貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

上京Ⅲ(5/11)

2014-05-15 23:40:15 | よもやま話
【前回までの補足】
1.富士山の写真
  時速200キロ以上で走行する「のぞみ」の車窓から写すのは実際には難しい。
  (架線のポールが写り込んだりする)
  で、久しぶりに「連写」を使いました。3枚のうち2枚はそれなりに写ってました。
  ちなみに、右の淡い線はデッキの灯りが窓に映ったもので、窓ガラスに密着させると
  ブレてしまうおそれがあったのでやむを得ません。
2.Suicaのエラー
  Suicaは、入場券としての使用ができないそうです。
  なので「あ、間違えた!」と出ようとしても、「入場券と同じ扱い」にされたみたいです。
  まぁ、東西線に乗って日本橋乗り換えでもよかったんですけどね。

さて、3日目は私の「メインイベント」、元同僚と上司との再会を果たす、です。
市原の友人宅から同じ市原市内に住む元同僚に「上京しているので会いたい」と電話しました。
その同僚は私より10歳下、私が転勤(昭和55年)した情報処理部門の前年の新入社員。
コンピュータはド素人(IBMのテキストで勉強)だった私に、いろいろ教えてくれました。
転勤後結婚するまでの一年あまりいた独身寮も同じで、朝晩一緒に通勤した仲。
私が退職して高松に移ってからも毎年欠かさず年賀状を送ってくれ、いつか必ず…と思ってましたが
3年前の大ドジのせいでそのときは果たせず、今回やっと。

彼と電話していると「スギさん、会いたいって言ってた元同僚ってM原さんなの」。
『えっ?、知り合いだったの?』、ふたり声をそろえて「お世話になって、よく知ってる!」。
泊めてくれたA藤氏とM原くんは、営業所向けオンラインシステムの関係でよく顔を合わせていたとか。
何度も会っているA藤氏とその辺の話をしたことがなく、全く知らなかったのでした。
「明日の朝、出かけるついでに五井駅まで送って行くから、蘇我駅で待ち合わせれば?」

蘇我駅で昭和61年以来「28年ぶり」で再会した彼は、まだあどけなさの残っていた面影が…
それから5時間以上!、お茶を飲んで、稲毛海浜公園を散歩したあと遅いお昼を食べるまで、
積もる話を長い空白を埋めるかのように…
私はともかく、彼は3年前退職してからとても苦労したようです。
『家族が皆元気で仲良く暮らしていれば、なんとかなるよ』と私。

食事をしたあと、元上司に『今稲毛海浜公園のそばに来てます、お目にかかりたいのですが…』。
「なんだ、すぐ近くじゃないか、車で迎えに行くよ」との返事。
ものの10分でお元気そうな姿を見せてくださいました。
元上司とは、前に勤めていたフェリー会社の「ディズニーランド研修」以来、およそ15年ぶり。
来年は80歳になられるそうですが、とてもそんなお年には見えませんでした。
その「元上司」といっても、一緒に仕事をしたのは40年前(神戸時代)のわずか一年たらず。
なのになぜ私が慕っているのか?、というのは「初めて出会った減点主義でない上司」だったから。
「スギ○クンは仕事の虫みたいなヤツだから、やりたいようにやらせりゃいいんだよ」
と伝え聞き、上司からそう言われて頑張らない部下はいません。

ご自宅(美浜区)にお招きくださり、奥様とはおよそ30年ぶりでしょうか。
神戸時代、ご長男を出産されたので「神戸には出産のために行ったようなものねぇ」って。
お子さんの結婚式の写真やお孫さんの写真を見せてくださったり、楽しいひとときを過ごし、
家内との待ち合わせに間に合うようにおいとま、6時すぎの京葉線に乗って東京駅へ。
夕暮れの中、電車の窓からスカイツリーも見えました。

家内の試験場は錦糸町の近く、「東京駅のどこで…」という連絡はなかったけど『子供じゃあるまいし』
京葉線地下ホームから新幹線乗り場まで延々と通路を歩き、ホームに上がると先頭に見慣れたオバサン。
『(試験の)首尾は?』「やるだけのことはやった、あとは祈るのみ…」
とまぁ、こんな調子で充実した3日間も終わり、意義深い初夏の休日を過ごせました。

もちろん、「番外編」もあります。