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迷歩録  あや

2017-03-24 12:01:53 | 日記
  雨やんで  蕾喜ぶ  陽射かな  日向ぼっこで  縁側炬燵

                              ひのひら  ろくべえ




   「あや」という言葉は非常に都合よくつかわれることが多い。文章などの表現上の技巧、言いまわし

  ふしまわし(広辞苑)言葉を飾って上手に言いこなすこと、巧みな言い方とある。言葉ののりしろとで

  もいうのであろうか。言葉のやり取りの国会などでもこのことが問題となる。

   言語的コミュニケーションの場合特にこの部分が明確なりずらいので、不信をつくりだす基ともなるの

  ではないだろうか。それ故に言っただの、言っていないだのの水掛け論となってしまい。問題は解決され

  ないままに、うやむやになってしまう。

   言語的コミュニケーションを行う場合、特に重要と感じることは両者で文章化したものを確認し合い、

  間違いないことを確認する。それが公の方法であるにもかかわらず、そのようなものが一切ないという事

  は、両者にその会話を解らなくしょうとする意図が存在することが推測できる。このようにコミュニケー

  ション関係が破綻すると、水掛け論的やり取りになることが多い。それ故に言語的コミュニケーションの

  際には、言葉の隅々まで配慮というものが必要となることを知っておくことが大切なのである。

   言葉の「あや」で済まされないことが多い、対人援助の現場では、国会議員のような態度になれない。

  自分たちの目の前にはクライアントがいるのだから、だからこそ、言葉を丁寧に、相手に伝えることを目

  的として、丁寧に真摯的に行わなければならないのではないだろうか。

   森友学園問題、ますます本質は深みにはまりつつある。誰が嘘を言ってるのか否かより、言葉の使い方

  を勉強してほしいものである。
  
   大切なのは国家が平等性を失った行動をしたか、特別な配慮、忖度があったかどうかではないだろうか。

  お上に弱いと言われる日本人は、肩書や政治家に弱い、紙にその名前があれば、公務委員は忖度をするの

  が当たり前ではないだろうか。その部分が問題なのである。という事は日本人の価値観にかかわる所とい

  う事ではないだろうか。

   いずれにしても、言葉の「あや」なる、つかみどころのないうやむやな発言はできる限りしないという

  言語的コミュニケーションを目指すことが大切なのであろう。