教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

就職者激励会に思う~友人への手紙

2007年04月01日 | 進路保障
 I君。同窓会の企画・運営、本当にありがとうございました。中学校卒業後30年を経て、懐かしいみんなとの再会を作ってくれたI君に心から感謝します。全国から150人を超える出席があったことには、本当に驚きました。13クラス、500名を超える同期メンバーの連絡先を調べ、手紙を送付し、先生方への招待を行った作業は、考えただけでも気が遠くなるものだったと思います。K電力の技術者として忙しい毎日を過ごすなか、よくぞ大役を引き受けてくれたことと思います。本当にありがとう。

 しかし亡くなった友人たちの黙祷で同窓会を始めなければならなかったことに30年という月日を感じました。若手医師としてスタートしたばかりのA君が夜勤明けに交通事故を起こし亡くなっていたこと、独特の魅力を持ち多くの男子生徒の気を引いていたB子が東京で自死していたこと、日航機御巣鷹山墜落事故犠牲者の中にC君がいてその死後に子どもさんが生まれていたこと、D子が誕生する子どもの命と引き換えるように出産で亡くなっていたこと、逝ってしまった同窓生はどのクラスにもいました。会いたかった友人にもう二度と会えなくなっていた現実を知らされたのです。

 人の寿命は私たちの力の及ばない側面もあるのですが、私にはもう一つ気になることがあるのです。それは「同窓会に出席するのは、それなりに幸せな生活を過ごしている者だけなんかな」という君が電話でつぶやいた言葉です。私はこの言葉を聞いた瞬間、遠い昔の光景が思い出されたのです。

 I君は私たちが高校に出願した日のことを覚えているでしょうか。あの日私たちは寒い体育館に集められました。出願を前にした私たちは、かなりの興奮状態だったと思います。そのときマイクを握った先生が「口と目を閉じなさい」と言ったのです。当時の先生は私たちが静かに話を聞かなければならないときによく目を閉じさせました。私は出願に向け先生の大切な話が始まるものと思い目を閉じました。ところが先生の口から思いもよらない言葉が出たのです。

 「就職する者は体育館の出口に集合しなさい」

 何人かが立ち上がる衣擦れの音がし、やがて私たちが座る列の間を通る静かな風が起こりました。体育館出口に置いてあったスノコがカタンカタンと音をたてたのが私の耳の奥に残っています。

 「口は閉じたままで目だけを開けなさい」

 目を開けそっと周りを見たときいくつかの空席ができていました。そして何事もなかったかのように出願に向けた先生の話が始まり、私たちは学校別に整列し直し高校へと向かったのです。電車に乗りそれぞれの出願に向かう私たちは、目を閉じている間に消えた同級生たちのことを誰も口にしませんでした。いえ受験のプレッシャーの中にいた私たちは、自分の意識から無意識のうちにこの出来事を消し去ろうとしていたのかも知れません。

 私がこの日のできごとに向き合わされたのは高校入学後でした。「三無主義」を吹き飛ばそうと精力的に取り組んでおられた高一の担任は、夏休みを利用し私たちをクラス合宿に連れ出したのです。夜のミーティングで先生が現実逃避的な私たちを変えようと熱っぽく語っているときに、私は「僕たちってそんなに変わらんやろ。」と軽く言ってのけたのです。真面目な論議を揶揄した私の一言を先生は聞き逃しませんでした。「何を甘ったれたことを言うてるんや。変わらへんのは自分が変えようとしないからやろ。君らの中学校時代の同級生は全員高校に行ってるんか。働いている同級生はいないんか。君らは変わるチャンスを与えてもらってるんと違うんか。」

 このとき私は自分の冷たさを知り、初めてあの出願のときの出来事に向き合おうとしたのです。君も覚えているように、当時は高度経済成長の只中で高卒労働者は『金の卵』ともてはやされ、中卒労働者にいたっては万博の人気者に因んで『月の石』とも言われました。しかし私たちの多くは『金の卵』や『月の石』に望んでなろうとは思いませんでした。受験生ブルースを歌い受験体制を批判しつつも、私自身はその枠の外にいる同級生たちから目を逸らしていたのです。

 なぜ先生は目を閉じるように言ったのか。就職する同級生たちはどのような思いで体育館を後にしたのか。私はこの二つのことを考えました。そして、この二つの疑問に自分なりの答を出そうとして中学校教員という道を選んだように思います。

 私なら就職する子どもたちをどのように送り出すことができるのだろうか。

 これに対する私の一つの答が『就職者激励会』でした。就職する仲間の決意から学び、仲間が働いているという現実から自分が学ぶ意味を考える、これが就職激励会の目的です。私は30年前に同級生の口から聞くことができなかった言葉を就職する教え子から学ぼうとし、試行錯誤を経ながら学年協議会(生徒会)主催の就職激励会を始めたのです。

 あの夜は偶然にも、しし座流星群が数百年ぶりに日本列島へ大接近した日でした。私は同窓会の興奮と酒の酔いを醒ますため、東の空が白むまで毛布に包まりながらテラスで流星を眺めていました。懐かしい友人との再会は心弾むものでしたが、会えなかった、いやもう二度と会えなくなった友人たちへの想いが、私を夜空に釘付けにしたのだと思います。

 お礼の手紙がすっかり感傷的なものになってしまいました。しかし君が言った「同窓会に出席するのは、それなりに幸せな生活を過ごしている者だけなんかな」という言葉に私が返事に詰まったのには、こういった訳があったのです。体育館でのあの別れが、私たちの今に繋がっているのではないかと思うのです。

                 200×年 しし座流星群の明けの日に