退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1169: 平等とけじめ

2019-03-05 11:16:18 | アメリカ便り
今朝もまだ気温マイナス9度ぐらいです。
私の風邪はインフルエンザのようで、まだ体は痛だるいし、鼻水も出るし、頭も重い。
熱は微熱程度。
今朝も3つ仕事が入っていました。
私の翻訳は常に‟集中力と散漫‟の戦いなので、この状態ではきっと‟散漫”のほうが優位と思い、速お断り。

これでまた相棒を見ることができる。
と言ってもユーチューブに出てくるのは古いものばかりですが。
やはり、相棒には冠城君が一番。
この人、‟天皇の料理人”で好きになりました。
最初は青く、大根役者でしたが、そこは大根、味が染みてきて右京さんのわざとらしいキザさに拍車をかけたキザさで迫ってきて、面白いです。
相棒の良いところはやはりストーリー全体でしょうね。

病気だと、大手をふるって一日中テレビを見てられるという長所もあります。

さて、昨日の‟娘との会話”の続きです。
昔から日本では夫がマスターで妻が家事を支える人でした。
これを視野に入れて平等とけじめを考えていきたいと思います。
この状態では、はっきりと夫婦の分担、けじめ、役割と言うものがありましたよね。
それが女が参政権を与えられ、仕事を持つようになり、結婚しなくなり、子供を持たなくなってきてだんだん分担、けじめ、役割と言う、日本古来の‟仕切り”あやふやになりました。

そして、‟平等の定義”もそれにつれて変わってきました。
つまり、平等とは仕切りが無くなることなんです、当たり前ですが。

明治初期までの日本女性、‟平等”なんてこと考えなかったんではないでしょうか。
1869年に女性が自由に関所を通ることができるようになってから、女学校設立、参政権獲得、一夫一妻制、女性集会の自由等々、時代と共に女性の‟(男女)平等”がどんどん進化していきました。
1880年には当時世界でも数例目と言われた女性参政権が、戸主に限られて許可されたそうです。
これは改正のため4年間ほどしか続かなかったそうですが。

いろいろ見てみると、‟日本の女性ってすごいじゃない”。
世界からは‟夫から3メーター(?)下がってかしずく”的感覚で見られているのに。
やはり、女性の本質には国境はないのです。

すいません、‟散漫”が優位になってきたので、今日はこの辺で。
なんせインフルエンザなので。

ハブグレジュンタのマミー