印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

孤高であれ格調高く

2012-03-09 21:37:44 | 俳句
昨日広報文芸の担当者から川柳の投句をメールが届いて。そろそろだすかと思っていたけれど、伸ばしていた。それで昨日きっかけがあってからと、題目、春近しを2句、雑詠2句昨日メールした。今日受領のメールの返事が入っていた。

次に10日締め切りの名古屋俳句の主宰誌に5句考えて今日投函した。

そして、今日フラダンスの練習であつまったひとから公民館の川柳の欠席投句を今日持ってくると思った、といってきたので、今日メールしますといってしまった。3月14日は日光霧降にいくので、欠席とは前々からいっていた。今日9人ほど集まったが中の2人は最近霧降にいってきたといっていた。それでいままでかんがえて、宿題2句「卒業」と雑詠2句、推敲して、今メールし終わった。

それで明日は銀座俳句会だ。5句かんがえないといけない。3句はきまったけれど、あと2句がまだできていない。テーマは雄大で凛とした、ぶれない句ときめて進んでいる最中である。あらたな一歩をと思っている。孤高という独自の境地をつくりたい、沈着で、重厚で、格調高く、古典と近代を融合させたようなそんなものを掴もうとおもっている。

今までは、どちらかというと川柳的な人間臭さを思っていたけれど、しばらく路線を変えてみたいと思っている。銀座俳句もそろそろそこが見えてきたので、とどまるのは難しくなってきた気がする。知人が4人もやめたのだから、その理由はわかる。

ぶりょう-とうげん【武陵桃源】

2012-03-09 21:07:29 | 俳句
先日の打ち上げで入笠山の話をしたら、中国の武陵桃源みたいだよ、と言っていた人がいた。いや岩岳のことをそう言ったかもしれない。去年白馬岩岳にいったとき、安曇野もそうでしたが、日本にこんな美しいところがあったのだと思ったことは確かだ。

寺田寅彦さんが雨の上高地を武陵桃源だと言っていた。なるほどいえる。と思った。
ーー寺田虎彦さんの文より抜粋ーー雨の上高地はしかしやはり美しかった。
中の湯あたりから谷が迫っていて景色が険しく荒涼な鬼気を帯びて来る。それが上高地へ来ると実に突然になごやかな平和な景色に変化する。鬼の棲家を過ぎて仙郷に入るような気がして昔のしな人の書いた夢のような物語を思い出すのである。シー・ピー・スクラインがパミールの岩山の奥に「幸福の谷」を発見した記事を読んだときにいわゆる武陵桃源の昔話も全くの空想ではないと思ったことであったが、その武陵桃源の手じかな一つの標本を自分は今度雨の上高地にみいだしたようである。

ーーfm.web--

ぶりょう-とうげん【武陵桃源】
武陵桃源 意味
俗世間からかけ離れた平和な別天地、理想郷のこと。▽「武陵」は地名。中国湖南省こなんしょうにある。「桃源」は世俗を離れた平和な別天地。
武陵桃源 出典
陶潜とうせん「桃花源記とうかげんのき」
武陵桃源 句例
◎武陵桃源の世界
武陵桃源 用例
桃李数百本を植え、川に柴橋さいきょうを架けて桃源橋と名づけた。武陵桃源の故事によって、浮世の外の意を寓ぐうしたのである。<海音寺潮五郎・柳沢騒動>
武陵桃源 故事
武陵の漁師が、川をさかのぼって桃林に入り、山腹の洞穴を抜けたところに、美しく桃の花が咲き乱れる別天地があった故事から。

山の旅大正・昭和編

2012-03-09 12:11:26 | 俳句
入笠山に6月参加する予定にしている。花散策クラブで。35人いて、どうやら27人で人数制限している。人数オーバーになれば、新参者だから、カットのほうに行こうとおもっている。山の本をみてみようと、図書館でけんさくした。東浦和にはなくて、岩槻図書館にあるのでとりよせしてもらった。すぐに来た。登り方でなくて、文書のみの文庫本。

それが結構面白い。感想文のようで、紀行文のようで個人的なものばかり。
大正期後半、日本の山岳会をリードする槇有恒、三田幸夫ら世界的クライマーが次々、それから熊野古道巡礼の斉藤茂吉、それから寺田虎彦、井伏鱒二、小林秀雄などなど、

よんでみると、寺田虎彦さんなど、面白い。思っていることを景色をみて表現していて。日常の生活ぶりがみえる。

井伏さん息切れがして山をのぼっている。降りるときどんどん追い越されていくわけだが、100人ばかりの連中に追い越されて、一様に「ご苦労様」と言われるのがいやみたい。つらい思いで降りている矢先、おんな子供にまで「ご苦労様」といわれるとかえって腹が立つ。と冒頭にかいている。

なるほど。大正の人ですね。