退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#799: 宿命

2017-01-16 22:54:39 | アメリカ便り
1月3日にセントルイス出身でアフリカで疫学の研究をしていた30歳の女性が亡くなった。
休暇中に訪れたテキサスで交通事故にあったそうです。
私自身この女性を知りませんが、今日の新聞にその人のことが詳細に載っていたので読んで見ました。

小さいころから、人のために何かをやりたいという意識が強かった努力家の女の子だったそうです。
大学で化学を勉強し卒業してからシカゴの公立学校で先生を2年間し、疫学を勉強するために修士を取り、さらに焦点を絞りHIV(エイズ)の人達を助けたいけど医者にはなりたくないので、博士で研究の道に入って行ったそうです。
なんとなく私の娘に似ているのです。
私の娘も小さいときはごく普通の子でしたが、大学を出てから2年間働いた後で、やはりHIVの研究をしたいということで、公衆衛生学で修士を取り、人を助けるためにはやはり医者にならなくてはいけないということで、修士卒業と同時に医学部へ入りなおしました。

だから、この30歳の亡くなった女性が他人事に思えないのです。
親族、特に両親にしたら悔やんでも悔やんでも悔やみ足りないと思います。
でも母親は新聞記事の最後に“娘には夢を追いかけて突っ走るようにと育ててきた”、と書いていました。
自分が選んだ道を歩いて行くことが娘の夢だったし、それをさせてきた母親(子供が4歳のときに離婚したそうです)にとっても、それが夢だったんでしょう。
二人の夢がこんな形で中断させられてしまったことは残念です。

宿命とはその名の通り、変えようがなく生れつき宿っていることを言います。
つまり男に生まれる、女に生まれる。
そして私のようにアル中の父親を持ったことも宿命なのです。

運命は生きてから自分で経験し加えていく道のりのことを言い、自分の力で変えることができます。
(以前書きましたが、芥川龍之介の“運命は性格によって決まる”はまったく真実と思います。)

この女性を考えると、宿命と言う言葉がひどく残酷に思えます。
どれほど科学が進歩しても、どんなに平均寿命が延びても、月旅行が可能になっても、宿命と言うのは変えようがないのです。
こと死と言う宿命に関しては、私たちは毎日生活し、そして、明日も同じように生活していくと思って生きているのです。

子供たちに“時間を無駄にしないよう精一杯生きなさい。明日何が起きるかわからないから”と言ってきたのは、その宿命と言う爆弾を誰もが抱えていると言うことを、今まで生きてきて知っているからです。
分かってくれているかどうか分かりませんが。

鼻先に垂れ下がった“虎屋の羊羹”を一生懸命追いかけながら、“もう少しもう少し”と思って追いかけていたのが、急に鼻先からなくなってしまう感覚が宿命である。
ちょっと不謹慎でわかりにくいかしらとも思いますが。

ハブグレジュンタのマミー