北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第14回 特別編・瀋陽を歩く

2014-10-27 00:22:06 | 旅行
今回は、北京の胡同にお住まいのライター・多田麻美さんとカメラマン・張全さんのお二人が
瀋陽を歩きます。

詳しくは『「北京の胡同から 第68回」東北地方の旧市街地をめぐる旅②瀋陽』をご覧ください。

お二人の独自のまなざしがとらえた瀋陽の歴史、建物、そこに暮らす人々。
歴史好き、建物好き、そして人間好きの皆様にはもってこいの一品!!
どうぞごゆっくりご賞味くださいませ。

ご興味のある方は、次のURLを。
「北京・胡同逍遥」(10月13日付け)
http://d.hatena.ne.jp/lecok/20141013/1413181445

または、

「北京の胡同から 第68回」東北地方の旧市街地をめぐる旅②瀋陽
http://www.shukousha.com/column/tada/3551/

なお、当ブログの左横ブックマークにもURLがございますのでご利用ください。


通州のすみっこで、つましく、
ひっそりと暮らす私から一言↓

私も金融博物館の人形たちを観てみたーい◎◎!!


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第13回 通州の胡同・劉菜園 (その三・広場の愚者)

2014-10-19 04:05:08 | 通州・胡同散歩
広場に引き返した私は、広場の真ん中に立ってぐるりと辺りを見回したり、以前ご紹介したトイレの
脇にやはり以前のように立ってみた。

私がした忘れ物なるものが何だったのか。
私はうかつにも見落としていたのです。

それは写真に見える黒の油性インクで書かれた数字だったのです。




それを思い出させてくれたのが、前回もご紹介した壁の一部に白のチョークで書かれた数字であったことは
いうまでもありません。



私にはこの計算の過ちを笑う気にはなれません。私自身が見落としをし、それを気付かせてくれたのは
このたわいもない過ちを犯している数字なのですから・・・。


話を黒の油性インクで書かれた数字に戻せば、これは胡同にお住まいの人たちが書いたものではありません。
もちろん、胡同の子供達の書いたものでもない。
具体的な職種名はあげませんが、ある種の業者の仕業なのです。

この黒の油性インクで書かれた数字。それは、例えば先にご紹介した白のチョークで書きつけられたものとは
明らかに違います。
月並みな言い方をすれば、雲泥の差、月とスッポン。当ブログのロゴである月からの使者・兎児爺(tuerye・トゥアルイエ)
もその首を縦に振ってくれること、疑う余地などまったくありません。

子供たちが書きつけたものは実にたわいのないもの、と私には感じられるのです。
計算の過ちが、おもしろい。マルを書いてその中にバツが書かれている所など、この壁の前での子供たちのやり取りが
目に見えるようで実にほほえましい。

何と言ってもチョークを使っている点が、いい。子供たちは子供達なりに気を遣っているのでしょう。
雨が降れば消えてしまう代物です。
それに子供たちの落書き一般について私の知る限りのことを言えば、子供たちの落書きは書かれている場所の範囲が
子供たちの遊び場所という、いたって狭い範囲に限られているのです。

それに対して、ある種の業者が黒の油性インクで書いた数字は、チョークで書いたものとは違い消えにくいし、
消すには手間ひまがかかるのです。
それに子供たちの落書きとは違い、書かれている場所の範囲が実に広い。所かまわず、人の目のつくところなら
どこにでも書かれているのです。

例えば、今回もご紹介した数字が書かれている壁は、私がやっとの思いで狭い路地を抜け広場に出たすぐの所だし、
さらにさかのぼってやはり前にご紹介した次の写真を確認の意味で掲げておこうと思います。



これは、私が劉菜園に入り最初に見た突き当りの光景。ドアの左側にやはり黒の油性インクで書かれているのは、
ご覧の通りです。

ついでに次の写真もご覧ください。
これは、私が前回狭い路地を抜け出た所で目にしたもの。



次は、広場から回民胡同の東端への出口手前のおウチを撮影したもの。



次は、前回ご紹介した門柱です。




以上の三枚の写真で注目していただきたいのは、壁や門柱にペンキが塗られているところです。

これは、油性インクで書かれた数字を隠すためにその上から塗られたものなので、応急処置的なものなのでしょうが、
これ自体も無残といえばあまりに無残な光景と言えなくもありません。
もちろん元凶は、黒の油性インクで書かれた数字であることを見逃すわけにはいきません。

私には、いくら私がノー天気だからといって、これらの油性インクで書かれた数字に向かって、たとえば、
「もっと丁寧に書かんかい! もっとカラフルに書いたらどうなんだ~!!」
などと、笑い飛ばすことはできません。

気が弱く臆病な私は、これらの黒の油性インクで書かれた数字を見ていると何だか呪われたような気持ちになってしまうのです。
だって、私の心の中では、黒の油性インク=黒のマジック=黒魔術なんですから・・・。

呪われた私は工場排水のようにどろどろになって川や海に流れ込み、そのどろどろになった私を魚が食べ、今度はそのどろどろになった
私を食べた魚もどろどろになり、さらにそのどろどろになった魚を今度は水鳥や人間が食べ、そのどろどろになった魚を食べた水鳥や人間もどろどろになり、そのどろどろになった水鳥や人間をさらに他の動植物や人間たちが食べてどろどろになっていく。
あらゆる動植物や老若男女が仲良く手をたずさえてどろどろになっていく負の食物連鎖は、おっかないです。


でも、ある種の業者がこの呪われた黒の油性インクで壁などに数字を書きつけてしまうのは、仕方のないことなのかもしれません。
彼らは生きるために必死なのです。
生きるために手段など選んでいるいとまなどないのです。
それに、何事にも歴史性というものもあり、ある出来事が生起するには不断の歴史の積み重ねがあってのことなのです。
万里の長城が一朝一夕で出来上がったのではないように、ふって湧いたように突然この世に現れ出たものではないのです。


それに私は以前、次のような記事を目にしたことが・・・。

記事の書き出しは、

中国を代表する名門大学のひとつ、北京大学構内にある慈済寺山門遺跡が落書きでいっぱいだ。
文化財として、もはや「息も絶え絶え」の状態。

というもので、油性インクや修正液で書かれた落書きも多く、中には、「9年後には、北京大学に入るぞ」などという書き込み
もあるというのです。(2013年/06/19(水)・サーチナ)

さらにさかのぼり、こんな記事も・・・。それは、

北京・故宮博物館の文化財、具体的には太和門近くに置かれている胴の水がめに「梁斉斉ここに参上」と
落書きされていたというものなのです。(人民網日本語版・Feb25 2013)


そもそも北京大学の学生だからといって文化的人間だという理由がないように、その大学への受験生だからといって、
やはり文化的であるとはいえず、文化を語る人間だからといってその人間が必ずしも文化的人間だとは言えないように、
文化財の見学者だからといって、やはりその見学者が文化的人間だという保証はどこにもないわけですが、それぞれの
落書きに込められた気持ちに違いはあるにせよ、受験生と文化財見学者、そしてある種の業者、これら三者がやはり
仲良く手をたずさえるように落書きにいそしんでいるのは私には興味深い。

これらの人たちは、早くおウチに帰ってママにお尻をぺんぺんしてもらうのがよいのかも・・・。
そうでなければこの困った仲良しさんたちには、これ!!
 

☆☆ 月にかわってお仕置きよ! ☆☆


・・・と書いたものの、上に見た黒の油性インクで書かれた呪わしい落書きなど、実は私がした忘れ物といっても
しょせん小さな忘れ物に過ぎません。私は広場にもっと大切で大きな忘れ物をしていたのです。

断るまでもなく、それを思い出させてくれたのは、あの壁の一部に白いチョークで書かれた数字です。
広場に立ってまわりをぐるりと見渡すと、ありました。



子供がチョークで書いた、たわいもない落書き。

こんなものも・・・。



拡大して見るとこんな感じ・・・。




そして、私は次の落書きを見たのです。




秋の陽射しを浴びた壁に白のチョークで書かれた落書きを見て、

「宇宙一美しい壁だな」

と、心の中でつぶやく私。

しかし、同時に、私は一つの過ちを犯していることに気付きました。


私は以前、この広場にドデンと置かれている石について、周辺住民の交通の邪魔にならぬようクルマ除けとして
置かれたものだと考えていました。私は、単純に過ぎたのではないか。

この広場は、胡同の子供たちが安心して遊ぶことの出来る遊び場所で、石はその安全性を確保するためにこそ置かれている
のではないか・・・?

もちろん、目の前の壁は何も答えてくれません。
でも、私は確かに聞いたのです。
それは、壁からあふれ落ちんばかりの子供たちの笑い声でした。

その笑い声を聞いた私は、やはりこの広場は子供たちの遊び場所だな、と嬉しくもあり、得意でもあったのです。
でも、次の瞬間、冷水を浴びせかけるようなこんな自問があったのです。

「この壁もいつか大きな力で踏み倒され、こなごなにされてしまうのではないか。仮にそうならなくとも、
やがて子供たちも大きくなり、この壁から笑い声も消え、大きくなった子供たちが白のチョークを黒の
油性インクに持ちかえて胡同の壁に数字を書き付ける大人になってしまわないという保証はどこにもないでは
ないか?」

私はそうだともそうではないとも答えることができませんでした。私には分らなかったからです。
私という人間はやはり分らないことの集積地だったのです。
もちろん、壁は何も教えてはくれません。

答えることの出来ない私は、しばらく秋の陽射しを浴びた壁をだらしなくぼんやりと眺めていました。
そうしていると、私は内心の声を聞いたのです。
その声は私にはまことに不似合いで、私自身いささか気恥ずかしくなるようなものでした。
でもその時、私には一つのことだけは確かに分ったのです。

この壁を背負えるでっかい背中が欲しい。

  
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第12回 通州の胡同・劉菜園 (その二・広場の憂鬱)

2014-10-10 09:22:52 | 通州・胡同散歩
スッキリした顔でトイレをあとにした私は、ゆとりを持って自分の立っていた場所を振り返ると
こんな眺めです。




さぁ、歩くかと、爽やかな気持ちで広場の方を振り返ると、


ガーン!!!

出たあぁぁ◎◎!!!


胡同歩きは、たしかに楽しい。

からだ全身にじわぁーっと染み渡るような喜びと楽しさに満ちた出遭いがあるのです。


以前にもご紹介したのですが、胡同を歩いていると、たとえば、

こんな人間大好きなワンちゃんや・・・



散歩中のYaYaや・・・



こんな素敵な電動三輪車などに出遭うことがあるのです。


(もっといろいろ素敵な出遭いがあるのですが・・・、
お見せするのは勿体ないので私だけの秘密にして写真紹介はこの位にしておきます。)


でも、胡同を歩いていると、そんな喜びや楽しさに満ちた出遭いばかりがあるわけではありません。
困惑に満ちた出遭いもあるのです。


トイレの後、緊張感のまったくなくなった私の目の前に不意打ちのように立ちはだかったのは、これ。



広場にドデンと置かれた石。

なぜこの石がここに置かれているかは、いくらノー天気な私でも分っています。
この石は、クルマ除けです。

ここで前回ご紹介した写真をもう一度・・・



この写真をご覧になるとお分かりのように、この広場、クルマを置くには絶好の場所ではないでしょうか。
ちなみに、写真奥左は回民胡同に通じる道で、さらに行くと幹線道路の新華東街に通じています。

以前、この広場を駐車場替りに使った輩がいたに違いありません。

もちろん、広場周辺にお住まいの人たちにとって、そんなことをされては困ります。交通の邪魔。迷惑千万なのです。
そこで、自衛手段、苦肉の策として考え出されたのが、この石というわけなのです。

ですから、私がこの石を見て困惑したのはなぜこの石がここに置かれているのかという理由が
分らなかったからではありません。

写真をご覧ください。



写真左側に見える丸っこい石は、以前にもご紹介した門dun(土偏に敦・mendun)です。
よく四合院住宅の玄関に見受けられるもので、単なる装飾品ではなく、玄関の門を支えるための重要な建築部材なのです。
この門dunに関しては、何の問題もないのです。本来の使いみちが分っていますから・・・。


私が困惑してしまったのは、写真右に見える四角い箱状のもの。
これは、いったいなんなんでしょうか!!!




この箱状の石を目の前にして、私はつくづく思いました。

ここ通州はかつて運河の街として、南方から運ばれてきた物資の集積地であったわけですが、
こんな石ひとつのことが分らない私という人間は、まるで分らないことの集積地だと。

そして、さらに・・・

「年の功より、亀の甲だな」と、心の中でつぶやいたのでした。

こんなことを考え、ノー天気なくせに柄にもなく目の前の石の箱のように心が重くなってしまった私。
でも、次の瞬間、こんなことを考えていました。

分らないことがあるから、その分らないことを分る楽しさもあるんだな・・・。
分らないことが多ければ多いほど、分る楽しさや喜びも多くなるわけだ・・・。

そして、

「亀は万年、鶴は千年。人間はせいぜい百年ちょっとでしょ! 亀さんは、やっぱり、すごいや! 私も亀さんを
見習わなくては・・・。亀さん、好き!!」と、意味不明なことを心の中でつぶやくノー天気な私でした。


石の前に立ってこんなことを考えていると、背中から首筋にかけて何かすうーっと私の後ろを通ったような
気配があったのでゆっくりと振り返ると、こんな女性がニコニコしながら立っていました。



気さくで、その笑顔同様、穏やかな話し方をする女性でした。

この女性、なぜか私が劉菜園を見て歩いていることを察していたようで、女性の後ろの回民胡同とは反対の方角を
指差しながら、
「あちらも、劉菜園ですよ。行ってごらんなさい」


女性が教えてくれた方角に行くと、私の目に留まったのは門柱とそれに続く塀に囲まれた一区域でした。



この門より中は、いったいなんでしょう。この周辺の住宅とは、ちょっと趣が違うようです。これから中に入ってみようと思うのですが、
その前に、この写真を見ていて今年の6月、北京の某胡同でこれと似た光景を見たことがあるのを思い出したので、そのときの写真をご紹介いたしましょう。



正面をご覧ください。



いかがでしょうか? ちょっと似ているでしょ。

門柱に「文明居民区」と見えますが、北京で見たこのエリア内は特別な場所なのです。
ということは、これはあくまで憶測なのですが劉菜園で私が訪れた門柱のある区域もある種特別な区域と考えてもよいかもしれません。

まあ、こんなことを考えるよりも、早速入ってみたいと思います。

中に入り、右側にはこんな平屋のおウチが並んでいました。




この光景を見て、私は回民胡同の通州供電の社宅内で見たやはり平屋住宅をすぐに思い出しました。確認のため写真をご覧ください。



よく似ている、というよりは、そっくりといった方がよいかもしれません。

ということは、この門柱の中にある住宅は、通州供電と関係があるのかどうかは別にして、通州供電の社宅で見た平屋住宅同様、ひょっとしてどこかの会社の社宅なのではないでしょうか。
しかも、通州供電成立が新中国成立後の1950年代も終わり頃ですから、この建物が造られたのは1960年前後かそれ以降だと考えてよいかも・・・。
以上のことはもちろん私の憶測に過ぎません。より確かなことは今後調べてみることとし、ここではとりあえず一つの記録としてあえて同じ建物を見たことをここでご報告しておきたいと思います。


それでは、この平屋住宅の並ぶ中に入ってみましょう。


中に足を進めると、こんなドア。



新年までまだひと月ほどあったのですが、正月を迎えるための飾り付けがしてありました。
と、書いたものの、これはひょっとして前年のものかもしれません。

中国では1912年に中華民国と改元して以来、新暦を国暦としているわけですが、旧来の行事習俗は、依然、ほとんど、
旧暦によって行なわれているのです。たとえば、新暦では正月は1月なわけですが、一般民衆の生活感情では旧暦に依拠しているため、少し遅れて正月がやってくるわけなのです。とすると、旧正月までにはちょっと間があるわけで、正月用の飾り付けをするには早いのです。
それに、新しい飾り付けにしては、少し傷んでいるようでもあります。



先に進むと・・・



やはり、正月用の飾り付けが。

正面から見ると・・・



これは、新しい正月用の飾りつけのようです。

お目出度い文字が躍っています。
そんな中でもドアに貼られた「福」の金字がひと際大きく光っています。
時にこの「福」の字が逆さまになっている時があります。これを初めて見たとき、不思議に思ったものですが・・・。
「福倒了」(fudaole・フーダオラ・福を逆さまにする)と「福到了」(福が着いた)という言葉が同じ発音で、両者を掛けている訳ですね。

ちなみに、入口両脇に貼られているのは、吉祥文字を書いた「春聯」です。


さらに先に行くと・・・



前のおウチの飾り付けに比べると、ずいぶん疲れています。やはり去年のものかもしれません。

ドアに貼られているのは、「福」の一字ではなく「門神」です。一名「桃符」とも。
昔、神ト(草冠に余・しんと)と鬱塁(うつるい)という神様がいてよく悪鬼を捕らえたので、桃の板にこの二神の像を描いて
門戸に掛けたのがはじまりだそうです。


ドアの紹介はこの位にして・・・



これは、各おウチの玄関脇にある物置です。
ご覧のように練炭が貯蔵されています。といっても、現在は煉炭で冬の寒さを凌いでいるわけではありません。
暖房器具は他にあるわけで、私の知るかぎりでは、いわば暖房やちょっとしたものを温めたりするための補助手段のようにお使いになっているようです。


次は、屋根の壁面です。




これは、この平屋住宅の並ぶ奥からの写真。南から北に向かっての撮影です。




そして、元に戻って再び門柱です。



この門柱にたどり着くまでの間、新年の飾り付けを見て、

「今年ももうすく終わり、新しい年が始まるんだな」

と、柄にもなく身の引き締まるような思いを抱いていた私。

でも、門をあとにした私の目に映ったものは、


門柱近くの壁の一部でした。

この壁の一部を見た私は、ハッとしました。

たしかに、3333×1000は30000ではありません。

これを見たとたん、私は前にご紹介したあの広場に関してとんでもない過ちを犯してしまったような気がしました。
石の箱状のものがドデンと置かれていたあの広場になにか大切な忘れ物をしてしまったような気がしました。

次の瞬間、私は大急ぎで広場に引き返したのです。


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