犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

美谷島邦子著 『御巣鷹山と生きる 日航機墜落事故遺族の25年』より その2

2010-08-18 23:06:31 | 読書感想文
p.166~

 その日、遺族が泣きながら電話をかけてきた。遺品がみつかった直後、責任ある立場の日航の世話役が、その遺族に向かってこう言ったという。「奥さん、このようなもの(夫の愛用のメガネ)を大切にしておくのは奥さんの代だけですよ。孫の代になったら、どうせ見向きもしなくなるのです。だから、早く焼却して荼毘にふしたほうがよいですよ」と。
 その言葉を聞いて、彼女は立ち上がる気力がなくなったという。日航が、1日も早く事故を忘れようとしているように見えてつらかったと話す。
 遺品のひとつひとつに亡くなった人の物語がある。亡き人と共有した家族の物語がある。遺品は、たった1つのかえがえのない命を、もう一度、見る人の心の中に蘇らせることが出来るのだ。私は遺品の公開で、どうしても捜したかったのは、健の野球帽だったが、見つからなかった。電話をかけてきた遺族の話を聞いて、いつかは大企業の心を変えたいと思った。


p.169~

 2008年9月23日、広島に着いて日航の安全推進本部長の岸田清さんや、安全啓発センター長の金崎豊さん、そして遺族の小澤さん母子と合流し、まず、平和記念公園で献花をした。私は、1991年8月にも遺品を見る目的で、遺族の武田さんと平和記念資料館を訪ねていた
 日本は、核兵器の惨禍を受けた唯一の被爆国だ。高齢化した被爆者は、話したくもない、思い出したくもない体験を懸命に語りつづけている。「こんな思いをほかの誰にもさせたくない」と、核兵器を使うことの愚かさ、悲惨さを訴えている。(中略)
 残された人たちは、亡くなった人との間にあった物語を紡いでいかなければ生きていけない。どんなことであれ、残された人たちが生きていくための物語を奪っていいはずがない。戦争はその物語を奪っていった。亡き人を思い、その面影を心にしまう、そうした場所が必要だと思う。そこで自分の過去を整理しながら、自分の人生と、その人との物語を紡ぎなおしていくことができる。それが、二度と繰り返させないという思いにつながっていく。
 資料館見学後、一緒に見学した日航の社員ともそんなことを話した。加害者、被害者という距離が縮まったように思った。


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 日本の8月前半のマスコミの報道は、いつも形が決まっているように思われます。8月6日は一斉に広島、9日は長崎となり、12日が近づくと戦争のことを忘れたように日航機事故です。さらに15日が近づくと、日航機事故をすっかり忘れて終戦の話です。そして、8月後半になると、どちらもほとんど姿を消します。

 人の生命、死、二度と過ちを繰り返させないという思いに冷静に向き合ってみれば、このような縦割り的な扱いはあり得ず、すべては自然に一本の線につながるはずだと思います。日々新たに起こっている遭難や事故も同様です。ただし、「暗いニュースばかりでは気が滅入る」という多数派の視聴者の要望を考えてみれば、マスコミがこのつながりを表現することは厳しいと感じます。