44期生のみなさん、お久しぶりです。そして卒業おめでとうございます。
今日は皆さんに二つのお話をしようと思います。一つは『少数力』、もう一つは『五年後の自分への手紙』です。
私がこの学校に赴任したのは、1995年の春、阪神淡路大震災があった年であり、皆さんが生まれた年でもあります。担任することになった2年2組の教室で生徒たちに「自分たちの学校で誇れるものは何?」と聞くと、「校庭が広いこと!」という答えが返ってきました。しかし私はこの答えには不満でした。「校庭が広いのは素晴らしいことやけど、この広い校庭は自分たちで造ったものじゃないね。自分たちが誇れるものを卒業までに造ろう」と話したことを覚えています。その生徒たちは、神戸市東灘区岩屋公園にあった被災者の仮設住宅に月に2回、1年半にわたって炊き出しを続けてくれました。『進路を語る会』をスタートさせ、2年生の教室に出かけ自分たちが進路で学んだことを語ってくれたのもこの生徒たちでした。
v皆さんは◎中の中にいるので、自分たちの学校の持つ力に気づかないと思います。◎中は400mトラックがとれる、ずば抜けて広大な敷地を持つにもかかわらず、生徒数は一学年2クラス、80人にも満たない市内で一番小規模な中学校です。しかし数が少ないからこそ、誰も手を抜かず、みんなの力を結集させながらこの広い学校を守り発展させてきたのです。その取り組みは、NHKの放送でも取り上げられました。私は◎中の持つ力を『少数力』と名付け誇りに思ってきました。(少数力については『かけはし』参照)
もう一つは、『5年後の自分への手紙』です。この取り組みは1998年に保護者の提案で始まったものです。卒業した5年後に、皆さんは成人式を迎えます。今、皆さんは目の前の進路のことで頭が一杯かもしれません。しかし高校に行こうが、大学に行こうが、最後は社会で誰かの役に立たなければなりません。5年後の二十歳には、高校入試も大学入試も終わり、自分がどのような人間になろうとするのかを真剣に考えている時期を迎えています。その5年後の自分を励まし夢を届けようとして、5年後の自分への手紙を書くのです。もうすぐ中央廊下に白いポストが設置されることと思います。先輩たちもこのポストに希望と不安を抱きながら手紙を投函したのです。
いよいよ中学校生活ともお別れです。皆さんのこれからの日々が、希望に満ちたものであることを願い、お祝いの言葉といたします。
今日は皆さんに二つのお話をしようと思います。一つは『少数力』、もう一つは『五年後の自分への手紙』です。
私がこの学校に赴任したのは、1995年の春、阪神淡路大震災があった年であり、皆さんが生まれた年でもあります。担任することになった2年2組の教室で生徒たちに「自分たちの学校で誇れるものは何?」と聞くと、「校庭が広いこと!」という答えが返ってきました。しかし私はこの答えには不満でした。「校庭が広いのは素晴らしいことやけど、この広い校庭は自分たちで造ったものじゃないね。自分たちが誇れるものを卒業までに造ろう」と話したことを覚えています。その生徒たちは、神戸市東灘区岩屋公園にあった被災者の仮設住宅に月に2回、1年半にわたって炊き出しを続けてくれました。『進路を語る会』をスタートさせ、2年生の教室に出かけ自分たちが進路で学んだことを語ってくれたのもこの生徒たちでした。
v皆さんは◎中の中にいるので、自分たちの学校の持つ力に気づかないと思います。◎中は400mトラックがとれる、ずば抜けて広大な敷地を持つにもかかわらず、生徒数は一学年2クラス、80人にも満たない市内で一番小規模な中学校です。しかし数が少ないからこそ、誰も手を抜かず、みんなの力を結集させながらこの広い学校を守り発展させてきたのです。その取り組みは、NHKの放送でも取り上げられました。私は◎中の持つ力を『少数力』と名付け誇りに思ってきました。(少数力については『かけはし』参照)
もう一つは、『5年後の自分への手紙』です。この取り組みは1998年に保護者の提案で始まったものです。卒業した5年後に、皆さんは成人式を迎えます。今、皆さんは目の前の進路のことで頭が一杯かもしれません。しかし高校に行こうが、大学に行こうが、最後は社会で誰かの役に立たなければなりません。5年後の二十歳には、高校入試も大学入試も終わり、自分がどのような人間になろうとするのかを真剣に考えている時期を迎えています。その5年後の自分を励まし夢を届けようとして、5年後の自分への手紙を書くのです。もうすぐ中央廊下に白いポストが設置されることと思います。先輩たちもこのポストに希望と不安を抱きながら手紙を投函したのです。
いよいよ中学校生活ともお別れです。皆さんのこれからの日々が、希望に満ちたものであることを願い、お祝いの言葉といたします。