縄文の風

「北黄金貝塚公園」を中心に
噴火湾沿岸の遺跡情報を発信します。

「縄文土器」の解読がおもしろい。

「加曽利貝塚」05(環境)

2020年07月14日 | 縄文楽

縄文土器の移り変わり

加曽利貝塚の縄文土器を見ながら「東京湾」の環境の変化に対して、縄文ヒトはどのように生活していたのか、想像しました。

・約6000年前の「加曽利B式土器」の時期には「縄文海進」で、埼玉、栃木県にまで海が入りこんでいます。土器には縄目の縄文が施されたりしていました。「ハマグリ」主体の貝塚でないかと思われます。

・約4000年前の「堀之内式土器」の時期には、河川が走り回り、潮の干満があるような環境と想像しました。土器の模様も干満の差のある海岸の様子が分かるようになっていました。干満のある海で生活していた。
環境に合わせるように土器の器形や模様が変わります。

・約3000年前の「加曽利E式土器」の頃には、貝塚の海は退いて陸化しているようです。縄文ヒトは海よりも川を生活の場としていたものと思われます。「イボキサゴ」中心の貝塚だと思われます。確かめることが必要です。

※「土器の解読」が未熟と言えます。意味が有るはず。

加曽利貝塚で「貝塚」が一番盛んに作られた時期は縄文中期から後期にかけてという事です。

「ハマグリ」と「イボキサゴ」の貝塚のちがいが現れていると思います。

加曽利貝塚の南貝塚の断面と貝です。大き目の貝は「ハマグリ」と思います。その上に「イボキサゴ」が堆積しています。獲る時期がちがうのか、「ハマグリ」から「イボキサゴ」に変化しているのが分かります。正式には報告書などを見てからの事かもしれません。この貝類は、どのような調理法で食したのでしょう?

縄文楽 浄山

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