貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

「誠実に」…(改題)

2005-04-11 08:52:00 | 家族のこと
第1号のコメントをくださった「もも」さん、ありがとうございました。
実は前回の記事には続きがあったんですが、投稿時刻を修正したりしているうちに、I・Eのエラーが出て続き部分が抜け落ちてしまいました。
おまけに、もう一回打ち込んで「下書き」で送ったら、今度はブログへのアクセス集中(?)とかで、また消えちゃいました。初心者だからいろいろあります(苦笑)
続きのかなりの部分は、朝日新聞の「おやじのせなか」という記事に対する私の感想文(編集部に送った)と同じなので、以下…

~略~
『昨今は、世間で「要領よく立ち回る」のが当たり前、「誠実に生きよう」という人が世渡り下手といわんばかりの風潮がはびこって、嘆かわしく思っています。
勝ち組とか負け組とか、いやな言葉もありますね。
そんなに単純に「色分け」できるものではない、と思いますが…。

私の「おやじ」も戦争で中国へ行き、左の手のひらに銃弾貫通の傷を負って障害者になった上、復員してからも結核を患い手術、と働き盛りのころから大きなハンデを負っていました。そんな体でありながら、私達家族のため昼夜を惜しまず一生懸命働いて、我々を育て上げてくれました。
あげくの果ては、子供達が皆一人前になり、孫も生まれて「やれやれ」と年金生活に入った矢先に体調を崩し入院、わずか4ヶ月の闘病の末、あっけなくガンで死にました。それからもう25年近く経ちました。
晩年、心筋梗塞で倒れ九死に一生を得たり、糖尿病と診断されて母や姉妹が「食事制限しないと」と口うるさく言っても、「戦争中満足に食べられなかったんだから、美味しいものを腹いっぱい食べて、それで寿命が縮まってもいい」と聞く耳を持ちませんでした。
戦争をくぐりぬけた「おやじ」のその言葉をきいて、私は何も言えなかったことを憶えています。

男の子が私だけで、会社員になってから転勤で私が家を出て別居したこともあり、死ぬ前の5年くらいはほとんど「おやじ」と話す機会がなく、返す返すも心残りです。
私が青春時代、折に触れ(夜勤だったので2日に1回しか居ませんでしたが)戦争時代のこと、仕事のことをポツポツ話してくれた想い出が蘇りました。
特に人生をどう生きるか、という教えめいたことは口にしませんでしたが、いかにも大正生まれの「おやじ」らしく、無言で「誠実に生きろ」と背中で教えたかったのだ、と今になって判ったような気がしています。』
~略~

16.6/13付の小林カツ代さんの記事に対する感想で、小林さんの父上は病をおして戦友会に出席しようとしたので、押しとどめようとした家族に対し、「元上官に『あんた、自分のやったことを忘れたんか。命ごいしたおばあさんや赤ちゃんの顔忘れたんか』と言い続けるために出席するんだ」と答えた、というエピソードが強く印象に残っています。
そういう「気骨」のあるオヤジたちがどんどんいなくなり、また時代遅れと言われて片隅に追いやられ、あるいは田舎で年寄り夫婦だけの生活を余儀なくされる世の中が、本当に「豊かな社会」といえるのか?

戦後のたいへんな時代、自分の食べるものを削ってでも子供に食べさせ、必死に生き抜いてきた親達の苦労を知っているはずの我々が、彼らを誇りに思い、後世に伝えることをせず、金儲けにやっきになり贅沢・飽食の時代を作ってきたなんて、「恥ずかしくないのか?」と問いかけたい思いがします。
「負け組」のたわごと?
そうかもしれませんね(苦笑)



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1 コメント

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Unknown (もも)
2005-04-11 11:54:14
いいお話ありがとうございます。立派なお父様でしたね。子供が自分の親を立派だと思えるようでなくてはと思います。現在は親を何とも思わず馬鹿にしてるような風潮がありますが、それは親の責任だと思います。戦争をくぐり抜けてきた人には及びませんが、せめて模範となるような生き方を子供に見せなくてはいけないと思います。又、戦争の中を生きてきた親を持つ私達もそれをいかに伝えていくかという事も大切ですね。思うだけではなく実行しなくてはいけないのですが・・
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