goo blog サービス終了のお知らせ 

ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

修行中の身

2010-01-20 | 雑念
教育というと。

教育というと、偉そうに聞こえてしまいます。1人の人間にはあまりに大きなヤマタノオロチ。悪い意味じゃなく、大きく掴み所のない恐ろしいものの様なイメージがある。それはあまりの謎が多い生命体だから。昔の人が日食を得体の知れない魔物の仕業と考えたように、私にとって教育はあまりにデカい。

しかしこれだけはまず、自信を持って言えることがある。

教育は万人が平等に受ける権利がある。

そして教育を行う者、教育者はすべての人間に平等にチャンスを与える仕掛けをしなければいけない。

あまりの授業数の現象から「怒って」「あせって」「削って」責任転嫁してまで、わかってない子供達を置いてきぼりにする。そんな教育者や教育環境は教育ではなく、ただの合理主義者である。受験戦争や学歴信者達も同じ。

そして、学校教育とは別のアプローチをするべき社会教育の現場も教育者は少ない。生涯学習や社会教育への価値観を見出せない地方自治体や国は予算を減らし、人員削減していく。それを受けた教育者であるべき人間もただのビジネスマンに成り下がる。

教育者は優秀な人材だけを指導していくのではない。学びのゆっくりな人、一部分に秀でた人、人と人を繋ぐ能力の持ち主、笑いを提供出来る人、もくもくと物を作る人、そんな人達にも学ぶべきチャンスを与える事ができる人間が必要なんだと思う。

そうあるべき人間が、人に対して不快感を与え、自分の言動に気を配らないのは愚の骨頂なのである。

だから私は言い続ける。言葉を大切にせよ!それは子供に対してだけではない。人と人との関係においてすべてに言えるのだ。子供にいくら上手にお話しできても、大人同士での話ができないのは、話にならないのだ。それは話し上手になる事ではない。

本気で自分の気持ちを伝えることと、相手の話を如何に引き出せるかの両方で評価できる。

当然私も偉そうな事を言いながら、修行中の身。皆よ!共に学ぼうぞ!