《言葉の力》
「言葉はつばさ」「言葉は未来」「言葉は現実」「言葉は夢」「言葉は~」みなさんもよくご存知だと思いますが、テレビで放映中のある新聞社のCMです。わが子が初めて「ママ」としゃべってくれたのを聞いた親は、「言葉は夢」とこたえるかもしれません。同じ人が「子育て大変そうだね。もう会社に来なくていいよ。」と社長からクビを言い渡されたら「言葉は刃物」と感じるかもしれません。言葉は人に勇気を与えることもあるし、人を傷つけることもあります。この新聞でも、先輩から後輩に贈る言葉の連載を始めました。これらの言葉を通じて、3年生は同級生の、1・2年生は先輩の思いに触れ、力をもらったのではないでしょうか。
《遺書を読んで》
10月3日の朝刊各紙は、昨年9月9日、教室で死を遂げた小学校6年生の少女の遺書を掲載しました。親でもある私にとって命を絶った子どもの遺書を読むのは、とてもつらいことです。しかしこの遺書を公表しなければと考えた保護者の無念の思いと教育への期待を考えると、この遺書からも私たちは言葉の持つ意味を学ばなければならないと思います。 死を選んだ小学校6年生は、殴られたり、蹴られたりといった暴力を受けていたのではありません。「無視」と「言葉」(キモイと言われた)でいじめを受けていたといいます。
「みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。」
みなさんはどのように読むでしょうか。この少女は、生きていれば中学1年生。みなさんと同世代で、ひょっとすればどこかで出会えたかもしれないのです。言葉は人の命を奪うこともあるのです。
《いじめの形態》
いじめには、暴力という非常にわかりやすいものもあれば、言葉・態度・無視・強要というように静かな形をとるものもあります。暴力という形をとって現われるいじめは、分かりやすく大人に発覚しやすいがために、指導が行われやすく、またいじめを行った側にも罪悪感があり、長期化するケースは少なくなります。しかし言葉・態度・無視といういじめは、大人には見えにくく、しかもクラスの多数を巻き込んでいることが多いため、いじめている側に罪悪感が薄いのが特徴です。またいじめを受けた側も、いじめの「証拠」を出しにくく、いじめが発覚するまでに時間がかかることもあります。
《いじめを解決できる学校・クラス》
いじめは私の子ども時代にもありました。私は、今思えばバラ色の子ども時代を送っていたように思いますが、それでもいじめに加わった辛(つら)い記憶と、いじめを受けた苦い記憶があります。しかし私の周りでいじめによる殺人や自殺が起こらなかったのは、クラスや子ども集団の中にいじめを解決できる力があったからだと思います。保護者のみなさんもまたそうではなかったでしょうか。自分の周りでいじめが無かったという人は、まずいないと思います。それぞれ違いはあっても、何とかいじめを解決してきたのではないでしょうか。
私は以前「中学校にはイジメがありますか」という小学生からの質問にこんな風に答えました。「イジメは上級生が教室に乗り込んで来ておこすのではありませんね。今みなさんが仲良くできていたり、誰かにイヤな思いをさせていなかったら、中学校になってもイジメはおこらないかもしれません。これから先、みなさんの間にイジメがおこるかどうか分かりませんが、イジメがあっても、生徒のみなさんと私たち職員とが力をあわせ、解決できる学校を目指しています。」
「いじめはありません」と言うから、いじめを隠そうとする気持ちが生まれ、真の解決が遠のくように思えるのです。
「言葉はつばさ」「言葉は未来」「言葉は現実」「言葉は夢」「言葉は~」みなさんもよくご存知だと思いますが、テレビで放映中のある新聞社のCMです。わが子が初めて「ママ」としゃべってくれたのを聞いた親は、「言葉は夢」とこたえるかもしれません。同じ人が「子育て大変そうだね。もう会社に来なくていいよ。」と社長からクビを言い渡されたら「言葉は刃物」と感じるかもしれません。言葉は人に勇気を与えることもあるし、人を傷つけることもあります。この新聞でも、先輩から後輩に贈る言葉の連載を始めました。これらの言葉を通じて、3年生は同級生の、1・2年生は先輩の思いに触れ、力をもらったのではないでしょうか。
《遺書を読んで》
10月3日の朝刊各紙は、昨年9月9日、教室で死を遂げた小学校6年生の少女の遺書を掲載しました。親でもある私にとって命を絶った子どもの遺書を読むのは、とてもつらいことです。しかしこの遺書を公表しなければと考えた保護者の無念の思いと教育への期待を考えると、この遺書からも私たちは言葉の持つ意味を学ばなければならないと思います。 死を選んだ小学校6年生は、殴られたり、蹴られたりといった暴力を受けていたのではありません。「無視」と「言葉」(キモイと言われた)でいじめを受けていたといいます。
「みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。」
みなさんはどのように読むでしょうか。この少女は、生きていれば中学1年生。みなさんと同世代で、ひょっとすればどこかで出会えたかもしれないのです。言葉は人の命を奪うこともあるのです。
《いじめの形態》
いじめには、暴力という非常にわかりやすいものもあれば、言葉・態度・無視・強要というように静かな形をとるものもあります。暴力という形をとって現われるいじめは、分かりやすく大人に発覚しやすいがために、指導が行われやすく、またいじめを行った側にも罪悪感があり、長期化するケースは少なくなります。しかし言葉・態度・無視といういじめは、大人には見えにくく、しかもクラスの多数を巻き込んでいることが多いため、いじめている側に罪悪感が薄いのが特徴です。またいじめを受けた側も、いじめの「証拠」を出しにくく、いじめが発覚するまでに時間がかかることもあります。
《いじめを解決できる学校・クラス》
いじめは私の子ども時代にもありました。私は、今思えばバラ色の子ども時代を送っていたように思いますが、それでもいじめに加わった辛(つら)い記憶と、いじめを受けた苦い記憶があります。しかし私の周りでいじめによる殺人や自殺が起こらなかったのは、クラスや子ども集団の中にいじめを解決できる力があったからだと思います。保護者のみなさんもまたそうではなかったでしょうか。自分の周りでいじめが無かったという人は、まずいないと思います。それぞれ違いはあっても、何とかいじめを解決してきたのではないでしょうか。
私は以前「中学校にはイジメがありますか」という小学生からの質問にこんな風に答えました。「イジメは上級生が教室に乗り込んで来ておこすのではありませんね。今みなさんが仲良くできていたり、誰かにイヤな思いをさせていなかったら、中学校になってもイジメはおこらないかもしれません。これから先、みなさんの間にイジメがおこるかどうか分かりませんが、イジメがあっても、生徒のみなさんと私たち職員とが力をあわせ、解決できる学校を目指しています。」
「いじめはありません」と言うから、いじめを隠そうとする気持ちが生まれ、真の解決が遠のくように思えるのです。