ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

updateの経過

2010-08-15 | 雑念
あっ(;゜0゜)

PC本体のupdateの経過を書いてませんでした。

なんとmac os 10.5.8以上じゃないとiPhone4を認識しないとのこと。

素直にソフトを購入。

数日で届くとのこと。

古くなったPCが認識してくれるのだろうか?

もう「新しくPCも買えよ!」
って言われているようだ。

だからiPhone4はまだ何もAPPは入ってないのです。

熱い夏の日

2010-08-15 | 雑念
昨日は初盆で。

奥様の親戚が集まり読経。浄土真宗でたまたまウチの実家と一緒。

南無阿弥陀仏

それにメロディが入る。

お経をあげて、ご先祖様を家に導くといった意味合い。

大きな白提灯を玄関先に吊るし、道案内。

読経の後は、親戚一同で昼食。

お墓のある離れたところへは、大体夕方16:00には設置型の提灯を持ってお参り。

地域や知り合いの方々がご挨拶的に線香をあげて、一言二言話をする。

本当に仲の良い人が来てくれたら、話し込む。

そんな人間関係の縮図がお墓の前で繰り広げられていく。

私はスーツのズボンにワイシャツで汗だく。

「喉渇いたぁ」といいながら2時間はいた。

そして考える。

「この風習は何処のお墓でもするのか?」と。

webで調べてみると、「浄土真宗の初盆は・・・」とある。

結局、今行っている提灯や読経、迎え火・送り火、親戚での食事、お供え、お墓での2時間などは全て「地元の風習」ということ。

浄土真宗はいつでもどこでも「南無阿弥陀仏」なのだ。「何かをしなければいけない」「こうあるべき」は少ないのだ。

そう考えると、人間関係のしがらみは昔より現代人の方が複雑で形骸化(かたちだけ)しているように感じる。

お盆も「仏教」とは違う風習なのだ。

シルクロードを伝って日本伝来した独自の宗教観なのだ。

かといって、私は否定的ではない。

親戚が「無理矢理でも」集まり、甥っこ・姪っ子や関係性の全くわからない義理の叔父さん・叔母さん、お義父さんの従兄弟と顔を合わす意味はある。

今回は小学生の3姉妹が唯一の子供たちで、
「小学校で“嵐”がスゴイ人気である」こと、

「学校の先生が優しい」こと、

「男子のドッジボールに参加する時はおしゃべりしない!と注意されている」ことなど、

とってもよくしゃべる子が話をしてくれた。

話のところどころで

「オジちゃんは・・・」

と挟む事にチョット

「んっ(゜o゜;;」

とおもいながら、

「確かに完全なるオジちゃんだし間違ってはいないね」

と心で思った。

小さな声で

「お兄ちゃんね」って言ってみたけど

聞こえなかったみたい。

なかなか、ヤるね(;゜0゜)

しかし帰る段階では「あっけないもん」で

次に会うのはいつになるのやら。

もうあんなに話しかけてくれないんだろうね。中学生になったら。

暑い夏の一日でした。