女性専用車両に反対する会。
ある意味チャレンジャーである。
しかし記事を読むと自分の認識不足と非常識とは何か?と考えさせられる。
法律上女性専用車両に男性が乗るコトは違法ではない。
逆に男性を強制的に電車を降ろすのは違法である。そうだ。
その団体の主張としての言い分も頷ける。優先座席や車イスの男性が満員の車内で我慢していても、健常な女性が比較的すいている車内で座っているのはおかしい、というもの。
他にも主張はあるのだろうが、この訴えは少し共感するのだ。
そしてプラカードをもって、その主張を掲げて女性専用車両に乗り込む男性たち。
それを見て、「気持ち悪い」「近寄らないで」という女性専用車両乗車女性たち。
なぜそこまで?と方法論で疑問を感じるが、web上のニュースに取り上げられるわけだから効果?はあるのだろう。
ここからが本題だ。
私はこの記事を読んで、1番怖いのはその女性たちだと感じました。
確かにその団体の行動や考え方は特異で社会的な行為とは言えない。
でも女性専用車両の法的な規制がないのに犯罪者を見るような眼差し。
誰かに与えられた権利を自らの権力ととらえ、行使してしまう。
そして、気づかない。
自分の力だけで得た特権ではない。
女性専用車両を設ける決断をしたのは恐らく優しい男性だ。
こういうことって世の中に腐るほどある。
当たり前のものに気づかない。
そうならないために、当たり前のこと、常識と言われるものに疑問を感じるようにしている。
そしてその常識と言われる行為を、しない。別の事をしてみる。
それは私なりのチャレンジだ。
そして検討してみる。
それは本当に自分のためになるか?
それは本当に相手のためになるか?
それは本当に社会のためになるか?
だから最近の私は以前と違う。なぜなら結婚したから!
自分、相手、社会の為になるのかという判断項目に、「夫婦のためになるか?」が加わった。
だから違和感がある。判断基準が変わるとムズムズする。
でも少し時間をかけても真剣に考えて、行動する。
その行為を手分けするというイメージかもしれない。
往々にして「しない!」と判断を下すであろう事も、奥様は「する!」の方向で動く。
私とは大分違うのである。
不思議なものである。愉快なものである。
人生には価値観の激変する時期が3回ある。
その1つが結婚なのだ。
女性専用車両を見たら少し考えてみよう。
それは社会に本当に必要な車両なの?
ただ誰かが決めた便利な車両でしょ?ってボンヤリ見つめていてはいけない。
姿勢としては鉄っちゃん(鉄道マニア)を見習わなければいけない。
今に「女性専用車両マニア」たる写真家が出てくるだろう。
ダラダラと結論もなく、まとまってない理由はただひとつ。
チコチコiPhone4を触りたいだけなのだ。