犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

桐野夏生著 『東京島』より

2010-11-16 23:59:45 | 読書感想文
p.107~
 彼らは私たち夫婦と会って、折角上陸できた島が無人島だとわかった途端、半ば自棄糞でトウキョウ島と名を付けました。
 それから、変化が始まったと私は考えています。ものに名前が付けば、意味が生まれ、認識され、世界が確立するのです。私はその過程を目撃しているのです。彼らは、被災者気分で臆病に縮こまっていた癖に、何をしても咎められないとばかりに、主体的に暴走を始めました。その焦点となったのが清子の取り合いでした。
 私は、40歳を過ぎた清子が、若者たちに性の対象として見られるようになるとは思ってもいませんでした。清子も私も、自分たちを思慮深い大人だと思っていたのに、実は何も知らない幼児のようなものだったのです。それほど、新しく生まれる世界は自由で残酷なのです。

p.370~ 佐々木敦氏の解説より
 『東京島』を、たとえば「現代日本の縮図」などといった形に矮小化してしまってはならない。桐野夏生は、間違ってもそのような「現実社会」や「現代社会」へのフィクションへの移し替えを試みているのではない。
 そうではなく、たとえ出発点が具体的な「現実」や現実に起こった「事件」であったのだとしても、そこから小説家の「言葉の想像力」が制限抜きに飛躍してゆくことによって、あっけなくそれは「現実」や「事実」を凌駕して、もはや「小説の物語」でしか可能ではない「真理」を露わにすることになるのである。


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 解説の佐々木氏が述べているとおり、桐野氏は「小説の物語」でしか書けないものを書いているため、それを映像化するのは不可能だと思われます。特に、「ものに名前が付けば意味が生まれ、認識され、世界が確立する」という過程を映像化するのは論理的に不可能であり、映画は原作とは全く別のものであったように思います。