1995年の四月宮古島トライアスロン大会において脱水症状を越してしまいました。
この年は 1月17日に阪神淡路大震災が起こり仕事面でいろんなことが起きました。
十日ぐらいたって神戸市のお客さんに、お見舞い金を持っていくことになりました。
しかし伊丹あたりで電車はいかず、車もいっぱいで動けない状況でした。
それでいったん淡路島まで船で移動し、そこからまた船で神戸方面に行くことになりました。
行ってみると道路に段差があったり、家は倒壊していたりびっくりすることが多くありました。
また 1カ月後炊き出しに行ったりしていました。
そんなこんなで一月から四月までほとんど練習ができない状況でした。
水泳は何とかジムで練習していましたが、バイクとランはほとんどできませんでした。
レースのバイクの途中で水が飲めなくなり、スポーツドリンクは何とか飲めていました。
でも前年よりかなり悪いタイムでランにつなぎましたが調子がなかなか出ませんでした。
ランニングの折り返しで腰が痛くなりゆっくりとしか走れなくなりました。
やっぱり水はのめなくスポーツドリンクだけ飲んで走り何とかゴールりました。
総合タイムは前年より 2時間ぐらいおそくなりし、ゴールした時体調もすごく悪かった。
前年いつも一緒に行っている友人がゴール後調子が悪くなり夜に病院に入院することになりました。そんなことがあったので、遅かったが体育館の救護センターに行き点滴を受けるようになった。
通常 500ミリのブドウ糖を 1時間ぐらいかけて落とすのを、終わる時間だったので 30分ぐらいで落としてもらった。その時診察をしていただいたお医者さんが言っていたのは、水が取れなかったので脱水症状になっているということでした。病院に入院しますかと聞かれましたが大丈夫ですと返事し何とかお世話になっている家に帰ることが出来ました。
トライアスロンというスポーツは完走すると、脱水状態になっていることは多いらしい。
あまり無理はできないと思いました。
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