土器の発展してきた順に土器型式を調べています。
◇約12~3000年前くらいが最古の土器の出現した時期です。
◇「豆粒紋土器」⇒「隆線紋土器」⇒「爪型紋土器」⇒「縄目紋土器」と流れているのが多くの考えです。
これが「土器の発展」過程だとしても縄文時代の人々は意識していたかです。
◇流行りの土器を作ることなど無関心だと思います。
◇土器を作る目的をしっかりと持ってます。
◇「土器形体は地形」「土器紋様は生活環境」ということです。
ところで、この年代頃の気温はどうだったでしょう。
これは、盛岡市の土器ですが、その当時の平均気温がどのくらいだったでしょう。
◇三方五湖湖底の地縞で3万年前からの気温が分かる物差しが出来ています。
調べてみると、約12000年前は暖かくなったり寒くなったりの不安定な気温だったと言っています。
ブナ コナラ オニグルミなどの樹木が育っているようです。
◇現在の東北北部北海道南部の植生です。
◇盛岡市大新町遺跡 草創期(約12000年前)は、それよりも気温は2~3度低かったと予想します。(針葉樹の樹林の頃でしょうか)
◇土器の早期のものには繊維が入っています。
この土器にも繊維が入っているようです。
寒さのあるところの時期の土器には、つなぎのような働きをする繊維が混入されていたのでしょうか。
土器の制作過程は判りませんが、繊維をつかって、それに粘土を張り付けるとか塗り付けるとかして製作したものだと推測できます。
繊維入りの土器を作ったという体験談を聞いたことがありません。
◇気温も低く、薄型の土器ですし、粘土の伸ばしのつなぎに繊維を使っていると思います。
◇爪型は森林環境ですので、木を使った施文具(織物)と思います。
◇「爪型」は森林を表わしているものと思います。尖っていいるので針葉樹でしょうか。
生活環境は「針葉樹林」といえます。普通は長方形(森林)が多い。
この土器は、何に使ったのでしょう。煮炊きには無理な土器のように思います。
「土器体型は地形」「土器紋様は生活環境」
「土器を理解して縄文文化を語る」
縄文楽 浄山
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