縄文後期の勝坂遺跡の土器です。約3500年前という事です。土器の器形は、ほとんど変わっていませんが、少し尖ってきたようです。縄文が施されているとは思えません。これは、海水が無いという解釈で「陸化」していると想像します。
加曽利貝塚の生活は海といった環境でなく「陸化」した環境で生活をしていたことになります。
この時代の加曽利貝塚のヒトは、どのような暮らしをしていたのか知りたいものです。貝塚があったのかや遺跡から出土する遺物から生活を察することができないかと考えています。「川」はあったと思いますし、イボキサゴ貝が大量に出土しているという事は「川」を下って採取しに行ったのでしょうか?
このあたりの論は未開です。
縄文海退の時期で海が遠くになっていた人々はどのような生き方をしていたかです。
疑問の残る土器です。再度検討が必要です。
正解にすぐに届くとは思っていません。まちがいも必要です。
縄文楽 浄山
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます