ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

大丈夫

2013年05月14日 | Weblog

信じることに、疲れてしまうことがあります。

何も変わっていないように思われて、ちっとも近づいてくれなくて。

手を伸ばしているのに・・・

願い続けているのに・・・

やっぱり、わたしはだめなのかしら・・・

届かないものなのかしら・・・


心は、沈んでしまいます。


たとえば、
ずっと使っていなかったホースに水を通した時、最初はスムーズに流れないかもしれません。

なかに溜まっていたゴミなどにより、詰まってしまうかもしれません。

はじめは、汚れた水が出てくるでしょう。

でもそれは、水が、なかにあった様々な不要なものを運んでくるためです。

諦めずに流していけば、だんだんホースはきれいになり、流れもよくなるでしょう。
(どうしてもだめな時は、張り切ってホースを新調しましょう!)


祈ること、信じること、描くこと、
それは、これまであまり使っていなかった心の働きを作動させることです。

だから、最初はうまくいかなくて当然です。

行き詰まったり、変なものが出てきたりして、びっくりすることもあるでしょう。

それは、停滞でも後退でもないのですよね。

古びてしまっていた心の道に、新しいものを通そうとしている、そのための工事のようなもの。

それは、間違いなく、前進です。






ホースから、変なものが出てきたら、困ったことに出会ったら、

それをしげしげと眺めてみると・・・
なにか大切なメッセージを持っていることに、気づくでしょう。

その変なものが、他ならぬ自分の、いとしい一部であったことにも、思い至るでしょう。

ごみなんて言って、ごめんね。
変なものなんて言って、ごめんね。

そんな気持ちになるかもしれません。



両手でそれを包むようにして、そのメッセージを受け取った時、それは、消えていきます。
目的を果たせたから。

伝えたいことがあったから、来てくれたのね。


やがて心は、ひとつぶん、軽くなるでしょう。

願いや祈りも、通りやすくなるでしょう。

そして、なにより素敵なことは、前より、ひとつぶん、自分をいとしく思えるようになることでしょうか。


そんなことを重ねるうちに、
もしかしたら、
何も描かなくても幸せでいられるように、なるのかもしれませんね。











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