今でも隣りにある昭和新山の中腹には、有珠山頂上にあったと同じ河原にある玉砂利が散らばっている。
当時は昭和新山にも入山規制が甘かったのか 自己責任で自由に登れた。
このことは、約2万年前には有珠山や昭和新山は まだ生成されていなかった。そして 当時の昭和新山と有珠山 LINE は綺麗な玉砂利のできるような河原があり 清流が噴火湾に注いでいた のどかな風景だと想像できる。
玉砂利の川岸に、人々はいたと思いたいが証拠はない。 何しろ2万年以上も昔に北海道に人は渡って来ていたかだ!
寒さも厳しかったときである。
その後 有珠山は噴火を繰り返しながら地中から玉砂利をのせて頭を出してくるのである
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