ブログの感想を頂いた。
有難うございます。何よりも嬉しい。
本当に、ものを貰うより嬉しいかもしれない。
本当にシンプルな感想で、大袈裟ではなく涙が出そうになる。
やっぱり毎日書き続けることって少なからず負担なんだと思う。誰も期待もせず、読むのも適当で、興味もない、そんなブログになってやしないか?
それなら辞めちまえばいい。
それが出来ない。言ってしまったこと。
有言実行を着実に自信に繋げて自分を好きでい続ける地道な活動。
その地道な活動を誰かが見てくれていることを実感した瞬間に「僕は生きているんだ」と実感する。
血液に温度があるのだと気づかされる。
ドクドクと血潮が体内に駆け巡り、心のある場所にぶち当たり張り裂けそうになる。
そしてその振動は脳を介して涙腺に指令を出す。
泣いてもいいんだよ
そして泣きそうになるのだ。
オーケストラの演奏を生で聴いた時も同じ。振動が心に響く。そして脳を介して涙腺を刺激する。
感動が涙を流させる。
メッセージをくれる人達も、わざわざ僕に直接声をかけてくれるのだから嘘をつくはずもない。わざわざそんな嘘をつくわけがないのだ。そんな必要がない。
だから本気で褒めてくれている。
僕の柔らかい心を鷲掴みにされてモミモミ。
スポンジのような心から水分が滴り落ちてしまうのだ。
たった1人でもいい。
本当のメッセージを送ってくれるほどに心に届いたのだ。
まず直接声をかけて心を動かすのは、死ぬほど難しいのだが、それに輪をかけてブログなどの文章で感動を与えるのは難しい。
不特定多数に淡々と書き連ねるのだから分散する。想いが分散して拡散する。
その一欠片を大切にすくい上げてくれた感受性の高いその人が、わざわざ感想を伝えてくれる。
それって本当に幸せなことじゃない?
結局、人との関わりの全てを表しているような気がする。
人が寂しいのは、叫んでも叫んでも共感してくれる人が現れないからだ。
そしてその雄叫びは少なからず誰かの耳に届く。
必ず届くのだ。
そのために叫び続けたい。
毎日毎日、誰の心に届かない日もあるのだ。
それでも叫ぶ。
365日に1回だけでも何かが届くことがあるはずだ。
そして今日もブログを書いている。
有難うございます。何よりも嬉しい。
本当に、ものを貰うより嬉しいかもしれない。
本当にシンプルな感想で、大袈裟ではなく涙が出そうになる。
やっぱり毎日書き続けることって少なからず負担なんだと思う。誰も期待もせず、読むのも適当で、興味もない、そんなブログになってやしないか?
それなら辞めちまえばいい。
それが出来ない。言ってしまったこと。
有言実行を着実に自信に繋げて自分を好きでい続ける地道な活動。
その地道な活動を誰かが見てくれていることを実感した瞬間に「僕は生きているんだ」と実感する。
血液に温度があるのだと気づかされる。
ドクドクと血潮が体内に駆け巡り、心のある場所にぶち当たり張り裂けそうになる。
そしてその振動は脳を介して涙腺に指令を出す。
泣いてもいいんだよ
そして泣きそうになるのだ。
オーケストラの演奏を生で聴いた時も同じ。振動が心に響く。そして脳を介して涙腺を刺激する。
感動が涙を流させる。
メッセージをくれる人達も、わざわざ僕に直接声をかけてくれるのだから嘘をつくはずもない。わざわざそんな嘘をつくわけがないのだ。そんな必要がない。
だから本気で褒めてくれている。
僕の柔らかい心を鷲掴みにされてモミモミ。
スポンジのような心から水分が滴り落ちてしまうのだ。
たった1人でもいい。
本当のメッセージを送ってくれるほどに心に届いたのだ。
まず直接声をかけて心を動かすのは、死ぬほど難しいのだが、それに輪をかけてブログなどの文章で感動を与えるのは難しい。
不特定多数に淡々と書き連ねるのだから分散する。想いが分散して拡散する。
その一欠片を大切にすくい上げてくれた感受性の高いその人が、わざわざ感想を伝えてくれる。
それって本当に幸せなことじゃない?
結局、人との関わりの全てを表しているような気がする。
人が寂しいのは、叫んでも叫んでも共感してくれる人が現れないからだ。
そしてその雄叫びは少なからず誰かの耳に届く。
必ず届くのだ。
そのために叫び続けたい。
毎日毎日、誰の心に届かない日もあるのだ。
それでも叫ぶ。
365日に1回だけでも何かが届くことがあるはずだ。
そして今日もブログを書いている。