オリンピック問題、落ち着くところに落ち着いた、というか。
5月にオリンピックに関してこんな話をした。
それから3ヶ月、事態をじっと見守っていたが、慎太郎をはじめとする
「東京とその周辺しか知らないお坊ちゃま連中」の傲慢さが
いたるところに見受けられて、正直気分が悪いです。
4年前、広島ビッグアーチでサンフレ対FC東京を見に行ったあと、
広島お好み村のある店で東京さぽと偶然話をする展開になった。
そこで導き出された結論。
「所詮、東京は地方の寄せ集め、単独じゃ名物すらも作れねぇ」
・・・そういったことから目をそらし、福岡を、大阪を、または多くの地方都市を
「自分が大きくなるためのかませ犬」にしてしまった東京の罪は限りなく重い。
こういう「地方があるから自分がいる」ということを考えず、しこりの残る結果にして、
果たして東京が地震なんかで壊滅するような事態になったとき、
地方は「救いの手」を差し伸べることができるだろうか?
「どうせ単独で復旧できる、しかも一年以内に」ということで誰も助けない、と思う。
・・・それでもいいんだけど、これじゃあ「傲慢さ」が増強されるだけでみんな不幸になっちまう。
「○○にしかできないこと」を目指していけばいい、
なんて「画一化」を旨とする社会に受け入れられないことを
安易に言うのはやめてくれ。
まずは自分がそうなるためにやり続けた「血のにじむようなこと」を話してから。
ついでに自分らは「こういうことをやって、生きていたい」ということを、
「自分の言葉」でブログやいろんな媒体を使って「晒すこと」をせずに
「オリンピックは無駄」という皆様、
正直、あんたらにはうんざりだ。
「やりたいことがない」を「福祉」にすりかえる言葉の技法は
「不利な状態」から何とかして「這い上がろう」とする人々に対する侮辱、
ということに気がついていない、これは不幸なことです。
「オリンピックなんかいらない」という人にはそういう考えが鼻についてとっても厭。
この結果は地方に更なる「意識改革」を要求してる。
言葉の意味をどう取るかはそれぞれに任せるしかないけど。
まあ、福岡は「欧米人以外の人間は動物と一緒」的な価値観を持つ
「オリンピック」から蹴飛ばされた、とおんなじことになったから、
そういったところから離れていくことが簡単にできるぶん、
有利な立場になったじゃねーか。
「まっとうに生きても見放された人々」をどうしていくか?
これがこの街に与えられた重要な課題。