ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

冒険教育と僕016

2020-03-12 | 雑念
(この数字の打ち方は100まで?)

と、いうものの僕だってどんな風にファシリテーターとしてスキルアップしたらいいか?とかネタが足りねぇ、誰かいいネタねぇのか?とか

理論はいいからゲーム教えろや!とガラの悪い時期もあった。

その時期を黎明期とするなら
その時期の僕のラッキーは死ぬほど現場があったこと。

バイトでスタッフしてたから、考える暇もなくネタ集めと失敗を繰り返してファシリテーション?というかゲーム指導を身体に染み込ませた。

しかも責任感もあまりなかったから楽しかったし、ただただ興味あるものに飛びついていたのだ。

冒険教育の指導者として「子どものような」学び方。砂場で、ブランコで、ジャングルジムで、遊び方を身につけた。

僕は元々、論理的な数学が大好きで大学も建築を専攻して、小説も読まない典型的な頭デッカチの理論派である。

しかも喋らない理論派の僕は、他人が馬鹿騒ぎしていたら冷めた目でみて、心から人を蔑(さげす)んだ。

やっぱりそんな人生は寂しいもので、友達も少なく孤独を感じていた。

本当は仲間と遊んで考えずに馬鹿なことをしたいという願望があるのに出来ないのだ。

僕は論理的に会社を辞めた。
辞めた方が自分のためになると知っていたと思う。

このままでは自分はロボットのように生きることになる。

そして旅人になった。

その時に僕の中の回路がスパークした。
生まれ変わったような感覚がした。

如何に馬鹿馬鹿しく、楽しく、自分が興味あることに忠実に生きる事の大切さを旅を通して体感した。

いくら人に言われても、そんな風には思わない。

僕にはやっぱり危機感があったのだろう。

友達もいない人生、
正論ばかり言う事の寂しさ、
ルールや世間体ばかり気にしてしまう窮屈さ、
本や研修で学んだ気になる頭デッカチな人生、

学びとは、『本人(自分)が学びたいと思うこと』が目的なのかもしれない。

だから冒険教育はFUNを大切にしている。

でもそのFUNの捉え方も人それぞれ。

「振り返りが大切だ!」と難しい顔で長時間話をする指導者を見ていると、いくら笑顔で説教たれても目的には近づかないのでは?と首を傾げてしまう。

やっぱり指導者として
「何か教えてあげよう」とか「間違ったことを修正しよう」とか、「(ファシリテーターとして引き出して)料理してやろう」とか

少なからず大人が次世代について考えることは大抵そういう方法になってしまう。

そしてそれは染み付いていて、体験学習の指導をしている最中にも論理的で体系的な知識を与えようとしてしまう。

暗黙知、暗黙知と口で言いながら結局やっている事はただの押し付け。

その無意識のファシリテーターとしてのエゴや勘違いを防ぐ方法は唯一

多様なファシリテーターと価値観をぶつけ合うことである。

そして「体感してみよう!」と頭ではない方法を一緒に楽しいと感じられるメンバーと。

いや友達の少ない僕だから、僕以外みんなはやっているのかもしれないけど。

優秀な人材がたくさんいるのに、研修では何故かネタ集めしかしない。

絶対「指導者哲学」がしたい。

教材としてゲームをするもいいが、考え方をたくさん触れ合うのがいい。

やっぱり単発ものには限界がある。

詳しくはないが、松下村塾のような形式がいいのでは?

「体験学習を通して未来をつくる集団」

僕の理想は、やっぱり楽しくクリエイトできる環境がいい。

内容は
参加者に楽しく学び方を伝えるには?
人と関わる事ってこんなにも楽しいんだと感じるには?
新しいことを生み出す時にシナジーを生み出すには?
孤独を感じる時に救いの手をどのように生み出す?

色々浮かんでは消える。
それもみんなで議題を考えて

夢は膨らむ。

どうしたらいいんだろう?

やっぱりモルックホクトマンカップ開催するかな?モルックして楽しんでアイスブレイクした後に、最近どう?みたいな。

密かに、しれーっとゆるゆる募集しようかな。

3月中に日中モルック大会で遊んで、一緒に夕食食べて、ファミレスでファシリテーター談議したい人、連絡ください。

あっ、ファシリテーターとかやってない人も一緒に「未来の学び」の話しませんか?

日程調整は後ほど調整さんとかでやります。