真っ黒に日焼けしています。
息子と毎日のように、できるだけ手つかずの自然の中に入っていき、観察をしていましたから。
息子はほ乳類の足跡や痕跡を探しに。
(アニマルトラッキングと呼ぶそうですね。)
わたしは樹木を深く知るために。
ノートとペンを持って、それぞれ何かに夢中です。
あちこち出かけてみてわかったのは、
わたしたちが心底満足できる森には、カモシカがいること。
まだどこか、かすかなものでいいから、神聖さが残されている森。
人の踏み込めない、深い領域が残されている森。
そんな深さに触れることは、そうあちこちでは出来ないのですが、
実家の裏山で、それが叶います。
この冬、カンジキで森を歩いた息子が、カモシカの足跡に出会いました。
わたしの父も、カモシカを時々見ています。
そういう森には、威厳がある。
手をあわせたくなるような、降参したくなるような、気高さがある。
深入りしたらいけないという、恐ろしさがある。
その威厳や恐ろしさを感じる時、わたしは、深い満足感に満たされます。
今日も、どこかの森に、わたしたちは居るでしょう。
ノートを持って、感嘆しながら、何かに見とれ、教えられているでしょう。
息子と毎日のように、できるだけ手つかずの自然の中に入っていき、観察をしていましたから。
息子はほ乳類の足跡や痕跡を探しに。
(アニマルトラッキングと呼ぶそうですね。)
わたしは樹木を深く知るために。
ノートとペンを持って、それぞれ何かに夢中です。
あちこち出かけてみてわかったのは、
わたしたちが心底満足できる森には、カモシカがいること。
まだどこか、かすかなものでいいから、神聖さが残されている森。
人の踏み込めない、深い領域が残されている森。
そんな深さに触れることは、そうあちこちでは出来ないのですが、
実家の裏山で、それが叶います。
この冬、カンジキで森を歩いた息子が、カモシカの足跡に出会いました。
わたしの父も、カモシカを時々見ています。
そういう森には、威厳がある。
手をあわせたくなるような、降参したくなるような、気高さがある。
深入りしたらいけないという、恐ろしさがある。
その威厳や恐ろしさを感じる時、わたしは、深い満足感に満たされます。
今日も、どこかの森に、わたしたちは居るでしょう。
ノートを持って、感嘆しながら、何かに見とれ、教えられているでしょう。