日付が変わったので今日、ウチの二男が結婚式を挙げます。
まぁ、娘のときもそうでしたが、式を挙げる前から一緒に住んでるし、まして男の子。
子供が結婚するという「感慨」とか「寂しさ」なんて微塵もありません(笑)
これはお嫁ちゃんの方も同様なのか、LINEで「今夜は実家に帰るの?」って訊いたら、
『帰らないで新居にいます』って返事が返ってきました。
今どき「実家の両親に(嫁ぐ)挨拶」なんてしないのが、多数派になったらしい。
私らのときは、実家が神戸と高松ということもあり、招待客のことを考えて、
縁もゆかりもない倉敷で結婚式を挙げました。(だいたい2~3時間で来れるから)
私の家族を含めほとんどは日帰りでしたが、私と家内の家族だけは前日から倉敷に宿泊。
おそらく家内の方は「遠い関東へ嫁ぐ」というのでそうしたのではないか?と。
ちゃんと「三つ指ついて…」をしたのかどうか聞いていませんが、
それに近いことはあったんでしょう。
で、「花婿の父」の話ですが、我が家にとっておよそ70年ぶりのことになるわけです。
オヤジが結婚したのは姉が昭和22年生まれですから、昭和21年だったはずです。
その年の春、「中国から復員してきた」と母から聞いた憶えがありますが、戦後のドサクサのさ中、
今みたいな結婚式・披露宴など望むべくもなかったことでしょう。
でも祖父にとってみれば、一人息子のオヤジが戦傷を負ったとはいえ「生きて帰ってきた」わけで、
まして結婚するとなれば嬉しかったに違いない。
そしてオヤジにとっては男の子が私ひとり、早く身を固めてもらいたかったのでしょうが、
私の結婚話がでる直前に世を去り、「花婿の父」になることは叶わずじまい。
なのでそんな親不孝な私が、「花婿の父」という光栄に浴することができる、というのは幸せなこと。
…とここまで書いて「前言撤回!」。
息子の結婚式に元気な姿で出られるというのは、家族も含めたいろんな人のおかげ。
感謝の気持ちがわいてきて、これも一種の「感慨」かな…。
披露宴のスピーチに忘れずに入れとかなきゃ(笑)
まぁ、娘のときもそうでしたが、式を挙げる前から一緒に住んでるし、まして男の子。
子供が結婚するという「感慨」とか「寂しさ」なんて微塵もありません(笑)
これはお嫁ちゃんの方も同様なのか、LINEで「今夜は実家に帰るの?」って訊いたら、
『帰らないで新居にいます』って返事が返ってきました。
今どき「実家の両親に(嫁ぐ)挨拶」なんてしないのが、多数派になったらしい。
私らのときは、実家が神戸と高松ということもあり、招待客のことを考えて、
縁もゆかりもない倉敷で結婚式を挙げました。(だいたい2~3時間で来れるから)
私の家族を含めほとんどは日帰りでしたが、私と家内の家族だけは前日から倉敷に宿泊。
おそらく家内の方は「遠い関東へ嫁ぐ」というのでそうしたのではないか?と。
ちゃんと「三つ指ついて…」をしたのかどうか聞いていませんが、
それに近いことはあったんでしょう。
で、「花婿の父」の話ですが、我が家にとっておよそ70年ぶりのことになるわけです。
オヤジが結婚したのは姉が昭和22年生まれですから、昭和21年だったはずです。
その年の春、「中国から復員してきた」と母から聞いた憶えがありますが、戦後のドサクサのさ中、
今みたいな結婚式・披露宴など望むべくもなかったことでしょう。
でも祖父にとってみれば、一人息子のオヤジが戦傷を負ったとはいえ「生きて帰ってきた」わけで、
まして結婚するとなれば嬉しかったに違いない。
そしてオヤジにとっては男の子が私ひとり、早く身を固めてもらいたかったのでしょうが、
私の結婚話がでる直前に世を去り、「花婿の父」になることは叶わずじまい。
なのでそんな親不孝な私が、「花婿の父」という光栄に浴することができる、というのは幸せなこと。
…とここまで書いて「前言撤回!」。
息子の結婚式に元気な姿で出られるというのは、家族も含めたいろんな人のおかげ。
感謝の気持ちがわいてきて、これも一種の「感慨」かな…。
披露宴のスピーチに忘れずに入れとかなきゃ(笑)
全国的にお天気も良く素晴らしい結婚式になったかと思います。
おめでとうございました。
家族が増えるというのはうれしいものです。
うらやましい限りですね。
うちは成り行きで三姉妹とも嫁に出したんで
やっぱりこうしてみると寂しかったです。
10数年前はそんなこと思わずみんな嫁に行っていいよって
言ってたんですけどね、年取ったらちょっと考えも違ってきました。
今さら仕方ないですけど…
来年の春、末っ子に2番目の赤ちゃんが生まれる予定です。
でも、あちらの赤ちゃん、うち孫じゃないってのがねェ。
孫は孫なんですけど…
ま、負けずに遊びに行っちゃおうと思ってます。
11月3日、黒磯中の文化祭でした。
「那須与一」生で聞いてきました。
すばらしかったです。
部員の校長先生や顧問の先生へのサプライズがあったりして、
感動的でした。
これで、北中合唱部追っかけ隊の活動も終わりました。(笑)
「屋島の戦い」については、ちょっと首を突っ込んだので経緯を知っているだけに
Mayumiさんのハラハラドキドキが手に取るように分かってましたから(笑)
でもまぁ、「全国大会に出場」というのはたいへんなこと。
ウチの娘は保育所のころから家内に半強制的にやらされた「なぎなた」で、
高校生のときには国体・インタハイにも出場しました。(いずれもベスト8)
全国大会に行くためには県下№1の高校に…ということで、越境入学※までして、
私らは駅まで「朝晩送り迎え」という日々でした。
※福島なら会津から中通りに通うようなもの、距離は圧倒的に短い
「なぎなた」という競技人口の少ない、高校でも部活があるのは10校に1~2校という特殊な競技でも
こうなんですから、メジャーな部活だともっとたいへんなのでしょう。
でもお孫さんにとっても、ずっと心に残る「いい経験」ができたことだし、
「夢を実現する」ための大切なことを学びとったと思います。
話は変わって、二男の結婚式はお天気にも恵まれ無事挙行、胸を撫でおろしているところです。
私らへのサプライズは、産まれたときの体重と同じ重さの「俵に入ったお米!」(笑)
「会津産コシヒカリ」ならよかったんですが、「山形産はえぬき」でした。
でも「(産まれたときは)こんなに軽かったんだなぁ」って。
その軽さと正反対の「(親としての)責任の重さ」を痛感したことを思い出したのは
私だけではないはずで、Mayumiさんもそうだったでしょ?
「子を持って知る親の恩」ということわざがありますが、娘さんたちも今まさに実感していることでしょう。
ジジババの出番はまだまだありそうですよ(笑)