「寺野東遺跡は、小山市東部の絹地区にあります。
「縄文時代中期前半から後半(4,600年~4,300年前)に東側の台地に径およそ190mの範囲の大きなムラが営まれました。」
次によく知られているのは、用水路の施設をつくり平らな作業スペースを設けています。これが水場遺構で、縄文時代後期初頭(4,000年前)につくられました。」
と説明されていました。これが土器に記されていないかです。
「おらの世界を土器に表す」
土器を見ると、不思議な紋様が見つかります。
何だろうと考える所におもしろさもあります。
「l用水路」 尾根から水を引いていると思われます。人工的な流れと考えます。※「華厳の滝」の表現かもしれない。再吟味の必要
「水場」 土器面が剥がされています。これは、何を意味するのか。
人工的な場所で「水場遺構」だと思います。
「水路」 細いうねった線は水路としています。
木の実のあく抜きをするために水を引いて水場を作ったりしているのです。
縄文楽 浄山
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