正論が人を育てる事はない。
正論とは世の中の常識やルールブックの内容や「それはわかるけど・・・」という言葉たちのこと。
それがなぜ人の心に響かないのか?
それは「生きた言葉」じゃないからだ!
そして怖いのは正論を言い続けていると、「正論マスター」となって自分が正論ばかりを言っているということに気付かない。
人を育てる立場の人は、人に言葉をかける。その時に「間違ったことを言ってはいけない」という固定観念から正論を押し付けて来る。その方が楽だから。正論を言うのは楽なのだ!
しかしそれはコミュニケーションではなく、支配するということなのだ!
人間関係は、いくら上司と部下であろうと、生徒と先生であろうと、親と子供であろうと、生きた言葉でお互いの思いを対立して解決して行こうとする関係つくりが必要だと思う。それがコミュニケーションだと思う。
いくら相手が間違っていて、未熟でも、「否定」や「批判」、「強制」「アドバイス(正論で)」などする前にまず聴いてあげよう!「ふんふん、なるほど」って。「大変やったんやな」
そして私は心を動かされる事を数多く体験してきています。その方々へは感謝しているのに、ご挨拶や年賀状や御中元など形にしてお返しするという事は一切していないのです。失礼な話です。しかし唯一の恩返しとしては、その諸先輩方の教えや「生きた言葉」は生き生きと私の体に染み渡り、人を育てる仕事をして、その言葉を私の言葉に変えて伝えている事です。
ここでその報告をさせていただき、ご挨拶に変えさせていただきます。ありがとうございます。
正論とは世の中の常識やルールブックの内容や「それはわかるけど・・・」という言葉たちのこと。
それがなぜ人の心に響かないのか?
それは「生きた言葉」じゃないからだ!
そして怖いのは正論を言い続けていると、「正論マスター」となって自分が正論ばかりを言っているということに気付かない。
人を育てる立場の人は、人に言葉をかける。その時に「間違ったことを言ってはいけない」という固定観念から正論を押し付けて来る。その方が楽だから。正論を言うのは楽なのだ!
しかしそれはコミュニケーションではなく、支配するということなのだ!
人間関係は、いくら上司と部下であろうと、生徒と先生であろうと、親と子供であろうと、生きた言葉でお互いの思いを対立して解決して行こうとする関係つくりが必要だと思う。それがコミュニケーションだと思う。
いくら相手が間違っていて、未熟でも、「否定」や「批判」、「強制」「アドバイス(正論で)」などする前にまず聴いてあげよう!「ふんふん、なるほど」って。「大変やったんやな」
そして私は心を動かされる事を数多く体験してきています。その方々へは感謝しているのに、ご挨拶や年賀状や御中元など形にしてお返しするという事は一切していないのです。失礼な話です。しかし唯一の恩返しとしては、その諸先輩方の教えや「生きた言葉」は生き生きと私の体に染み渡り、人を育てる仕事をして、その言葉を私の言葉に変えて伝えている事です。
ここでその報告をさせていただき、ご挨拶に変えさせていただきます。ありがとうございます。