日陰で休んで
いらっしゃった。



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第193回 北京・南八宝胡同 名前の美味しそうな胡同たち

2018-06-05 10:20:33 | 北京・胡同散策
今回は、前回ご紹介した昔はハイカラな場所だったのでは、と思われる後溝胡同の北端から
すぐのところにある、ある意味でいかにも中華的な名前の南八宝胡同(NanbabaoHutong/ナ
ンバーバオフートン)を散策してみました。

陽を浴びる「南八宝胡同」と書かれたプレートがまぶしい!!



この日は、蘇州胡同沿いにある北出入口から散策を始めました。





実にシンプルで分かりやすい看板。

「旅館」





おじゃましてみました。



入って右手にフロントがあり、係りの女性がソファに腰をおろして熱心に刺繍してました。



扉の中をご覧ください。



二種類の中華式の建物がありました。
時代の違いを反映しているのかもしれません。

こちらは北京でよく見かける彩色を施した建物。



それに対して向かいの建物は彩色なし。
螺旋階段で二階にあがるようになっている点に限り現代的です。





一階には部屋はなし。
植木鉢やテーブル、その他こまごまとしたものが。

あと後まで記憶に残っている灯篭(提灯)。



残念ながら、各部屋の内部は宿泊客がいらっしゃって拝見することができませんでした。

「旅館」を後にして再び散策。

路上の木陰で、只今、お食事中。



お店。



餃子専門店でした。もちろん水餃子です。



一人前20個で、15元。1元はだいたい日本円で17円ぐらいですから、およそ255円なり。

メニューを見ると美味そうな餃子ばかり。この時はお腹がすいていなかったので食べませんでしたが、
あとで後悔しきり。

なんと、その隣にもお店が。







涼しげな朝顔やひょうきんなヘチマにお目にかかるのには、もう少し時間がかかります。





看板のない肉屋さん。地元の方にとっては看板の有無など関係ないのかもしれませんね。





中華式と現代風、異質な二種類の扉が仲良く並んでいるのかな、と思ったのですが、
よくよく見ると、現代式のドアに中華をちゃんと取り入れているのが興味深い。




この辺で「南八宝胡同」の沿革などについて。

「南」という方角を示す言葉についてはさておいて、「八宝」とは、一般的に多くの材料でつく
った料理の名前に使われる言葉。

たとえば、もち米に干し葡萄、さくらんぼの砂糖漬け、はすの実、干し竜眼などを加えて蒸した
八宝飯。八種の薬味入りの八宝粥など。

多くの材料を使っている点では共通しているのですが、北京、広く中国では日本で言う「八宝菜」
はありません。北京で八宝菜という名前を探すと「八宝醤菜」のことで、これは生麩、竹の子、
大根、白菜、落花生、杏仁、干し豆腐などの材料を醤油につけた漬物を指しています。

さて、日本、中国に関係なく「八宝」という言葉は食べ物関係に使われているわけですが、この
言葉が今回の胡同名として使われたのは、日本の方には映画『ラストエンペラー』でおなじみの
清の最後の皇帝宣統帝溥儀さん(在位1908ー1912)の時代からで、それが現在まで続いていると
いうわけです。

では、宣統帝以前にこの胡同はなかったのかというとそうではありません。現在分かっている
範囲で書きますと、乾隆帝(在位1735-1795)の時代の1750年に作られたといわれる『乾隆京
城全図』にはちゃんと載っていて、乾隆帝の時代にはすでにあったことが分かります。

ただし、その時の名称は「南八宝胡同」ではなく「巴巴胡同(バーバーフートン)」。

この「巴巴」という言葉、聞くところによると、とりわけ食事の時などにはエチケット上、口に
出していうのは好ましくない、間違えて口に出して言ってしまうと周りの方たちから白い目で見
られかねない、そんなものを指す幼児語なのだそうです。もっとも、この「巴巴」も食べ物に関
係しているのですが・・・。

いったいどうして、こういう言葉が乾隆帝の時代に胡同名として使われていたのか実に興味深い
テーマですが、この辺のことについての詮索はここではこのくらいできりあげ、次に今はもう
残っていない胡同もありますが、「八宝」という言葉が使われている胡同名を少し挙げておきま
した。ご興味をお持ちの方はご覧ください。何らかの相違点や類似点が見つかれば、それだけで
北京という街が今まで以上にぐっと身近な場所になり、北京へのまなざしもいっそう温かみをお
びてくることまちがいありません。

八宝胡同、八宝楼胡同、東八宝胡同、八宝坑胡同、珠八宝胡同、牛八宝胡同、八宝甸胡同など


次はこの胡同沿いにある「小報房胡同」の東出入口。



こちらの小報房胡同には、いくつか見どころがあるのですが、その中でも個人的に“謎の館”と
呼んでいる洋館がおすすめです。

さて、もとに戻ると男性があくびをしてました。





男性のあくびに吸い込まれかのように入ってみました。



こちらは外壁を改修中に工事を休止してしまったといった様子。





上の写真の右手アパートの窓辺。





木陰に入るといい気持ち。



写真奥を横切っているのは“船板胡同”。



胡同を後にしようとすると、袋に入ったスイカをさげた女性。スイカにつられて
ついついシャッターを切ってしまう。



当日は五月の下旬に入ったばかりだというのに夏日を思わせる高気温で、一足早い
西瓜日和。

余談ですが、西瓜といえば北京のスイカ。そして、北京のスイカといえば北京南部
の大興区の西瓜。ここは中国初の『中国西瓜博物館』まである西瓜の名産地。産直
なので新鮮でいっそう美味い。

これから夏も本格的にはじまり、西瓜も本番。夏の風物詩を皆さんもどうぞお召し
あがりを。



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