教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

「恥」で済ますのか~いじめ自殺への学校の対応

2006年12月30日 | いじめ問題
12月28日の「命」をテーマとした夜の報道番組を見て歯がゆい思いをした。12年前に起こった大河内君のいじめ自殺事件の現場となった中学校が、取材を断るシーンを見てである。放送局側は、あの事件を教訓としてどのようないじめ問題への取り組みを行っているのかという取材を申し入れていた。校門に立ちはだかって取材を拒否した校長の言葉に耳を疑った。「恥をかかせないでほしい。」これが取材を断った理由だった。

恥というのは、誰にとっての恥を指すのだろうか。死んだ大河内君や遺族にとって恥だということだろうか。そうではない。大河内君の保護者は、あの時もそして今もわが子の死が無駄にならないために、いじめ克服に向け取り組んでおられる。この日のテレビでも全国の子どもたちに死なないでほしいと訴え続けておられた。校長の「恥をかかせないでほしい」との言葉は、「自分の恥」か、せいぜい「学校の恥」としか考えられない。子どもの死を「恥」という言葉で表現してしまうこの感性に大きな絶望と不信を感じてしまうのである。

恥じるような死など、ひとつとしてない。子どもの死を恥と感じるような校長は、もはや教員とは呼べない。

いじめ事件が起こり、中学校としてもいじめに立ち向かうための話し合いが積み上げられたはずである。教員は亡くなった生徒の死を一生背負いながら生きていこうとしたのではないのだろうか。恥じるべきは事件をなかったことのようにしようとする大人たちの生き方ではないのだろうか。

今も続くいじめ自殺事件から、何を学びどう教育活動の中に生かそうとするのか。その答えは全ての教員が見つけ出さなくてはならないものである。あの番組を見た校区の人たちは、校長の言葉にどれだけ不安になっただろう。私は幸いにしてこのような自己保身を口にするような校長にお目にかかったことがない。これからも、見たくはない。