北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第190回 北京・校尉営胡同(前) 周家楣と宜興会館など

2018-05-19 10:20:19 | 北京・胡同散策
校尉営胡同(XiaoweiyinHutong/シアオウェイインフートン)

今回おじゃましたのは、前回ご紹介した鋪陳市胡同の北端を東西に走る“校尉営胡同”。
当日は、商店街留学路沿いの西出入口より入りました。



昨年の春頃から改修工事が行われていたのですが、今年2018年の春前には工事もひとまず終了
したようです。

北側の塀沿いには、立派な表示板と説明版。
説明板の前の、生活感溢れる光景が素敵です。



改修前とは変わり、整然とした家並み。





こんな立派なレリーフも。



レリーフのあるお宅を過ぎると、以前にご紹介した九湾胡同の出入口。



レリーフや九湾胡同の出入口の向かい北側の塀沿いには、やはり生活感の溢れる光景がありました。



振りかえれば、かつてはこの生活感溢れる風景のあちら側にも多くの住宅が東西方向に並んでいて、
この胡同の一部だったのです。現在は、天都広場という公園になっており、素敵な花壇あり、卓球
施設などもあり、道行く人たちや胡同住民たちの憩いの場に変貌しています。地下鉄7号線「珠子口
駅」のD出口を出てすぐのところ。

ついでに書いておきますと、この胡同に現在残っている家並みの住所番号はすべて偶数番号です。
これは、かつて現在残る家並みとは反対側にも住宅が並んでいたことを示すあかしのひとつとなっ
ています。



胡同関係の本によりますと、この胡同、明の時代にはすでにあり、その頃の名は「校尉営」。清の
時代になると、「前校尉営」と「後校尉営」にわかれ、民国期に統一され、再び「校尉営」になって
います。現在名になったのは、1965年だそうです。



明代、校尉営だったと先に書きましたが、その名を見てもお分かりのとおり、当時、ここには
校尉の兵営があったことに由来しています。

肝心の「校尉」について簡単に書きますと、これは近代以前の官名で、漢代、軍職のなかでも、
将軍につぐ武官でしたが、時代がぐっと下って明、清の時代になると宮中や軍中を守る「衛士」
などのことも指していたようです。

この点と関係があるのかどうかは不明ですが、清の乾隆帝の1750年『京城全図』では、「校尉営」
の「尉」が同音の「衛」とあり、「校衛営」と記されているのが目をひきました。



防災のための消火設備もしっかり設えられました。



門構えの立派な建物。



ここは、周家楣(ヂョウジアメイ)さんの旧宅で、のちに会館になったところ。(文字化け
した場合のために書いておきますと、「メイ」は木扁に眉)

周さんは、アヘン戦争の起こる五年前の道光十五年(1835)に生れ、清仏戦争の終わる、ほぼ
二年前の光緒十三年(1887)に亡くなりますが、その間には太平天国の乱などもあり、まさに
内憂外患に苦悩する時代を生きた人。

清の光緒時代には順天府の長官(現在の北京市市長に相当)や総理各国事務衙門(当時欧米との交
渉を担当した役所)の大臣などをつとめ、北京地方史『順天府志』編纂にも参加しました。

周さんは人望のある人であったようで、その没後、その業績を称える意味で順天府の人々の出資
により、その故居の跡地には「宜興会館」が建てられ、そこには祠堂もあったそうです。住所は
44号院。

ちなみに「宜興会館」は、周家楣さんの出身地、江蘇省宜興に由来した名称です。









傷んではいるものの、力の籠った門墩が印象的です。





おじゃましてみました。



かつて住んでいた住民たちはすでに引っ越し、現在は今後行われる改修工事関係者だけが住んで
いる、といった様子です。







残念ながら、これ以上は中に進むことができず、戻りました。



長い時の流れがしみとおったような、門洞の側壁。



同じく、門楼の屋根裏。



やはり同じく、門扉。









瓢箪のレリーフ。



朝顔のレリーフ。



瓢箪も朝顔も蔓もので縁起ものです。

立派な屋根。



ここは、理髪店。



そう言えば『フートンの理髪師』という味わい深い映画がありましたね。





理髪店のシンボルマークがさかさまに取り付けられているため、“HAIR”という文字が逆立ち
していました。

でも、きっと、こういう細かいことをこせこせと気にしたりする方はいないのでしょうねぇ。
なにせ中国は広いですから。





こちらのお宅は36号院。



保護院落と書かれたプレートが貼られていました。



おじゃましてみました。



写真奥にレンガで造られた物置のようなものがあり、その先には建物の側壁。
その壁の一部がたいらになっているのがお分かりになるでしょうか。



これは、昔この壁が魔除けの働きを持った「影壁(インピー)」の役目を果たしていたことを
示していると思われます。





正面奥に昔の建物らしきものが見えてきました。
今回は、ほんの一部をご覧いただきます。



足元には、味わいのある石段。







先にご紹介した「影壁」のところに戻った時、「影壁」の横に、清楚、涼しげ、繊細、しなやかな力強さ、
そんな言葉たちが似合うかと思われる植物模様の彫り飾りを見つけました。





どうやら、おじゃました時には「影壁」に気をとられてしまい、うかつにも見逃してしまったようです。



   にほんブログ村


   にほんブログ村