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迷歩録   くつろぐ

2017-03-15 11:00:28 | 日記
  青空に  染み入る声や  鶯の  恋人探し  繁忙期かな

                      
                              ひのひら  ろくべえ




    「くつろぐ」(寛ぐ)、ゆるくなる、ゆるやかに起座する、ゆったりできる余地がある。安心する。落ち着く。

    心を許して愛する。(広辞苑)などの意味があるそうな。春の陽気に寛いで、お茶を楽しむ縁側かな。という

    感じがぴったりではないだろうか。さらに隠居の身の上、毎日が寛ぎの生活となれば、まさに高齢者の生活ス

    タイルなのであろう。しかし現代は多くの人が介護施設で暮らす高齢者が多いと聞く。そうなれば高齢者施設

    でどれほどの「くつろぎ」という感覚を満たしているのだろうと気になる。

     高齢者のいる施設での利用者の満足度はどのようなものであろうか。満足度を推し量ることは難しいが、日

    常生活低下予防とか、認知機能低下予防などと称して、朝早くから起こされ、したくもないプログラムを押し

    付けられ、食べたくないものまで食べされて、入りたくもないお風呂に入れられてといった、施設側の都合プ

    ログラムで日常生活を送っているのではないだろうか。

     日常生活や食事、入浴などと言うものは、本人が心地よくやりたい時に「くつろぎ」感覚ですることが大切

    なのに、その感覚は施設に入所した時から無視され、すべてのプログラムが援助者側の都合で成り立っていな

    いだろうか。そのことにお金を支払う高齢者のやもない実情を援助者は理解しているのだろうか。

     訪問ケアも同じこと、援助者側の都合だけが優先されるケアではなく、消費者である高齢者が満足する援助

    つまり寛げる空間や時間というものを提供できているかどうかを、日々確認しながらの行う事が理想ではない

    だろうか。

     忙しいから、人手が足りないからとの言い訳が聞こえてきそうだが、限られた物質、限られた時間で、どの

    ような、どの程度の「くつろぎ」を感じていただけるのか、そのようなことを日々、個人個人についての援助

    の在り方というものを考慮しているだろうか。

     国の施策が未熟であることは理解できるが、そのことを理由に援助というものを考えているとしたら、それ

    は、単なる言い訳に過ぎないのではないだろうか。くつろぎ援助を提供するには、今自分たちに何ができるの

    かを考え、そのことを実行する力こそが必要な事ではないだろうか。その先に国の施策を動かす力が存在して

    いるのかもしれない。

     「くつろぎ」この「くつろぎ」こそ人間の生きるエネルギーとなるもの、「くつろぎ」援助というものの提

    供こそが21世紀の援助方向なのかもしれない。

     「くつろげる」環境とかかわりを研究発展させたいんものである。