一度書いたと思いますがウルトラマラソンのことを書きます。
仲のいい野村さんと 1995年 10月15日に行われた第二回四万十川 100キロマラソンに参加しました。どんなものかわからず練習方法も、8月くらいから準備にかかりました。
長い距離を二日に一回走るようにしました。週に一度会社から家まで野村さんと一緒に走って帰りました。距離にして 40キロくらいを何週間続けたと思います。
九月の頭に野村さんと一緒に 10時間ぐらいを走る練習をしました。橿原神宮をスタートして天理方面に行く山の上の道だったと思いますがゆっくり時間をかけて走りました。
九月の二十日の水曜日休みを取って、もう一度自分で 10時間くらいを走りました。
自分の家から国分方面に走り、国分から王寺に行っていろいろ周り自分の家に帰りましたる。
およそ 70キロくらいだと思います。それでもかなり疲れます。
休みを取った日は中間決算の〆の日であったので、後でマネジャーから叱られてしまいその次の人
事で異動させられました。
レース前日の車での下見で風邪をひいてしまい、調子が悪かったこともありますがスタートはあまりよくなかったです。その後一緒に行った野村さんと女子で優勝した人と 20キロの上り坂の最後まで行きました。それから野村さんと別れて、スピードを上げる。マラソンの距離で 3時間50分ぐらいで通過し、50キロで 4時間 30分で通過した。女子の人とスポーツ店のインストラクターと 60キロ地点の休憩所まで一緒に走りました。10分ほど休憩してまた 3人で走り始めた。しばらくいこと急な坂がありそこでその人達についていけず離れてしまう。70キロくらい行くと急に走れなくなり、優勝した女性は 9時間少しでゴールして順位は全体の 30番目ぐらいだった。
僕はそのあとキロ8分を超えて走り 10時間 41分 53秒でゴールした。1200人くらいの参加で 855人完走その中で 140位だった。1時間くらい後にゴールした野村さんを待って高知行きの電車に乗り、高知から夜行の船で大阪に帰ってきて会社に行った。しばらくしてマネージャーと話している時急に倒れて救急車で病院に運ばれた。ものすごい疲れがたまっていたみたいである。
結局またマネージャーに怒られ上に書いたように次の年に人事異動がありました。
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