信じることに、疲れてしまうことがあります。
何も変わっていないように思われて、ちっとも近づいてくれなくて。
手を伸ばしているのに・・・
願い続けているのに・・・
やっぱり、わたしはだめなのかしら・・・
届かないものなのかしら・・・
心は、沈んでしまいます。
たとえば、
ずっと使っていなかったホースに水を通した時、最初はスムーズに流れないかもしれません。
なかに溜まっていたゴミなどにより、詰まってしまうかもしれません。
はじめは、汚れた水が出てくるでしょう。
でもそれは、水が、なかにあった様々な不要なものを運んでくるためです。
諦めずに流していけば、だんだんホースはきれいになり、流れもよくなるでしょう。
(どうしてもだめな時は、張り切ってホースを新調しましょう!)
祈ること、信じること、描くこと、
それは、これまであまり使っていなかった心の働きを作動させることです。
だから、最初はうまくいかなくて当然です。
行き詰まったり、変なものが出てきたりして、びっくりすることもあるでしょう。
それは、停滞でも後退でもないのですよね。
古びてしまっていた心の道に、新しいものを通そうとしている、そのための工事のようなもの。
それは、間違いなく、前進です。
ホースから、変なものが出てきたら、困ったことに出会ったら、
それをしげしげと眺めてみると・・・
なにか大切なメッセージを持っていることに、気づくでしょう。
その変なものが、他ならぬ自分の、いとしい一部であったことにも、思い至るでしょう。
ごみなんて言って、ごめんね。
変なものなんて言って、ごめんね。
そんな気持ちになるかもしれません。
両手でそれを包むようにして、そのメッセージを受け取った時、それは、消えていきます。
目的を果たせたから。
伝えたいことがあったから、来てくれたのね。
やがて心は、ひとつぶん、軽くなるでしょう。
願いや祈りも、通りやすくなるでしょう。
そして、なにより素敵なことは、前より、ひとつぶん、自分をいとしく思えるようになることでしょうか。
そんなことを重ねるうちに、
もしかしたら、
何も描かなくても幸せでいられるように、なるのかもしれませんね。