犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

芦田淳著 『髭のそり残し』

2010-11-13 00:07:02 | 読書感想文
p.20~
 上品、下品にはいろいろあるようだが、私は相手によって態度を変えることを、下品なふるまいのひとつと考える。
 この国は、タテ社会で、その人の地位、肩書きがものをいう。名刺を見て、急に声の出し方まで変えるような姿を見るのも珍しくない。傲慢な態度の人間ほど、自分より上の立場の人には卑屈になるようだ。強い者に弱く、弱い者に強いという人間が、意外と多いのだ。
 また、自分と利害関係のない人にはまことに冷淡。職業柄、あらゆる階層の男女に出会う。そこでいえることは、人の地位と品格の上下は、全く関係がない。“ボロは着てても心は錦”と歌の文句のような人もいれば、その反対もいると人間模様は様々なのだ。

p.229~
 私のような職業の者は、日本に限らず世界中のあらゆる立場の人たちに出会い、仕事上でのつながりを持つ。そこでしみじみ感じることは、金持ち、貧乏、偉い人、普通の人、人間は様々だが国を問わずその地位と人格は全く一致しないということである。
 人も羨む恵まれた立場の人が、必ずしも温かい心を持っているとは限らない。その逆の立場の人間が高潔な精神を持っていて敬服することたびたび。人生をどう生きているかということが歴然と人相に表れるといえる。


***************************************************

 この本は平成10年の出版です。言い古されたことが古い本に書いてあると、人間社会の常態は変わるはずがなく、しかも人間が入れ替わる限り実現されることがないとの感を強くします。

 この12年間でさらに進んだ事態としては、上品で高潔な精神を持った人間が下品な人間に利用され、心を病む傾向がより強くなった点が挙げられると思います。上品な人は、どんなに下品な人から責められても、「自分はそんな下品なことは絶対に言わない」と自身に誓い、耐えなければならないからです。そして、世渡りのためには、下品になったほうが楽だからです。