北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第205回 北京・西鎮江胡同 あの謎の洋館と再会か!?

2018-09-27 14:37:16 | 北京・胡同散策
西鎮江胡同を散策しました。



右手の路地を行くと慶平胡同、左、西方向にあるのが西鎮江胡同です。



次ぎの写真前方に写っているのは、旅行者の方たちで、宿泊先に向かっているところ。



旅行者の方たちの進む方向に行く前に、左手方向にちょっと寄り道を。



寄り道をしたのは、こちらに西鎮江胡同2号院があるからなのです。





この2号院の窓には、営業しているのかどうかは不明なのですが、次のような貼紙が。

「烟酒、食品、飲料」

食品とはこの場合、ちょっとしたお菓子や酒のつまみになるようなもの。



この2号院の前の北京駅西街の様子です。
ちょうど二階建てバスが走っていました。



ふたたび出入口から見た胡同。



進行方向右手は、9号院。







その隣は、11号院。



11号院の向かいには、海友酒店というホテルがありました。



住所は、西鎮江胡同4号院。

このホテルはチェーン店のひとつですが、北京だけで60店舗あるそうです。
そういえば、南八宝胡同にもありましたね。

ちなみに、こちらは、昔「思暖縁旅館」という宿泊施設だったそうです。




海友酒店を少し行くと道が西方向と北方向の二手に分かれています。



まずは、北方向へ。
この道を進むと前回ご覧いただいた慶平胡同の永慶旅社。





「四海同春」と書かれた横批。



横批の上下に中国六ケ所の都市名とその都市を代表する建物が印刷されていました。

上部
向かって右から、天津、北京、上海。
下部
(同)香港、重慶、澳門。

塀沿いには三脚の椅子が仲良く並んでいます。



そして、その対面には、テーブルと二脚の椅子。



時によって、道をはさんで世間話に花を咲かせる模様です。





もう少し進むと、



念には念を入れて、といったところでしょうか、玄関上には魔除けの鏡が二枚。



その隣の玄関。



こちらは、玄関ではなく窓に鏡。





次ぎの「鏡の魔除けパワー」に関する記述は、以前にも掲げたものの再掲です。
ご興味をお持ちの方はご覧ください。鏡の持つパワーの一端を知ることができるかも。

どうして鏡が魔除けになるのか、中国の人々に、鏡が魔除けの道具として使われだしたのは
いつごろのことなのか分かりませんが、鏡が魔物、化け物の正体を暴き、退散させる神秘的
な力を持つことを示す例を次に挙げておきます。引用は、仙人になるための必読書、葛洪(
284-364)の『抱朴子』より。

 “林慮山の麓にひとつの亭があり、そこには鬼が棲んでいて、泊まる者は死んだり
  病気になったりした。毎夜数十人の人がおり、男であったり女であったり、着て
  いる物の色は、黄あるいは白、あるいは黒であった。後に伯夷という者がここに
  泊まった。彼が燈燭を明らかにして坐して経を誦みしに、夜半、十餘人の人が来
  て、伯夷と対座し、自らともにばくちを打った。伯夷密かに鏡でこれらの人たち
  を照らすと、すなわち犬であった。伯夷は燭を取って立ち上がり、間違ったふり
  をして彼らの着ているものを焼くと、毛の焦げるにおいがした。伯夷は、小刀を
  懐にし、一人を捉えて刺すと、初めは人間の叫び声をあげたが、死ぬと犬になっ
  た。ほかの犬もことごとく逃げ去り、遂に怪事の絶ったことは、鏡の力である。”


さて、ふたたび西方向を歩いていきます。







今やその希少性によって、独特の輝きをはなつサイドカーつきオートバイ。



マニアには、たまらないでしょうね。

ミラー。



胡同を散策するようになってからというもの、鏡を見つけると、ついつい反応してしまうように
なりました。


オートバイの前を少し行くと、玄関に提灯(灯籠)の提げられたお宅が人目をひきます。



こちらは西鎮江胡同19号院。



玄関前に立った時には気付かなかったのですが、中に入ると、なんと、目に中華風洋館が
飛び込んできました。



二階のベランダには、洗濯物が干してありますから、どなたか住んでいらっしゃるようです。





ひょっとして、この建物は慶平胡同で見かけた、あの洋館と同一のものではないでしょうか。
だとすると、慶平胡同で見かけたのはこの洋館の裏側で、こちらが正面ということになるわけか。


出入口は左手方向にありました。









窓ガラスなど壊れています。しかし、個人の所有ではないし、いろいろな規制もあり、
勝手に手を付けられないのではないでしょうか。





二階に通じる階段は、もう少し奥。



傷んでいるというものの、素敵な手摺りつきの階段。



いつごろ建てられ、かつてどんな方が住んでいたのか、そんなことがやはり気になりますが、現時点では
不明。時間をかけて調べていくほかは仕方がありません。

しかし、幸いにも今回、この洋館に以前よりも接近できたので、前よりもほんの少しですが前へ進むことが
できたと喜んでおります。

そこで、気持ちよくこの洋館を後に、さらに西方向へ。



天賜福院という旅館がありました。



住所は西鎮江胡同10号院。



屋根の上の、天賜四合院酒店と書かれた看板。



中庭の写真を撮っておきたかったのですが、あいにく係りの方の姿がなく、写真を撮ることが
できませんでした。






対聯。



「九州跨入新時代」。
ここでの九州とは、もちろん中国のことですが、この対聯を玄関に貼った方は、「新時代」と
言う言葉にどのような思いを込めていらっしゃるのでしょうか。





蘇州社区党群活動服務中心。



陽光・社区青年汇



BFDA
食品薬品安全科普宣伝ステーション



(追記)自宅のある通州の飲食店で見かけたポスターを加えました。(9月28日)


人民が安心して飲食できる環境づくりをアピールしています。
ポスターに見える「百姓」とは、日本では普通「ひゃくしょう」と読み「農民」を指しますが、
中国では一般人民のこと。「百姓」を「ひゃくせい」と読むと意味をとり易いかもしれませんね。




横批に「狗年」の文字。
今年2018年戌年も早いもので残りあと三ヶ月ほど。



早いといえば、今年の夏は暑すぎるくらいの北京でしたが、最近は例年になくまだ九月だというのに、
「秋はどこへ? 秋を通り越してもう冬の到来か」と思わせる朝晩の冷え込みです。





窓のところに何気なく瓢箪。
これも鏡と同じく魔除けのような働きを持つ道具。縁起物の一つ。






こちらは西鎮江胡同29号院。



門墩(mendun)





柱には次の言葉が書かれていました。



「此院不通無旅館」。





ヘチマ。






突き当りのお宅の窓。



瓢箪が二つと鏡が一枚。


29号院の玄関前から南方向。
前方を横切るのは船板胡同。



写真右手はアパート。左手は漢庭酒店というホテルの一部です。



ホテル横の出入口。正門は船板胡同沿いにあり。





ドアノッカー(門環)



船板胡同から。




今回の記事の結びとして、西鎮江胡同の名称ならびに形状の移り変わりをざっとですが、ご覧いただきます。

〇明の時代。鎮江胡同。


緑色の部分が鎮江胡同(以下同じ)。上の地図は『北京胡同志』(主編段柄仁/北京出版社)所収
「明北京城街巷胡同図 万暦ー崇禎年間(公元1573-1644年)」より。

〇清の時代。鎮江胡同。


同上「清北京城街巷胡同図 乾隆十五年(公元1750年)」より。

〇中華民国期。鎮江胡同。


同上「北平旧城街巷胡同図(1949年)」より。

〇新中国成立後。

1965年に東側の「釣餌胡同」を編入。名称は従来どおり「鎮江胡同」。
ただし、1959年に「北京駅西街」(当時は名前がなく、この名称が使用されるのは1981年から)が建設
されたため、鎮江胡同は二分されてしまいます。
西側の「鎮江胡同」が「西鎮江胡同」、東側が「東鎮江胡同」と名づけられたのは1979年のことだった
そうです。


上の地図は本年2018年1月に印刷、中国地図出版社より発行された『2018年北京地図 大城区詳図』
の一部。なお、北京駅西街上に見える鉄道線路の印は、地下鉄2号線。



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第204回 北京・慶平胡同(後) 南出入口、北京駅西街に辿り着く。

2018-09-17 14:46:23 | 北京・胡同散策
慶平胡同は、

明の時代に「范子平胡同(fanzipinghutong/ファンズピンフートン)。
次ぎの清から中華民国時代も同名、新中国成立後の1965年に現在名に改名されています。

さて、慶平胡同28号院をあとに東方向にさらに進むと、





中国のバラ、月季(ユエジー)が咲いていました。



その隣には、なんと、牛丼吉野家さんの名前の入ったパラソル。



自宅近くにも吉野家はあるのでお世話になるのですが、吉野家公式ウェブサイトによりますと、北
京に初めて出店されたのは1992年のことで、店舗数は北京だけで225店舗(2018年8月付)もあるの
だそうです。

ちなみに、近所の吉野家さんには「あんこう鍋」があるので、近頃は牛丼ではなく、そちらを口に
することが多くなりました。

メニューに「生姜焼き定食」を加えてほしい、そんな贅沢なことをどさくさにまぎれて、つぶやく。


「海外の吉野家に関するご質問/吉野家公式ウェブサイト」
www.yoshinoya.com/contact/faq_abroad/


それはそうと、こちらは旅館です。



小鳥がいました。





旅館の名前は「永慶旅社」。
住所は、慶平胡同15号院。




玄関脇の鉢植えには、可愛らしい五彩椒(wucaijiao)。



日本語で「五色唐辛子」。
唐辛子とはいうものの、この実は辛くありません。
英語で「Rainbow Pepper・Five-Color Pepper」。

初めは緑色で、赤・黄色・紫色などに変化する実。


当日は晴天で、絶好の洗濯日和。
日の光を浴びた白いシーツがまぶしい。



晴天の下に干された白いシーツは、洗濯物の中でもことさら爽やかなんじゃないでしょうか。





永慶旅社の斜め前に道があります。



こちらに行くと「西鎮江胡同」。
ここは東方向へ。



正面奥、道が二手に分かれています。
まずは左方向。



この道を進むと、左手には前にご紹介した「治国招待所」があります。



しかし、この道の右手、東側の住所は慶平胡同なのです。



慶平胡同9号院。



その隣は、慶平胡同11号院。


9号院と11号院、ちょっとしたちがい、といえばそうなのですが、ヘチマの葉や花があるのと
ないのとでは、まったく雰囲気がちがいますね。


ふたたび元の位置に戻って、東方向に進みます。









隣は7号院。



趣きのある玄関まわりに感激しました。



玄関のうえに貼られている慶平胡同と書かれたプレートが隠れているところが、なんと奥床しいことか!!





今年の北京の夏空は、例年とは違い、湿度、気温共に高く、薄曇りの日が多かったのではないかと
思うのですが、この日の空はまぶしいくらい。

青空を背景にしたヘチマの黄色い花の美しい姿が、記事を書いている今も心の中に鮮明に残っています。



7号院の前から東方向。



道が二手に分かれています。
左、北方向に行くと治国胡同に出てしまいますので、ここは右、南方向へ。

なお、上の写真正面に移っている塀は、前にご覧いただいたガソリンスダンド。
かつての慶平胡同はこのガソリンスタンドの石塀を越えて、もう少し先まで伸びていた
ようです。今回はその辺りについての詳しい話しは省略させていただきました。

さて、話しをもとに戻して、右へ進みます。





あと少しでこの胡同も終点。この胡同の南出入口。
この南出入口の先には、北京駅西街が走っています。

ちなみに、北京駅は中華人民共和国成立十周年を記念して1959年に十大建築の一つとしてつくられた駅。
その北京駅建設と並行して建設、開通したのが北京駅西街でした。

新中国成立十周年を記念して1959年に建設された「十大建築」は、以下の通りです。

人民大会堂、中国歴史博物館(現在は中国国家博物館)、中国人民革命軍事博物館、
全国農業展覧館、北京駅、北京工人体育場、民族文化宮、民族飯店、釣魚台国賓館、
華僑大厦(ビル)。





訪れのがもう少し後であったならば、石塀に垂れ下がる葉が黄色く、あるいは紅く色づいて息を呑むほど
綺麗だったのではないでしょうか。ふと、柄にもないことを想像してしまいました。



次ぎの写真は、北京駅西街の歩道からこの胡同の南出入口を撮ったもの。





写真左に行くと西鎮江胡同になります。



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第203回 北京・慶平胡同(前) 四合院しゃぶしゃぶ店や謎の洋館に遭遇する。

2018-09-09 10:31:07 | 北京・胡同散策
慶平胡同(QingpingHitong/チンピンフートン)

木陰で子供たちが遊んでいます。








遊ぶ子供たちや道行く人たちに緑陰を提供する木の幹のかたわらには、子供たちの大好きなウサギもいます。



ウサギのいる場所から、ほんの少し前へ。



ここは、前回、前々回とご紹介させていただいた治国胡同を歩いた時にスタート地点となったところ。

治国胡同の時は、ここから東方向に歩いたのですが、今回は写真の前方、南方向に歩みを進め、
慶平胡同を散策したいと思います。



前方に旅館の看板。

その玄関脇には、いっぱいの鉢植え。



こちらは「紅綿旅館」。



開業は1989年。
料金は、150元から250元ぐらいで泊まれます。
簡易な宿泊施設ですが、商用や観光主体で、ホテルライフを楽しみたいというのでなければ、十分。

住所は慶平胡同42号院。


紅綿旅館の前辺りから進行方向。



一般住宅が数軒並んでいます。





玄関脇の風景をば。





上の写真のちょっとした空き地に干された白いシーツ。これは紅綿旅館のものだと思われます。
シーツで出来た日陰で、シェア自転車「ofo」が次ぎの利用者が現れるまでお昼寝中。


前方に旅館の看板がありました。



分かりやすいネーミング。
ズバリ!!「慶平旅館」。









北方向を撮ってみました。



三人の勤め人のうしろ姿。
昼食を食べ終わり、満足して勤務先に戻る、そんなご様子でした。

と、いうことは、この附近に飲食店があるのか?

体勢を戻すと、突き当り。
道が二手に分かれています。



まずは、右手、西方向へ。



一般住宅が並んでいます。



少し行くと道がやや細くなり、行き止まり。



単なる装飾として置かれている門墩(mendun)がありました。





それはそうと、こちらは、四合院住宅を改造した「众宜轩(衆宜軒/ヂョンイーシュエン)」
というしゃぶしゃぶ屋さん。先ほどの勤め人たちが昼食をとったのは、どうやらこのお店
だったようです。



中庭に入る手前には、中国的な石で築かれた山と水の世界がしつらえてありました。



この風景を見つめていると、
「ここからは俗世間とは違う別天地なのですよ」
という声がどこからともなく聞こえてきそうです。






昼食時間はやや過ぎていたのですが、お客さんがまだいらっしゃいました。




女性客の注文に応えてビールを運ぶスタッフ。



ちなみに、ビールを運ぶスタッフの背後の部屋では、スタッフのみなさんがおそろいで
おそい昼食の真っ最中。



名刺をアップしてみました。






慶平胡同34号院、しゃぶしゃぶの店「众宜轩(衆宜軒)」を後に、東方向に直進です。





右手に西洋の建物を中華風にアレンジした華風洋館の一部。



こちらは、慶平胡同28号院。



お邪魔してみました。

やはり写真奥に洋館の一部。



玄関を入って左手には、



中国のバラ。月季(yueji/ユエジー)が咲いていました。



中文学名は、月季花(ユエジーファ)

学名は、Rosa chinensis Jacq.


バラの横手の木製のハシゴ。



そのハシゴの先には、さらにハシゴ。



行きつく場所は、ハト小屋でした。




月季(ユエジー)とハト小屋のお宅の対面の住宅、
その屋根ごしに見える洋館の一部。

見えているのは、二階建ての二階部分であることが分かります。







そして、次にハト小屋のあるお宅から西方向へ。



やはり、華洋折衷の建物がありました。ただし、こちらは一階建て。


今は傷み、かつては鮮やかであった色もはげおち、ある種の深い味わいをたたえている垂花木楣。

玄関の前から南方向を撮ってみました。



写真奥に見えている華洋折衷の建物と写真右手の一階建てのそれとは一つに繋がっているのか、
それともこれらの洋風建物は別々なものなのか? そのあたりのことがよく分からない。

とりあえず、反対側の東方向に行ってみました。



突き当たりで通路が二手に分かれていました。
ここは、二階建ての洋館の見える南方向へ。





残念ながら、写真奥を曲がったところで行き止まりでした。


慶平胡同28号院には洋館がある。そのことを知っただけで満足なのですが、やはり、その
先のことが知りたくなる。

二棟の洋館は、いつごろ建てられ、どのように使われ、どんな人たちが暮らしていたのか。
このように興味は尽きないのですが、今回は不明。楽観することもなく、決して悲観する
こともなく、急がず焦らず、それら疑問を解くための糸口なりが見つかる日の到来をじっ
くりと待ちたいと思います。


名残惜しい慶平胡同28号院をもう一度。



石段上に落ちていた葉っぱ。





ふたたび、東方向へ歩き出しました。



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