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蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

「格差社会」なんざ、糞食らえ。

2007-01-12 22:36:56 | くじらをめぐる考察

暴行受け「いつか殺そう」と決意と供述 夫バラバラ事件(朝日新聞) - goo ニュース
・・・このニュースを聞くたびに、情けなくなるやら、腹が立つやら。

いわゆる「勝ち組」とか言って調子こいてる人間ども、いやけだものの裏側って、
程度の重い軽いを問わず、こんなにどろどろしてる。
このけだものども、「自分ひとりだけで大きくなった」と勘違いして
運悪く不本意な立場にいる人に対して「思いやり」というものが欠けていて、
このことが新年始まってからの「しゃれにならない状況」を次々と生んでいる。

・・・お金とか、いろいろなものに恵まれていても、こんなに心が冷え切って
  しまうのならば、いっそまわりとの交流を絶って引きこもっていたい。
という人のほうがちょっとまともに見えるのはなぜ?

今まで思い通りに行くためにいろんな努力をしたのはよくわかっているよ。

けど、それだけで世の中を渡っていくことのできた時代はもう終わった。
人は自分だけで生きているわけじゃないわけで。
「格差社会」なんて一部の人がしたり顔で言っているけど、
終わりかけた時代に対する「葬送曲」を普通に流すんじゃない。

却っていじめられている(といわれている)下層の人たちのほうが、
「人間らしく」生きていて、しかもしたたかだ。
・・・みんな助け合って生きているし。

こんな不安定な世の中、もう再来年には破綻するよ。
「大企業」といわれて調子乗っているところほど、
ばかばか馬鹿みたいに潰れるのでは?
そうなったときに、石ぶつけられて泣いても遅いよ。

ニートとか、フリーターとか、不安定な立場にいる人は逆にチャンスだ。
まずは近所の市役所の「福祉課」で「精神福祉センター」を紹介してもらって
そこで自分の今までの気持ち、今の気持ちを思いっきり吐き出してごらんよ。
まずはそれから。
何か問題があったらそこで精神科の「まともな」お医者さん紹介してくれるし、
通院費だってきちんと申請したら何ぼかまけてくれる。

そうして心の大掃除をやったあとの「受け入れ先」として
自分が今所属している「舞台計画」とかの芸術的な活動をこれから
いろいろ整備していかなくちゃいけないな、と。
これが「感性商売」によって助けてもらったことに対する「恩返し」なのだろうか?


つよいは、よわい、よわいは、つよい。

2006-12-20 11:57:06 | くじらをめぐる考察

・・・今回の舞台計画の公演で感じたこと。

なんていうのだろうか?
いろいろな面で「強い」立場にいる人が、本当は「弱い」存在なのかもしれないし、
その逆、「弱い」立場にいる人が本当は「強い」のかもしれない。

いわゆる「メディア」に出てくる人間って、あらゆることが「強い」ということだった。
骨も、筋肉も、頭脳も、心も。

「なにもかもめぐまれやがって、不幸が集団でやってくればいいのに」と
その人たちをやっかんでみても「不幸」を撥ね退ける力が強いわけで。

自分の知っている人に、2回も「死産」という人生で最高に辛いことを
経験した女性を知っている。
その人は、人にちやほやされるようなこともなく、自分の体を削って
懸命に自分に与えられた勤めをやってきた、というのに。
・・・久しぶりに会ってそんな話を聞いて自分、正直辛く、切なくなった。
でもなぁ、その辛さ、切なさを飲み込んでいってる、ということがすごいな。

逆に、テレビの「セレブ特集」なんかで
自分の生活見せびらかしてお気楽かましている奴とか、
えびもえのような人種やサーキットとか展示会場の花と呼ばれる人種は、
もともとが強いからどんなに不健全な生活をしても、幸せな結婚をして
丈夫な子供を生んで、死ぬまで充分に整備された人生の花道を歩くのかな。

・・・今までは「花道」を歩き続ける人を見ていると、
正直うらやましい、と自分の立場に対する苛立ちとか、悲しみとか
いろいろなものをごちゃ混ぜにした感情に苦しんでいた。

このことに対して、
今回の舞台計画のトレーニングを通して「そない卑屈にならんでええよ、自分」と
いうメッセージを無意識のうちにもらえたかな。

「幸運は必ずしもプラスに働くわけではない」
「不運は必ずしもマイナスに働くわけではない」
・・・だからこそ、幸運も不運も己を磨く「砥石」だという心構えを持たないと。
この砥石を使うことで自分の表現がほんの少しだけよくなって、
その積み重ねの上に「新しい広がり」が見えてくるのだな。


「誠実」であること、「不誠実」であること。

2006-12-16 20:44:19 | くじらをめぐる考察

・・・なあ、ふみふみ、ふつーの人がよ、不運にも「どうしょうもない状況」に
  陥ったとき、心の様子はどう変わるか知ってっか?

まずな、「小さな嘘」をつき始める。
たとえば、会社辞めたのに、毎朝会社に行く振りをする、
お金が入っていないのに、お金が入ったように振舞う、そんなところか。
・・・うーん、「なんか重大なことを隠してる」というほうがわかりやすいか?

次に時間や、約束にルーズになる。
遅れたり、サボったり。

さらにひどくなると、お金の使い方があべこべになってしまう。
払わなくちゃいけない支払いをほったらかして、本筋とは離れたことに使ってしまう。
おまけに、そのことに関して何も罪悪感を感じないからたちが悪い。

ほら、世間で一番の話題になっている公共料金の不払い問題の本質はこれ。

「払いたいけど、何らかの事情で心が不誠実になっている」ということ。
さらに突き詰めれば、こういった状況はみんな嵌ってしまう可能性があるんだよ。

・・・お恥ずかしい話、自分だってこの状況に嵌って、
  今もその後遺症に苦しんでいる。
そのおはなしに少し付き合ってくれないか、ふみふみ。

さて、何から話そうか。
数年前、組織になじめなかったとき、自分はこういう状況になってしまった。
自分は、嘘をつく、とか時間や約束にルーズになる、ということはあまりなかったが、
「お金に対する不誠実」に関することがひどかった。

ていうか、あのときの自分って「埋められないストレス」を
お金で解決していたんだろうな、と。
それでも埋められなくて、強い刺激、強い刺激をいつの間にか求めている。
「夜遊び」のことだってはじめは一軒だけ行ってちゃんと家でご飯食べていたのが、
時間が長くなってご飯を家で食べなくなり、二軒行くようになり、三軒、ついには
「石鹸の国」二軒はしごで〆、になってしまった。

ほんと、あの時はあらゆる意味で「不誠実」になっていて、
気がついていたら何もかもがなくなっていた。
・・・仕事も、お金も、自分の生活空間も。
再来年まで、新規にクレジットカード作れないんだよ、これが一番の後遺症。
というか、銀行さんがまだクレジットカードを持たせて、債務保証もしてくれた
(10万円だけだけど)事に関して、正直ありがたいと思う。

この状況を何とかしたあとに、やらなくちゃいけないことが見えてきて、
それをやっていく上で大いに助けてもらっているから。

まあ、この状況を何とかやり過ごせたのは、
「愛媛FC」と「舞台計画」の二つに携われたからかも知れないけど。
これらがあるから、今の自分は不安定ながらも「誠実」になれている。
今の自分は、この二つのことをやる以外に出せる無駄な金はない、
ということを頭においてお金の計算をしている。

・・・さて、今のふみふみが一番やらなくちゃいけないことは何だ?

というか、名刀澤登の「引退(封印)試合」のチケット、押さえてしまった。
こんな大層なこといって、やることあほじゃん。
さあ、どうするべ。

 


サークル・オブ・ライフ。

2006-12-06 03:37:13 | くじらをめぐる考察

生きとし生けるものには必ずあるもの。
どうやって生まれて、どうやって生きて、どうやって死んでいくか。

人間には人間のサークル・オブ・ライフがあり、
犬には犬の、猫には猫の、ありにはありの、キリギリスにはキリギリスのというように
動物すべてにそれぞれのサークル・オブ・ライフがあり、
さらに拡大して言えば花には花の、木には木のサークル・オブ・ライフがある。

要するに、「存在」すべてにはそれぞれ違う目的があり、この目的に沿ったことを
やっていかないと生きていけない、ということ以前の問題になってしまう。
さらにいえば、それぞれのサークル・オブ・ライフはほかの存在によって
邪魔される必要はなくて、もっと言えば、邪魔しちゃいけないのです。

牛や馬は田畑を耕していくことがサークル・オブ・ライフで、
犬は危険から「命」という大事なものを守ってもらうこと。
ありは栄養豊富な土を作ることで、キリギリスはその音色で周りを楽しませる。
花はその美しさで周りを和ませるほかに、栄養を与えてくれる。
木は存在に必要な水を作ってくれる。
そういう風にしてみんなつながって、ひとつの大きなサークル・オブ・ライフができる。

というわけで、世の中には必要とされていないものなんてないし、
だからこそ、すべてのものに敬意を払わなくてはいけない。

翻ってわれらが人間はどうよ?
本来の目的をとうの昔にはずれてるんじゃないか?ということが最近多すぎる。
というか、あまりにもたくさんのことを知りすぎてしまい、
「俺様はすべての生き物を支配する立場だ」と傲慢になってはいないか?
自分が生きるためにお互いが持っているサークル・オブ・ライフを
叩き壊してはいないか?
人間とそのほかの生き物との関係においても、
さらには人間同士の関係においても。

ここ数年、自分が人間としての本流から「はじかれた」所為か
このことをよく感じてしまう。

どうすればいいんだ?
いえることはただひとつ、「間違ったこと」を選べば自分の生活は楽になる。
しかし、それでいいのか?
ほかにやりようはあるのでは、ということをやっていくしかない。
というか、自分のサークル・オブ・ライフを守っていくこと。


携帯の電話会社と機種のメーカーの選択で個性がわかるとは言うけれど。

2006-10-29 13:59:53 | くじらをめぐる考察

番号継続制 ソフトバンクへの申し込み殺到、契約手続き停止(産経新聞) - goo ニュース

ここによると、「出て行く人」も多いかもしれない、とのこと。

このニュースがリリースされたのと同じ時間帯に自分の携帯に
携帯電話会社からこんなメールが。

2006/10/28 12:17

件名 他社携帯料金のからくり教えます!!

ご存知ですか?
月々の平均携帯料金は、D社がA社より安いんですよ。(7/29日経新聞より)
Aの「無期限くりこし」は繰越額に上限あり、
Dなら上限なく繰り越せてさらに分け合えます。
SBの「通話料0円」は条件あり、他社へはもちろん、自社同士でも
時間帯や通話料によっては有料でしかも高額に!!(以下略)

・・・相当焦っていますね。

というか、今までの携帯料金体系があまりにも
「ブラックボックス」の部分が多すぎる。

それを各社いろんなサービスでごまかしている格好だった。

・・・ほら、どこぞのアイドルさんがニュースでいってたじゃないですか。
「携帯はいつでもどこでもアンテナが3本立っていないと」とね。
携帯会社はそのこと一点だけ考えたらいいものを。


「無駄なこと」をする意味。

2006-10-25 23:44:01 | くじらをめぐる考察

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <履修不足>10県65校、生徒数は1万2000人に

・・・こんな調子だから今の世の中、ぺらぺらの薄っぺらい人間が
大量生産されるのよ、といってみる。

何で社会二科目必修なのか意味を知らなさ過ぎる。

「物事の多様性」を感じる意味があるから、こうやって編成を組んでいるはずなのに。
「土地の歴史」と「土地の形」は切っても切れない仲なのですよ。
それを知らない人間が平気でその土地特有のものをないがしろにする。
・・・今の地方荒廃の理由。

こういうことは優秀な「組織人」の育成を旨とする今のやり方では
「無駄」なのでしょう。

しかしな、そういった「無駄」が「人間にとって一番の肥やし」なのですよ。
それがあるとなしとでは、えらい違いです。
そういうものの見方を持っていたらまず、「他人」という存在を馬鹿にできない。

だからこそ学生のころは大いなる無駄をやりまくれる時期なのに。

あとなぁ、オリンピック代表戦でも国立開催は如何なものかと。
「明日のスター」とか言うのなら、フクアリとか駒場とか、仙台ユアスタのような
「こじんまりしているけど、一体感のある」箱でやったほうがためになるのに。

自分、右足の具合が10月末までに痛みが45%取れなければ、
ごめんなさい、天皇杯の横浜行き、キャンセルします。


発達障害者の過酷過ぎる現実。

2006-10-20 23:05:32 | くじらをめぐる考察

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 18歳少年に懲役12年判決…大阪・寝屋川教職員殺傷

・・・果たしてこの結果は妥当か否か?

何も事情がわからないまま、犯罪を犯して、いろいろやっているなかで
「発達障害」と判断されている服役者がかなりいる、という事実。
しかし、それに対応したプログラムが「刑務所」にはないらしい。
「少年院」は特質上、存在するようですが。

まあ、こうやっていろいろな精神鑑定を通して「問題」がはっきりしたから
刑務所の中では、この結果に対応した処遇を受けるかもしれない。

お役所の内部資料によると、刑が確定したら
その時点でアルファベットのコードでその人の「特性」がわかるようになり、
その特性に合った刑務所に入れられるようだ。
たとえば初犯者は「A」、再犯者は「B」、
これに8年以上の「お勤め」の場合は「L」が前に付き、
そのうしろに25歳以下か以上か、60歳以上か、
身体、精神、発達についての障害のあるなし、
あとはまあ「反社会的な」集団に所属しているかどうかとか。

あくまでも仮定ですが、「彼」は刑が確定したら「医療刑務所」、
それも「精神疾患」専門のところ、に最初は入れられるようです。
で、労役は「掃夫」といって、施設内の掃除、とかの雑用をする。
そうでないと、「刑務所」という世界は「発達障害」にとって
恐怖と絶望に満ちた場所であって、刑期を満了する以前に
生きて帰ることができるかどうか、というところ。

こういう障害が見つからず、普通のところにいる受刑者は
陰でなんと呼ばれているか知っているか?
・・・「漫画」と呼ばれていじめの対象にもなっている。
こう呼ばれたらその人は悲惨。
さらに社会にでても「潰し」が効かないから途方にくれる。
また犯罪をする、この繰り返し。

そこまで行かなくても、社会のなかで「潰されている」、
これが現実。

でもな、そんなにつらい目にあったとしても、人は殺しちゃいけない。
ましてや、自分を「本当に」殺してもいけない。

・・・世の中には「人間の質が粗い人」がたくさんいて、
  その人たちがとても大きな力を持っていて、そうじゃない人は
  大変生き難い時代になってしまった。
この人たちは平気で「人間の質がきめ細かい人」を傷つける。
もういい加減にしてよ。

そういってある人は首を吊り、ビルから飛び降り、人を刺す。
しかし、それ以外にも道はあるだろ?
・・・自分のつらさ、苦しさ、そこから見えたことをいろいろな形で
  「言葉」にして誰かに伝えたい、という思いはあるやろ?
  言葉にできなかったら自分の体を動かしていくことで「目に見える」
  言葉を作っていけばいい。
その「身体言語」はいつか大きな「利点」となって自らの身を助ける。
だから、自分は「舞台計画」で己の「身体言語」を練磨していく。
その覚悟で今までやってきたし、これからもやっていくだろう。

この言葉を聴いて奮い立つことができたら一緒にやってみませんか?


景気はちっとも良くなっていない、というのに。

2006-10-06 02:36:27 | くじらをめぐる考察

こんなこと、正直言ってほしくない。
そりゃ、力のある人とタイトな戦いを「いつも」やってりゃ
勝手に地力は上がってくるよ。

・・・けど、それをするのにどれぐらいのお金がかかることを忘れてはいまい。
  ついでにそのお金は誰が出すのよ。

アジアの中で云々とか言ってるけど、日本とそのほかの国の
「お金」とか「労働」に関する思想の違い、「使える天然資源」の多寡の二つが
世界で求められている価値観や質量と少々合わないところがある。
すり合わせようとしても今まで「守られてきた」俺らは戸惑うばかり。
・・・結局いい思いしてるのは、「人間の質が雑な人」だけ。

そんな連中によってつい最近までありとあらゆるものが
「荒らされて」、そのあとには何も生み出さない、荒涼たる大地が残っている。

Jリーグだって、何だってそう。
これが「へんてこりん景気」の正体。

セルジオさんだって、日光バックスの仕事をしている上で
荒涼たる大地を見ているはずなのに、そこに言及しないのはなぜ?
アイスホッケーマガジンのインタビュー記事でいいこといっているのに、
サッカーではそこのところを考えないで話しているところに怒りを覚える。

俺らはそういうマイナスの話しは聞きたくない。
聞きたいのは、この荒涼たる大地にどうやって肥やしを鋤き込み、
草の種を蒔き、苗木を植え、水をやり、こまめに手入れをする、という
新しい大地を「みんなで」作っていく決意。

そういう話をしてほしいのに。


やばいよ、自分。

2006-09-08 16:16:25 | くじらをめぐる考察

最近、昼間に横になってしまう。
・・・というか、なって目をつぶらないと
過去のいろんなしくじりが自分を責めてくる。
すごくしんどい。

・・・季節の変わり目になると、いつもこうだ。

お金が回せない、とかいろんな現実見せられると
「うまく行ってたのに、自分からそれを潰した」という意識が
自分で自分を「だめなやつ」と責めている。

それを乗り越える工夫はしているが、なかなかうまくいかない。
・・・一体どうしたらいいものか?


十年一昔、とは言うけれど。

2006-09-07 20:53:03 | くじらをめぐる考察

夕方、珍しく道路地図をパラパラしてみる。
・・・面白いものを見つけた。
1996年当時の四国内の高速道路の料金、距離表。

参考に、今の四国内の高速道路網の地図を張っておく。

 

1996年当時は高松から松山の手前の川内までしか
高速道路は通っていなかった。
徳島方面は徳島から脇町、というところまで。
高知方面は愛媛から枝分かれして大豊というところまで。
そのころって四国の各都市間の移動ってものすごく大変だったんだろうな。
却って船で本州の対岸に渡ったほうがすごい便利だったのかな、と。

世紀が変わって今はどうだ?
あっという間に高速道路網は整備され、今じゃあ結構な頻度で
四国の各都市を高速バスが走って、鉄道使うよりも便利だ。
・・・今までばらばらだった各都市の交流もだいぶん楽になってきた。
高速道路がなかったら、Jリーグの四国ダービーだって、
野球のアイランドリーグだって成立が難しかったのかもしれない。

25年前に本で読んだような「完璧な文明社会」にはまだなっていない。
しかし、時間はかかっているけど、
今まであった「古いもの」と折り合いをつけながら、
いろいろなものが「新しく」なっている。
無論、いいことばかりじゃないけれど。