朗読会の後、いつも、思うことがあります。
それは、“みんな、わたし。”ということ。
出会うお母さんは、みんな、わたしの一部。
そう感じるのです。
みんな、それぞれに、今を頑張っていますが、
それだけでなく、
過去の何かとも、闘っています。
過ぎ去ったことは、その人が受け入れ、乗り越えることができるまで、何度でもあらわれ、道に立ちはだかります。
姿を変え、かたちを変え。
乗り越えるためには、それに見合うだけの時間と、エネルギーが必要です。
大なり小なり、その人が、変化して行けるまで。
そして、その力と、チャンスをくれるのが、子ども。
生まれてきてくれた子どもは、母を助けます。
新しい価値観や生き方を教え、母を変えていくことで。
先日の、戸隠公民館での朗読会でも、わたしは、たくさんの“わたし”に出会いました。
母に贈り物を携えてきた、子どもたちにも。
幼いあの日、辛かったよね。
少女であったあの日にも、辛かったよね。
長い時間が流れて、もう終わったと思っていたけど、子育ての毎日の中で、辛かった日々がよみがえり、立ちはだかる。
あの日の親のようになってしまう、自分がいる。
そうはしまいと思っていたのに。
かろうじて踏みとどまっていても、心の中は様々な思いが吹き荒れる。
打ち明けられる人もないまま、毎日、深く自分を責め続ける。
それは、とってもとっても、辛いのよね。
朗読会などで、そんなお母さんに、たくさん出会ってきました。
簡単には話せないことだから、長い時間、心や身体に負担をかける思いだから、
そばにいると、伝わってきます。
そして、そのほとんどの気持ちがわかる、わたしがいます。
わたしに、息子の母であることの他に役割があるとしたら、
この、“わかる”ということだけではないか・・・。
朗読会だけでなく、日々の暮らしや創作を通じて、わたしに役割があるなら。
そんなことを想いながら、わたしは、白く険しく美しい戸隠連峰を、見上げていました。