病院で働く人の理不尽
「病院の栄養士が太っている」
という。納得いかない。
看護師が注射針をミスって何度もチクチク刺すよりも怒りを覚える。
注射針のミスは人間のさがというか、少しぐらいミスをするだろうという気持ちで許すことができる。もしくは新人なのかな?と微笑ましく見られるのだが、デブ栄養士は話が違う。
だって栄養士なのだぞ!?
食事に関する知識と豊富な対処法など医師に近い意見や立場からアドバイスをする人だと思う。
少なくとも僕はそう思っている。
だったらデブはいかんだろぅ?
遺伝子的に痩せられない?
甲状腺機能の関係?
理由は何にせよ生まれつきか?
だったらその職業を選ぶのはいかんだろ?
僕はこういうのを「日常の悪」と呼んでいる。
現行の法律では罪に問えないが、あまりに無視できない罪を犯す事。
だから僕はもしその栄養士が偉そうに食事のアドバイスなんぞを僕にしてこようものなら「先生はなぜ太ってらっしゃるんですか?」と質問をしたい。あいにくその栄養士の話を伝聞で聞いていたのだから直接質問は出来なかったのだが、「俺ならそうするね」とその場では話をした。
しかし相手の反応は「そんな事は言わない」と日常の悪には無関心だ。
かつてのブラピとモーガン主演の名作「セブン」。そこにはあまりに衝撃的な「日常の悪」を裁く異様な殺人鬼が出てくる。
そして20年前にもなる作品が未だに忘れられないのは、グロテスクな殺人現場とかグイネスの美しさよりも、その日常に潜む悪の裁きというストーリーにココロを奪われたからなのだ。
いや、別に僕が殺人鬼になるとか、そういう事ではなく。
その日常に潜む悪がどれほど見逃され、迷惑を被るのかが認知されていない現実の事を言っているのだ。
スペイシーも「そして語り継がれる」こととなる。確かにその後の活躍はご存知の通りだが、やっぱり僕がスペイシーが演じたキャラクターの中での最高はあの殺人鬼だったと思っている。
日常の悪
そういう意味では「いじめ」も悪質で猟奇的なのに、蓋をされている現実。
悪を悪だとはっきり言えない社会。
20世紀少年を読んだからますます社会の流れの異様さに嫌気がさしてくるのだ。
テレビは、CMと事件・事故の繰り返し。政治は嘘と票稼ぎの嵐。
僕はなぜ飲酒運転を「懲役2年執行猶予なし」以上の罪にしないのか不思議だ。だって飲酒運転は99%確信犯である。万引きも同じだ。
「万引きは犯罪です」じゃねぇ!
「万引きは指一本強制骨折」でいい。
同然「万引きを主導したものも同罪」
ここまでして初めて抑止力になるのではないだろうか。
当然冤罪は防ぐべきである。
監視カメラによる決定的な証拠は必要になる。
いじめも直接的な痛みを伴った判決、例えば「ムチ叩き100回の刑」などキチンとした制裁は必要だと思う。恐らく学校や保護者が寄ってたかっていじめを揉み消そうとするだろうけどね。
そこにも「日常の悪」は滲み出ている。
そんなグレーゾーンはもう「悪の巣窟」と呼ぼう。
しかしまだ希望があるのは「デブ栄養士」である。軽い皮肉で良いのだから。面子を潰してあげれば良いのだ。
注射のミスとデブとの決定的な違い。
それは「突発的か慢性的か」の違いである。
突発的なミスは次回気をつけることで減らせることができる。
しかし慢性的ミスはもう、それはミスの連打。ミスの嵐。ミス高橋名人。
これは確信犯である。
確信犯は反省してもらわないと、「もう私のミスは世間が許してくれた」と勘違いを脳にインプットしてしまう。
七つの大罪の「GLUTTONY(暴食)」のさらに上、「栄養士なのにGLUTTONY(暴食)」という日常。
どぅだい?腹が立ってきたかぁい?
きみも日常の悪を見つけて退治しよう。
まずは「当たり前を疑う目」を養おう!
どぅだい?このブログを読みたくなくなってきたかぁい?いいんだよ?今すぐこのブログをお気に入りから削除するんだ。
読者がゼロになった瞬間に僕はこのブログから卒業するのだから。
どぅだい?このブログに「悪の臭い」が立ち込めているだろう?不愉快だろう?
そう悪はブログに宿るんだよ。けけけ(._.)
「病院の栄養士が太っている」
という。納得いかない。
看護師が注射針をミスって何度もチクチク刺すよりも怒りを覚える。
注射針のミスは人間のさがというか、少しぐらいミスをするだろうという気持ちで許すことができる。もしくは新人なのかな?と微笑ましく見られるのだが、デブ栄養士は話が違う。
だって栄養士なのだぞ!?
食事に関する知識と豊富な対処法など医師に近い意見や立場からアドバイスをする人だと思う。
少なくとも僕はそう思っている。
だったらデブはいかんだろぅ?
遺伝子的に痩せられない?
甲状腺機能の関係?
理由は何にせよ生まれつきか?
だったらその職業を選ぶのはいかんだろ?
僕はこういうのを「日常の悪」と呼んでいる。
現行の法律では罪に問えないが、あまりに無視できない罪を犯す事。
だから僕はもしその栄養士が偉そうに食事のアドバイスなんぞを僕にしてこようものなら「先生はなぜ太ってらっしゃるんですか?」と質問をしたい。あいにくその栄養士の話を伝聞で聞いていたのだから直接質問は出来なかったのだが、「俺ならそうするね」とその場では話をした。
しかし相手の反応は「そんな事は言わない」と日常の悪には無関心だ。
かつてのブラピとモーガン主演の名作「セブン」。そこにはあまりに衝撃的な「日常の悪」を裁く異様な殺人鬼が出てくる。
そして20年前にもなる作品が未だに忘れられないのは、グロテスクな殺人現場とかグイネスの美しさよりも、その日常に潜む悪の裁きというストーリーにココロを奪われたからなのだ。
いや、別に僕が殺人鬼になるとか、そういう事ではなく。
その日常に潜む悪がどれほど見逃され、迷惑を被るのかが認知されていない現実の事を言っているのだ。
スペイシーも「そして語り継がれる」こととなる。確かにその後の活躍はご存知の通りだが、やっぱり僕がスペイシーが演じたキャラクターの中での最高はあの殺人鬼だったと思っている。
日常の悪
そういう意味では「いじめ」も悪質で猟奇的なのに、蓋をされている現実。
悪を悪だとはっきり言えない社会。
20世紀少年を読んだからますます社会の流れの異様さに嫌気がさしてくるのだ。
テレビは、CMと事件・事故の繰り返し。政治は嘘と票稼ぎの嵐。
僕はなぜ飲酒運転を「懲役2年執行猶予なし」以上の罪にしないのか不思議だ。だって飲酒運転は99%確信犯である。万引きも同じだ。
「万引きは犯罪です」じゃねぇ!
「万引きは指一本強制骨折」でいい。
同然「万引きを主導したものも同罪」
ここまでして初めて抑止力になるのではないだろうか。
当然冤罪は防ぐべきである。
監視カメラによる決定的な証拠は必要になる。
いじめも直接的な痛みを伴った判決、例えば「ムチ叩き100回の刑」などキチンとした制裁は必要だと思う。恐らく学校や保護者が寄ってたかっていじめを揉み消そうとするだろうけどね。
そこにも「日常の悪」は滲み出ている。
そんなグレーゾーンはもう「悪の巣窟」と呼ぼう。
しかしまだ希望があるのは「デブ栄養士」である。軽い皮肉で良いのだから。面子を潰してあげれば良いのだ。
注射のミスとデブとの決定的な違い。
それは「突発的か慢性的か」の違いである。
突発的なミスは次回気をつけることで減らせることができる。
しかし慢性的ミスはもう、それはミスの連打。ミスの嵐。ミス高橋名人。
これは確信犯である。
確信犯は反省してもらわないと、「もう私のミスは世間が許してくれた」と勘違いを脳にインプットしてしまう。
七つの大罪の「GLUTTONY(暴食)」のさらに上、「栄養士なのにGLUTTONY(暴食)」という日常。
どぅだい?腹が立ってきたかぁい?
きみも日常の悪を見つけて退治しよう。
まずは「当たり前を疑う目」を養おう!
どぅだい?このブログを読みたくなくなってきたかぁい?いいんだよ?今すぐこのブログをお気に入りから削除するんだ。
読者がゼロになった瞬間に僕はこのブログから卒業するのだから。
どぅだい?このブログに「悪の臭い」が立ち込めているだろう?不愉快だろう?
そう悪はブログに宿るんだよ。けけけ(._.)