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迷歩録   どうちゃく

2017-03-20 11:03:49 | 日記
  雨風に  白蓮撃たれ  花散らす  桜蕾や  身縮め過ごす


                           ひのひら  ろくべえ



   「どうちゃく」(撞着)とは、つきあたること、ぶつかること、前後が一致しないこと、つじつまがあわないこと
   
   矛盾(広辞苑)とある。さらには自家撞着という言葉がある。これは同じ人の言動が矛盾してること。とある。い

   ずれにしても、自分の言動につじつまが合わないことを現す。

    今マスコミを賑わしてる人たちの事だけでなく。人間は本来が自家撞着的ではないだろうか。だからこそ自分で

   矛盾を正そうとする生き方を良しとするのではないだろうか。毎日毎日自己矛盾の中で矛盾を少なくして生きよう

   と努力をしているのが人間であることをまず知ることが先決ではないだろうか。他者の矛盾ばかり追求する姿には

   少し飽きてくる。それは人間の生き方の追求であり、矛盾なき生きているものは不可能に近いという事を知ってい

   るという事ではないだろうか。

    矛盾があるからこそ、矛盾を少なくして、他者との交流を大切に生きようとする姿こそが真摯的と評することが

   できるのであろう。対人援助の場で、クライアントの矛盾ばかり援助対象とするケア計画を目にすることがある。

   あるいは、矛盾の訂正をケア計画と勘違いする職種もあるのではないだろうか。大切なことはクライアントの自己

   矛盾を受け止めて、そこから出発をすることが大切なのではないだろうか。矛盾を本人も受け入れられるような、

   精神的ケアを中心に、ケア計画というものを組み立てる。そのための情報を取集するといった所から援助はスター

   トするのであろう。

    クライアントの自家撞着の追求をして、クライアントを自分たちの思い通りにすることと勘違いしている対人援

   助者はいないだろうか。人間はクライアントも援助者も、どちらも自己矛盾の中で生きている動物であることを理

   解した上で、苦しみを少なくする本人の生き方を手伝うのが援助、主役はいつもクライアントである。そのことを

   忘れてしまうと、口に出てくる言葉は、不満と愚痴だけになってしまう、そうではなく、共に助け合ってどのよう

   に生きていくかという視点を持って、追求ではなく、自家撞着をどのように解決の方向に本人が向かう事ができる

   かそのことにどのように援助できるかを考えられる対人援助者でありたいものである。