宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

上原隆『喜びは悲しみのあとに』(1999年)(その1):①女装、②愛想笑い、③68人との恋、④インポテンス、⑤実演販売、⑥黄昏時、⑦子殺し、⑧就職、⑨全員解雇

2018-10-31 21:24:19 | Weblog
さまざまに、人がこの世を生きる。ともかく生き抜かねばならない。この著作は一種のルポルタージュだ。色々な人の人生の紹介。著者は、彼らの幸福を願う。以下、いくつか紹介する

(1)「わたしはリカちゃん」:30歳代後半・男
小学校の頃から、彼は自分の顔が嫌いだった。顔を自ら物に思い切りぶつけ、壊そうとして、血だらけになった。
当時、通知表をもらって、成績が悪いと、父親が、自分を思い切り殴りつけた。自己嫌悪に陥った。
去年(30歳代後半)、父親に「絶対許さない」と告げ、対決した。父親は今や、彼に体力で勝てず、黙っていた。
小4の時、「リカちゃん人形」に出会う。胸にずしんと来た。以後、「人形」になりたいと思うようになった。
高校卒業後、公務員となり、家を出て自活する。
彼は、今や、やっと念願の「リカちゃん」になる(女装する)。
《感想》
女装する男性の、これまでの経験と感情が描かれる。父親の暴力、自己嫌悪が、彼を、「人形」になりたいと思わせた。結果として、彼は女装するにいたる。

(2)「愛想笑い」:52歳・男
市の広報課の若く居丈高な係長(32歳・男)に、愛想笑いする中年のビデオ制作会社営業(52歳・男)の話。
《感想》
役所には、業者に対し、居丈高になる職員がいる。「虎の威を借る狐」だ。あるいは下請け企業も、親企業職員から嫌な思いを、さんざんさせられる。取引関係で力がある側は、弱い側を苛め抜く。「絆」とは、ほど遠い暗い現実だ。

(3)「六十八回目の恋愛」:35歳・女
何度も何度も、恋をし、セックスして、今35歳の女性。15歳からそうして、20年で60人以上だから、1年に平均3人の異なる男と恋をしセックスし、別れる。「相手を、好きにならないとセックスしない」、「同時に二人の男と付き合わない」とのこと。別れるのは、「自分が相手を嫌いになる」か、「相手の男が自分を好きにならない」からだという。
《感想》
彼女は、「特定の相手と長く一緒に暮らす」ことを考えない。「恋すること」が好きだ。「子供を持ちたい」とは思わない。

(4)「インポテンスの耐えられない重さ」:40台後半・男
38歳からインポテンスになって、5年間のセックスレス後、45歳で離婚。独身になり、彼には、次々と彼女ができる。だが、インポテンスのため長続きしない。ようやく6人目の女性Kが、彼をリードしてくれて、インポテンスが治った。しかし彼には、「いつまた、白い風が吹き、しぼむかもしれない」との不安がある。
《感想》
ここから分かることは、以下の通り。(a)インポテンスは、男女の関係を壊す。また(b)性的快感を得ることは、人生の重要な目的のひとつだ。さらに(c)男にとってインポテンスは、敗北の象徴として感じられる。

(5)「実演販売の男」:50歳・男
高校中退して、ふらふらしていた時、デパートでアルバイトしていると、実演販売をしている男から、「お前、口が達者だから、この仕事をやらないか」と誘われた。以後、28年続け、今50歳。実演販売は、実力次第で、かつ体力・気力が勝負だ。しかし「ひとりぼっちの仕事」だという。
《感想》
生きていくのは大変である。仕事との出会いは、偶然だった。彼は、商売に楽しみも見出す。それが彼の救いだ。彼は孤独で、また実力で生き抜く「一匹オオカミ」の人生だ。

(6)「黄昏時(タソガレドキ)」:79歳・夫、70歳・妻
息子・49歳、娘・46歳は、別に住み、この老夫婦のみ二人で住む。(結婚して51年。)夫・79歳は、週に2日、公園掃除のアルバイト。(8時半~12時半で2640円/日。)彼は共産党員で、退職前は、組合と党活動がすべてだった。退職の日に、多くの社員から感謝される夫を見て、妻は、「彼がこれまで家庭を全く顧みなかった」ことを、許した。妻・70歳は、今、ダンス教室の助手をつとめる。
《感想》
仲の良い老夫婦だ。夫婦関係のスパンは長い。(結婚して51年。)家庭を顧みない夫を、妻が許すのに20年以上かかった。退職後すでに20年以上。この夫婦は、男女の関係の幸せな一形態だ。そして「終わりよければ全(スベ)てよし」(All's Well That Ends Well)と言う。

(7)「子殺し」:49歳・女
彼女は、中2の時から、継母にひどく虐待され、怒鳴られ、びくびくし生きてきた。24歳で結婚。「やっと母親の暴力から解放された」と喜ぶ。3人の子供。しかし、彼女は長女を虐待する。何かにつけ、腹が立ち、怒り、叩く。実は、娘(長女)が継母と仲が良かったので、憎んだ。「長女を殺すかもしれない」と、彼女は思った。そんな時、彼女(36歳)は、「子殺し」の事件の新聞記事を見る。この記事に、心動かされ、それ以後、「人はなぜ子供を殺すのか知りたい」と、「子殺し」の裁判を傍聴するようになった。彼女は、客観的に事実を捕らえるようになる。かくて、継母にびくつかなくなり、長女への虐待もなくなった。「子殺し」の原因は、「貧困と無知(Ex. 生活保護を知らない)だ」と、彼女は思う。
《感想》
「何かにつけ、腹が立ち、怒り、叩く」、これが子供への虐待の感情形式だ。原因があるはずだが、本人には、それが何かわからない、あるいは原因を知りたくない。(フロイト的な無意識の問題!)

(8)「我にはたらく仕事あれ」:39歳・男
彼は、昨年の7月、10年間つとめた会社を辞めた。彼は、芭蕉を尊敬し俳句を作り、俳句の会の機関誌の編集長をつとめる。晴耕雨読の生活を漠然と夢見ていた。雇用保険の給付が、あと3か月となった時、彼は、あわてて会社の就職試験に応募し始めるが、すでに21社に落ちた。深い、絶望感。今年の4月で雇用保険の給付が終わる。彼は、22社目で、合格できた。地獄が天国になった。彼は、「会社に合格したときの喜び」は一生忘れないと思う。
《感想》
これは1990年代後半(20年前)の話。まだ正規雇用が主流の時代だ。当時、会社に合格するとは、正規雇用されることだった。現在(2018年)は、非正規雇用が4割だ。非正規雇用は有期契約、また極端な場合は日雇い契約であり、一生忘れないような「会社に合格したときの喜び」はない。

(9)「会社がなくなった」:全員解雇4年後の元社員の状況
1994年(4年前)、栃木新聞社が、赤字で廃刊(実質倒産)。社員は、全員解雇。各人の現在(1998年)の状況。(年齢は現在時点。)
(ア)38歳・男、保険代理店開業に向け現在、研修中。研修3年目で、これが終われば、開業できる。
(イ)32歳・男、中学校教員になってすでに3年。「教員は向いている」と思う。
(ウ)37歳・男、トラック運転手になる。(プライドを捨てる。)
(エ)41歳・男、組合幹部だったので就職が困難。パチンコ屋店員、その後、派遣社員。
(オ)49歳・女、自治医大の研究者の補助員となる。
(カ)51歳・男、妻と別居し、宮古島に一人で住む。
(キ)著者は、さらに23人の話を聞いた。解雇後、20代は再就職で希望が叶う。30代は希望の職種に就けない。
《感想》
「人生、山あり谷あり」だ。「七転び八起き」と言う。あきらめるわけにいかない。「捨てる神あれば拾う神あり」だ。  

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ゴーチェ『オニュフリユス あるホフマン賛美者の幻想的なるいらだち』(1832):彼の現実は《幻想的な言葉》のもとに包摂される!彼は下界に、現実の世界に戻れない!

2018-10-28 11:11:15 | Weblog
(1)「雲は青銅の暖炉で、膀胱は提灯だと信じた。」(『第一之書ガルガンチュワ物語』第十一章)

《感想1》これが、狂人オニュフリユスの精神状況を言い表している。「雲」は「青銅の暖炉」と解釈される。「膀胱」は「提灯」と解釈される。

(2)オニュフリユスは20歳代の画家で詩人だった。彼の恋人はジャサンタ。オニュフリユスが「少し前、教会の時計は十時だった」と言った。ところがその10分後、ジャサンタが気づく。「12時よ!」確かに今、眼の前の教会の時計が12時を指している。「小悪魔が針を進めたにちがいない」とオニュフリユスが言った。

《感想2》「妖怪のせいなのね」という歌があるが、因果連関を《現実の規則》に従って見いだせない時、あるいは見い出すのが面倒な時、《妖怪or悪魔》が持ち出され、原因とされる。

(3)ジャサンタをモデルにして、オニュフリユスが絵筆で瞳を描こうとしたとき、突然、肘を激しく突かれ手元が狂い、絵は大失敗となる。これは「悪魔の所行」だと彼は思った。

《感想3》ここでも《現実の因果規則》で説明できない出来事は、「悪魔の所行」が原因とされる。

(4)オニュフリスがもっぱら読んだ本は「不可思議な伝説、昔の騎士道小説、神秘的な詩、カバラ神秘術の解説、ドイツ・ロマン派のバラード、魔法や悪魔礼賛の書物」だった。彼は「現実世界の真中で、恍惚と幻想世界を作っていた。」

《感想4》出来事の一片を、イデア的意味(言葉)のうちに包摂する。彼はイデア的意味(言葉)を、彼が読んだ本、幻想的な本の中から選び出した。彼の現実は、幻想的な言葉のもとに包摂された。
《感想4ー2》厳密には、言葉は《記号》(もちろんこれ自身もイデア的意味だがシンプルだ)であり、《記号と連関する(orそれが指示する)イデア的意味》と異なる。

(5)かくてオニュフリユスの魂と肉体の眼は、真直ぐな直線をゆがめ、単純な事実を複雑に入り組ませる。例えば彼は、単純な白い壁だけの部屋にさえ、奇怪な亡霊を見る。

《感想5》彼の脳髄は錯乱していた。そのため彼の絵や詩には、悪魔の牙や尻尾がいつもどこかに現れていた。

(6)オニュフリユスは、現実生活を生きることに全然馴れていなかったので、彼は怪物視された。

《感想6》現実生活を生きるためには、人は出来事を《人々と共通のイデア的意味(言葉)》のもとに把握し、その意味に対応する行動をしなければならない。《広範囲の因果連関・行動連関を含むイデア的意味(広義の理論)》もある。《人々に共通の間主観的なイデア的意味(言葉および広義の理論)》に、オニュフリユスは馴れていない。

(7)「悪魔の存在は、神の存在と等しく、もっとも尊敬すべき権威者たちによって証明されている。」かくて疑うことなくオニュフリユスは、あらゆる出来事を悪魔の所行と解釈した。

《感想7》こうして彼は悪魔の呪い、悪魔の計画、悪魔の所業など、日常の出来事について陰惨な夢想(解釈)に陥る。

(8)ある日、オニュフリユスが老貴族とチェッカーをしたとき、彼は負ける。それは彼によれば、「先に鋭い爪がついた悪魔の指」が自分の指の脇にあって、彼の駒を動かしたからだった。

《感想8》こうしてオニュフリユスは、幻覚を見るに至る。出来事を説明するのに《言葉で》悪魔が原因or悪魔のしわざと説明するだけでなく、彼は《視覚的に(幻覚的に)》悪魔の姿、例えば悪魔の指を見るようになった。

(9)オニュフリユスが馬を走らせ、老貴族の屋敷から帰る途中、彼は腕をのばしている妖怪(木々)を見、鬼火を見る。月は鉢巻きをし、頬に白粉をつけていた。4人の悪魔が現れ、馬が進むのを妨げる。夜か過ぎ去り、雄鳥が鳴くと亡霊たちが消えた。

《感想9》彼は今や《幻覚》と《日常の現実》の混交のうちに生きる狂人だ。ただし私と話ができる限りでは、いまだ正気だ。

(10)オニュフリユスはしばしば奇怪な夢を見た。その夢の一つは次の通り:僕(オニュフリユス)は死の床についていた。そして僕は死んだ。医者が「終わりです」と言う。僕(魂)は声が出せなかった。僕(魂)は生きながら墓に葬られた。

《感想10》この場合、肉体は死んでいるが魂(精神)は生きている。肉体が死んでいるから苦痛はない。墓に埋められても窒息しない。

(11)オニュフリユスの夢(続1):僕は、「ジャサンタが、僕を追い払うため恋人と結託して、僕を生きながら地下に埋めた」と思い嫉妬し、怒りを爆発させる。怒りの結果、僕は自分の死骸の肘と膝で思い切り叩き、棺の蓋を開けて不実な女を殺しに行こうと思った。

《感想11》死骸が魂に従って動くのはゾンビだ。だが棺は地中にあり、死骸が暴れても棺の蓋があかない。オニュフリユスの魂はへとへとに疲れ茫然自失し、おとなしい死骸に戻る。

(12)オニュフリユスの夢(続2):死骸のうちにある魂の僕は落ち着きを取り戻し、時間をつぶすため詩を作り始める。死体の夢想なので『死の中の生』という題を付けた。

《感想12》「死の中の生」とは形容矛盾だ。死の中に生はない。ただし信仰的には可能だ。死んだのに魂が生きている。「魂の不死」を信仰的に信じた場合だ。
《感想12-2》だが《事実》的(経験的・科学的)あるいは《日常の現実》的には、肉体の死は魂の死だ。
《感想12-3》なお「丸い四角」は形容矛盾あるいは論理的矛盾あるいは事実的矛盾だが、比喩的・情緒的には「丸い四角」は可能だ。それはソフトな感触の四角だ。

(13)オニュフリユスの夢(続3):僕(魂)の死骸(肉体)は墓から掘り出された。僕は解剖されることになる。僕は解剖されるのがいやだった。僕は愛しい外被(肉体)が分断されるのに立ち会うのがいやだった。僕(魂)は、肉体(死骸)から分離し逃げ去る。

《感想13》魂は肉体に愛着を持つ。これは肉体が生きているときの感情(魂)の延長だ。
《感想13ー2》なおついでに言えば、実は魂(心)と肉体は別でなく、魂(心)は肉体を含むのだ。感覚は心に属す。例えば触覚も心に属す。触覚とは物の出現だ。触覚は《物の像》でなく、出現する《物そのもの》だ。かくて出現する物は心(モナド)に属す。

(14)オニュフリユスの夢(続4):肉体から離れた魂(僕)は奇妙に軽くなった。霊魂は物でないので重さはないが、失った手足(肉体)がまだ付いている気がするため、軽く感じる。魂(僕)は自由に飛び回る。

《感想14》魂は肉体の世界(物理的世界)と無縁(異なる実体)なのに、物理的世界のうちに場所を持つのか?(心身問題!)魂(心)は肉体に宿ると言われるのみで、答えは謎だ。かくて仕方ないので著者は、物理的世界のうちに浮遊する物体として魂(心)をイメージする。

(15)オニュフリユスの夢(続5):さて魂(僕)は、開いた窓から部屋に入った。そこに妖精狩りの老人が居て、奇妙なブラシを二つ持っていた。彼は不可視の存在を見る能力を持ち、僕(魂)を正確に追い回し始める。最後に彼は僕を追い詰め、二つのブラシを振り回す。数千の剣が僕の魂に突き刺さり、僕はどうにも耐えられず、舌も口も胸もない僕なのに叫び声を上げた。

《感想15》科学がまだ精神を征服しない時代だ。呪術が強く生き残る。(1830年代フランス)「妖精狩り」と呼ばれる呪術師が職業として成立している。

(16)オニュフリユスがここまで夢を見た時、私が彼のアトリエに行った。彼は上述のような夢の話をした。この痛ましい夢の夜以来、彼は絶え間ない幻覚状態を続け、ついに夢と真実を見分けることが出来なくなった。彼がアトリエの奥の鏡を見た時、彼は自分ともう一人別の男を鏡の中に見る。鏡の外にその男は居ないのに映っている男!その男が鏡から出てきて、オニュフリユスを座らせ、有無を言わさずパイの上皮を剥がすように、彼の頭蓋骨を剥がした。その男は悪魔だった。

《感想16》
オニュフリユスが鏡の中に悪魔を発見し、悪魔が鏡から出てきて、彼の頭蓋骨を剥がした。これは彼の幻覚だ。

(17)オニュフリユスの頭蓋骨が剥がされると、中に閉じ込められていた彼の思念が鳥のように飛び出して来た。記憶されていた人物、小説のヒロイン、歴史的事件、形而上的思想、読書の回想などすべてがアトリエいっぱいにあふれる。

《感想17》頭蓋骨から飛び出して来た思念は3次元映像のようなものだ。立体映画的・イメージ的に、様々の思念がアトリエを埋める。

(18)しばらくしてオニュフリユスは夜会の招待状を受け取り、夜会に出席した。社会との接触は、彼を現実に引き戻した。ところがそこに赤いビロードのチョッキの青年(赤ひげの気取り屋)が現れる。彼の瞳には悪意がみなぎり、嘲笑と傲慢の悪魔的侮蔑を示していた。オニュフリユスは、この男が自分の頭蓋骨を剥がした悪魔ではないかと思う。しかし彼は、「自分はもう思念を持たない人間なので判断力がない」と思い、赤ひげの気取り屋を悪魔と確信できなかった。

《感想18》頭蓋骨に閉じ込められていた思念が、外に飛び出してしまうと、文字通り頭蓋骨の中はカラッポになり、自分は判断力を失う。そうオニュフリユスは思った。

(19)彼は夜会で詩劇(韻文劇)を暗唱することになった。赤ひげの気取り屋(悪魔)は銀のへら、クリーム、ガーゼの網を持っていた。クリームは様々な詩をクリーム状にしたものだ。オニュフリユスが詩の暗唱を始めると、宙を飛ぶ詩の音節を、聴衆に届く前に気取り屋(悪魔)がガーゼの網でとる。そして詩のクリームを、銀のへらでオニュフリユスの口に押し込む。するとオニュフリユスは、押し込まれた詩を暗唱することとなった。

《感想19》「口から発せられる音声を盗んで、代わりの音声(クリーム)を口に入れ、発声させる」とは、オニュフリユスは悪魔の玩具にされている。だがこれは、実は、オニュフリユスの幻覚だ。彼は、彼の詩を暗唱している。それ以上のこと、つまり悪魔がガーゼの網で詩をとり、銀のへらで彼の口に詩を押し込むことは幻覚だ。

(20)オニュフリユスは激高して言った。「君たちはみんな悪党だ。この夜会は謀略だ。僕を悪魔の玩具にするため、僕を呼んだのだ。」彼は挨拶もせず出て行った。外は嵐模様の雨だ。彼は雨の中、走った。闇の中に異形の影がうごめき、足下に不浄の蛇がのたうつ。耳には悪魔の冷笑とささやきが聞え、周りで家々がワルツを踊り、舗道が波打つ。空が支柱の折れた丸屋根のように傾き、大きい道と小さい道がしゃべりながら腕を組んで歩いて行く。

《感想20》オニュフリユスの現実に、幻覚が入り込む。どこまでが現実で、どこからが幻覚か、彼には分らない。彼は狂人だ。

(21)オニュフリユスに馬車が突っ込んできた。彼は「最期だ」と思う。ところが馬も御者も馬車も煙となり、彼を通り過ぎる。そして、その先でその幻想の馬車は一つに合し、何事もなかったかのように走り去った。雨の中、ずぶ濡れで家に戻ったオニュフリユスはくたくたに疲れ、玄関で気を失う。1時間後、意識が回復したが彼は高熱を発した。恋人のジャサンタが駆け付け、彼に付き添う。だが彼は、ジャサンタを見分けることが出来なかった。1週間がたち彼の熱は下がるが、彼の理性は戻らなかった。

《感想21》オニュフリユスは、馬車が彼にぶつからず彼の体を走りすぎたので、「悪魔が自分の体を奪ってしまった」と思った。それ以後、彼は「鏡の中の自分の姿を、(体がないので)自分のものと認めなかった」。また「地面の上の自分の影を、(体がないので)自分のものと認めなかった」。彼は自分が「触知できない魂だけの存在」だと信じた。

(22)オニュフリユスは、現実から出て、幻想と抽象の暗鬱な深みに飛び込んだ。彼は日常の出来事から材料を得て、それを架空の想像のうちにおいて解釈した。彼は幻惑のうちにあって、下界から非常に高く遠くきたと感じたが、ついに下界に、つまり現実の世界に戻ることが出来なくなった。

《感想22》オニュフリユスには、「極く自然のこと」も、空想に拡大され、奇怪きわまりないものに見えた。
《感想22-2》出来事は、イデア的意味(言葉)のうちに包摂される。一方に、《他者と共有される日常的現実を可能にするイデア的意味(言葉)》がある。この場合、出来事は「極く自然のこと」となる。しかしオニュフリユスは、この出来事を、常に彼の《幻想的なイデア的意味(言葉)》のうちに包摂した。彼の現実は《幻想的な言葉》のもとにのみ包摂される。彼は狂人となった。

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テオフィル・ゴーチェ(1811-72)『コーヒー沸かし』(1831):僕と二年前に死んだアンジェラは、超現実のうちで《完全な愛の幸福》、《魂の結婚》を経験した!

2018-10-26 12:18:27 | Weblog

(1)
去年、僕は二人の友人アリゴとペドリノとともに、ノルマンディーの地所に呼ばれ出かけた。夕食後、めいめいの部屋に案内された。僕の部屋の壁には邸(ヤシキ)の祖先たちの多くの絵が飾られていた。
(2)
僕がベッドに入りしばらくして、突然、蝋燭の火が妙に激しく燃え始めた。絵が実は三次元の現実だと明らかになった。絵の中の人々の眼が動き、唇が語り合うかのように開いたり閉じたりしていた。
(3)
時計が11時を打った。すると蝋燭が何本も自然についた。ふいごが勝手に暖炉の火を吹いた。テーブルの上のコーヒー沸かしが下に飛び降り、暖炉の燠火(オキビ)の間に納まった。肘掛椅子が揺れはじめ、脚を動かし移動し、暖炉のまわりに並んだ。


(4)
続いて一番古い肖像画の大男が額縁から首を出し、そして抜け出した。彼は鍵を持っていて、それを額縁にあてると、どの額縁も大きく広がり、中の人物が外に出てきた。司祭、未亡人、司法官、青年など。彼らは椅子に腰をおろした。茶碗とコーヒー沸かしとスプーンが自然にコーヒーを用意した。
(5)
コーヒーを彼らが飲み終わると、それら道具は消え去り、今度は彼らがおしゃべりを始めた。十二時が鳴ると、どこかから声がして「さあ時間だ。ダンスを始めよう」と言った。タピスリーの楽士たちが音楽を演奏し始めた。音楽は急テンポで、色々の音色・音階の大洪水となり、みんなは汗びっしょりになって、音楽に遅れまいと踊った。
(6)
時計が1時を打った。踊りに加わらない女が一人いたことに僕は気づいた。彼女は暖炉の前の安楽椅子に腰掛けていた。僕は「将来、誰かを愛するようになったら、それは彼女のほかあるまい」と思った。
(7)
僕はベッドから跳び降り、彼女のそばに走っていった。そして彼女の前にひざまずき、彼女の片手を両手でしっかり握り、20年来の知り合いのようにしゃべった。僕は彼女に話しかけながら、彼女と一緒に踊りたくて脚が焦げるようだった。
(8)
彼女が僕の気持ちを察したように言った。「時計の針があそこまでいったら、よくてよ、テオドールさん。」彼女の指さした時刻が鳴った。さっきの声が響き、「アンジェラ、踊りたかったら、その人と踊ってもよろしい。だがその結果がどうなるかわかっていような」と言った。
(9)
僕らはワルツを踊り始めた。僕は生まれて以来あんなに感激したことがなかった。オーケストラは速さを3倍にしたが、僕らはついて行くのに努力する必要がなかった。
(10)
だがアンジェラが突然疲れてしまったようだった。「休みたいけど、肘掛け椅子が一つしか残ってないわ」と彼女が言った。「構やしないよ、僕の美しい天使さん、僕の膝の上に座らせてあげるよ」と僕が答えた。


(11)
アンジェラはためらわずに僕の膝の上に座り、白い飾り紐のように両腕で僕を抱いた。彼女は大理石のように冷たくなっていた。どのくらいの時間、二人がこういう姿勢でいたかわからない。全感覚が、神秘で架空な女性の凝視に吸い取られていたからだ。
(12)
僕は時間も場所も分からなくなった。現実世界との絆が切れた。僕の魂は肉体という泥土の牢屋から解放され、茫漠たる無限の中を泳いだ。アンジェラの考えが、口をきく必要もなく、僕にははっきり分かった。彼女の魂の光が僕の胸を刺し通したからだ。
(13)
雲雀が鳴き出し、薄い光がカーテンに戯れ始めた。アンジェラはそれをみると急いで立ち上がり、僕に別れの手を振った。そしてけたたましい叫び声をあげながら、下へ落ちた。
(14)
僕はぎょっとして、彼女を抱き起こそうと、肘掛椅子から飛び出した。僕の血が凍った。眼の前には、粉々に砕けたコーヒー沸かしだけしかなかった。僕は何か悪魔的な幻想の玩具になったのだと思い、ひどい恐怖にとらわれ、気絶した。


(15)
意識を取り戻すと、僕はベッドに寝かされていた。友人アリゴとペドリのが枕もとに立っていた。アリゴが言った。「今朝、君は床の上にながながとのびていた。こわれた陶器のかけらを若いきれいな娘のように抱きしめていた。」
(16)
それから昼食になった。僕はろくに食べなかった。昼食のあとは雨がひどく、外へ出られなかった。僕は画帳にデッサンを書き始めた。気づくと僕の描いた線は、昨日の「コーヒー沸かし」を不思議なほど正確に表していた。
(17)
僕の肩越しに仕事ぶりを見に来た邸の主人が、「この顔は、妹のアンジェラに驚くほど似ているよ。」と言った。なんとコーヒー沸かしが、今や、アンジェラのやさしい少し愁いをふくんだ横顔と瓜二つになっていた。
(18)
僕はたずねた。「天国のすべての聖者にかけて、妹さんは死んだのか生きているのか?」主人が答えた。「死んだんだ、二年前に、ダンスの後で肺炎にかかってね。」僕は、「もはや地上に幸福がない」と思った。

《感想1》
『コーヒー沸かし』(1831)は、ゴーチェ20歳の時の作品。清新で初々しい。ストーリーも単純だ。
《感想2》
描かれた絵の世界が、別の世界でなく、この現実世界と連続する。理由なく蝋燭の火が妙に激しく燃え始めるのは、この世を超えたつまり超現実的作用による。
《感想3》
蝋燭の着火、ふいごの作動、コーヒー沸かしと肘掛け椅子の移動、これらもすべて超現実的作用だ。作用の原因はこの世界にない。物理的原因でない。
《感想4》
ただし超現実的作用が起きる範囲が限られる。額縁の大きさは超現実的に《自由に》変えられない。《魔法の鍵》(これ自身は超現実的だ)によってのみ額縁の大きさが変わる。このことと、絵が三次元の現実に変化すること、蝋燭の火が激しく燃え始めること、コーヒー沸かしと肘掛け椅子が自律的に移動すること、これらが(ここまでで)超現実的作用が起きる範囲であり、他の部分は日常の現実のままだ。(つまり日常の現実と超現実が連続する。)
《感想5》
日常の現実のうちで超現実的作用がさらに次々、起こる。コーヒー茶碗とスプーンが突然消える、絵の中から出てきた人間たちがおしゃべりし、ダンスをする。どこからか声が発せられる。タピスリーの楽士たちが音楽を演奏する等々。
《感想6》
「僕」は、絵から出てきた一人の女に一目惚れする。「僕」は超現実の女を幽霊とも妖怪とも思わず怖がらない。現実の女と同じように超現実の女を愛する。
《感想7》
そして「恋は盲目」だ。僕は絵から出てきた超現実の女に話しかけ、一緒に踊ろうと思い口説く。
《感想8》
その超現実の女の名はアンジェラ。彼女も僕に惚れてくれた。「時計の針があそこまでいったら、よくてよ、テオドールさん。」彼女が僕と踊ってもいいと言った。
《感想8-2》
だがそれは、彼女の存在をかけた恋だ。超自然の声が言う。「アンジェラ、踊りたかったら、その人と踊ってもよろしい。だがその結果がどうなるかわかっていような。」彼女は、僕と踊ればおそらく消え去る(存在が終わる)。彼女はそれを承知で僕と踊るのだ。
《感想9》
熱烈なワルツを僕らは躍る。普通の3倍の速さのワルツだ。だがやがて彼女は疲れる。彼女は僕の膝の上に座り、白い飾り紐のように両腕で僕を抱く。どのくらいの時間、二人がこういう姿勢でいたかわからない。二人は幸福だった。
《感想10》
二人の愛の幸福は完全だった。「僕の魂は肉体という泥土の牢屋から解放され、茫漠たる無限の中を泳いだ。アンジェラの考えが、口をきく必要もなく、僕にははっきり分かった。彼女の魂の光が僕の胸を刺し通した」。これは魂の結婚だ。
《感想11》
完全な愛の幸福、魂の結婚は、朝の訪れとともに、突然終わった。「アンジェラは・・・・急いで立ち上がり、僕に別れの手を振った。そしてけたたましい叫び声をあげながら、下へ落ちた。」アンジェラは、この結末を覚悟して、僕と踊ったのだ。いとしいアンジェラ!
《感想12》
彼女は「粉々に砕けたコーヒー沸かし」に変化していた。「コーヒー沸かし」は陶器製で、(超現実的な移動はするが)物体としては現実の世界に属す。
《感想12-2》
これまでの超現実的な出来事は、すべて彼(僕)の夢だったのかもしれない。今や、彼は超現実のアンジェラを失い、現実世界の「粉々に砕けたコーヒー沸かし」だけを見る。前夜、時計が11時を打った時から起きた全ての超現実の出来事が今や、彼には「悪魔的な幻想」に思われ、「ひどい恐怖にとらわれ、気絶した」。
《感想13》
この当時の「コーヒー沸かし」には陶器製で美しいものがあった。艶めかしく美しい「コーヒー沸かし」もあったのだ。テオドールがだから「こわれた陶器のかけらを若いきれいな娘のように抱きしめ」ていることも、それほど不自然でない。
《感想14》
一連の出来事があったあと、2日目の午後、彼(僕)は画帳にデッサンを書くが、気づくとそれは、昨日の「コーヒー沸かし」を不思議なほど正確に表していた。これは20世紀のオートマティスム(自動記述)に相当する。それは絵画を、精神の自動的な即興つまり画家の内的な心の状態の自動的な表現ととらえる。シュルレアリスムの重要な手法だ。(なおこの方法はフロイトが患者の無意識の診断に用いた。)
《感想15》
彼(僕)のデッサンはオートマティスム(自動記述)的に「コーヒー沸かし」を描いたが、それはさらに女性の顔にも見えた。邸の主人が、「この顔は、妹のアンジェラに驚くほど似ているよ。」と言った。
《感想15-2》
ここで「コーヒー沸かし」と「アンジェラの顔」の二重化は、エッシャーやマグリットのようなだまし絵的効果によるものだ。つまりあるモチーフが別のものにも見える「ダブルイメージ(多義図)」だ。
《《感想15-3》
なお二重符号化理論は、言語刺激は2つの異なる符号化システム, すなわちイメー.ジ的符号化 (imaginal coding) と言語的符号化 (verbal coding) によって処理されるとする。ただし「コーヒー沸かし」と「アンジェラの顔」の二重化はこの理論と無関係だ。
《感想16》
「僕」(彼)は二年前に死んだアンジェラを愛し、彼女もまた魂の存在をかけて僕を愛してくれた。僕とアンジェラは、超現実(これは彼岸であり非地上だ)のうちで《完全な愛の幸福》、《魂の結婚》を経験した。だから僕は、「もはや地上に幸福がない」と思った。

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テオフィル・ゴーチェ(1811-72)『二人一役』(1841):一人は役者(悪魔役のハインリッヒ)、もう一人は役の本人(悪魔そのもの)!&「舞台」は「文字」と同じだ!

2018-10-25 10:44:51 | Weblog
一 御苑の密会
(1)
ウィーンの御苑で青年ハインリッヒが、若く美しい恋人カティと会う。カティが言う。「ハイデルベルクで神学を学んでいたあなたが、なぜ役者になろうなんて妙な考えを起こしたの?そうでなければ、両親はあなたを好きだし、私たちもう結婚しているはずよ。」ハインリッヒが答えた。「僕は詩人の創作の中で生きたい。役者になれば幾つもの人生が持てる。表現する情熱のうちに生きたい。村の牧師なんて地味な身分で終わるのは嫌だ。」
(2)
カティが反論する。「両親は、役者をお婿さんにしようと思っていない。」ハインリッヒが答える。「貧乏な旅芸人ではダメだが、大臣ほどの給料を取る大俳優ならご両親も許してくれる。」さらに言う。「僕はもうカリンティ門の劇場でとても有利な契約をしたんだ。」
(3)
「それはあの芝居の悪魔の役割ね。」カティが言った。「でもキリスト教の信者が、人類の敵のマスクをかぶり、神さまを汚すことを言うのを見たくない。あなたの芝居を見て私はすっかり気が滅入って、夜は怖い夢ばかり見ていた。」そして尋ねた。「あたしのあげたあの小さい十字架をもう無くしてしまったんでしょう?」ハインリッヒは服の前を広げ、十字架が相変わらず胸にきらめいているのを見せた。

二 居酒屋『双頭の鷲』
(4)
ハインリッヒは居酒屋『双頭の鷲』に行った。友人たちは、ハインリッヒの達者な芸をほめた。「先日の晩、君は全く悪魔にそっくりだったね。どうしてあんなに毒々しく陰険な様子で、悪魔みたいな笑い方ができるのだろう!」ところが近くのテーブルに座っていた奇怪な男が「フン!」とつぶやいた。紳士らしい服装だったが、極悪非道な悪魔的なものを一瞬、感じさせた。しかし再び気づけば隠居した商人のように穏やかな外観だった。
(5)
ハインリッヒの賛美者の友人が、その奇怪な男の冷ややかな顔が我慢できず、「ねえあなた、ここにいる僕の友人より上手にメフィストフェレスを演じた者はいないはずだ!」すると男が答えた。「ハインリッヒ君は、悪魔を見たことがありますか?悪魔を見なければだめですよ。あなたの笑い方には感心しませんでした。悪魔はこういう風に笑うものです。」彼は手本を見せるために鋭く、甲高く、愚弄的な高笑いを始めた。無情残酷な引きつるような高笑い。ハインリッヒと友人たちは恐怖におののきながらも、その真似をせずにいられなかった。数分の笑いの後、気付けば、その未知の男はもう居なかった。

三 カリンティ門の劇場
(6)
数日して、カリンティ門の劇場で新しい芝居が始まり、再びハインリッヒは悪魔の役を演じた。あの居酒屋の未知の男が座っていて激しい不満の様子を示し、小声で「まずい!まずい!」とつぶやいた。
(7)
さて幕間にハインリッヒが舞台裏にいると、自分と寸分たがわない衣装をつけた不思議な人物と出会った。それはなんと悪魔そのものだった。「君の悪魔の役は実にみじめだった。ウィーンでのわしの評判を大いに下落させる。今夜はわしが君の代わりをさせてもらう。」悪魔は鋭い爪の生えた両手で彼の肩を掴み、彼を床板の下の奈落に押し込めた。ハインリッヒはカティの小さな十字架に手をやって、神の救いを求めたが、彼は気を失った。
(8)
その後のハインリッヒ(悪魔)の辛辣皮肉で毒々しい悪魔的演技が、観客を仰天させた。観客は震えた。鋸を軋るような鋭い笑い、天国の歓喜をののしる悪魔の冷笑、そして嘲罵と冒瀆。観客は無我夢中となり、狂乱の拍手喝さいの嵐だった。カティは不安のどん底におののき、あの愛するハインリッヒと似ても似つかないと思った。芝居は想像を絶した興奮のうちに終わった。
(9)
幕が下りてメフィストフェレスを観客が大声で舞台へ呼び返そうとしたが、彼はどこをさがしてもいなかった。ハインリッヒは床下の奈落で見つかった。きっと上げ蓋から落ちたのだろうと報告された。ハインリッヒは意識を失っていた。肩には深い傷があった。まるで虎が前脚で彼を窒息させようとしたようだった。カテイの小さい銀の十字架が彼を死から守った。悪魔が十字架を恐れ、彼を地下に突き落とすだけにしたのだ。
(10)
ハインリッヒの傷が治るまで長い日数がかかった。劇場の支配人が訪ねて来て、非常に有利な契約をすすめたが、ハインリッヒは断った。もう二度と来世の幸福を危うくすることはしたくなかった。またあの恐るべき身代わりに到底かなわないと知ったからだ。
(11)
数年後、彼はささやかな遺産を受け継いだので、美しいカティと結婚した。芝居好きの連中はいまだにあのすばらしい一夜の話をし、あんなに偉大な勝利をおさめながら舞台を捨てたハインリッヒの気紛れに驚いていた。

《感想1》
確かに「二人一役」だ。一人は役者(悪魔役のハインリッヒ)、もう一人は役の本人(悪魔そのもの)。この場合、本人が死んでいる場合、本人の役は、役者が演じる。では本人が生きている場合、本人の役を、舞台で演じるのは、役者であるべきか、本人であるべきか?
《感想2》
舞台は虚構だ。時間の制限がある(Ex. 3時間)。また空間(場所)の制限がある(Ex. 劇場という限られた空間)。時間と空間の制限がある場所で演じるのは、本人でなく役者である。
《感想3》
本人が演じるのは、その人の人生そのものにおいてだ。例えば時間は70年であり、空間(場所)は日本さらに世界各地だ。舞台(3時間)は、人生70年を時間的に《70×365×8》(204,400)分の1で演じる。つまり70年の一生を3時間の舞台で演じるとしたら、時間的に20万分の1だ。これを演じるのは、本人では無理だろう。(どうやって20万分の1の時間で、これまでの彼の人生全体を生きるのだ?)虚構(舞台)のうちに生きる役者が必要だ。
《感想3-2》
この小説で、悪魔本人が「舞台の悪魔」を上手に演じることが出来たのは、悪魔の人生を描いたのでなく、悪魔の形象(Ex. 笑い声)を描いただけだからだ。
《感想4》
そもそも言葉(文字or音声)が不思議だ。《形象である「宇宙」の文字》or《音声であるウ・チュ・ウ》が、広大な宇宙を、向こう側に、呼び起こす、見させる、感じさせる。あるいは代替し、指示する。「舞台」は「文字」と同じだ。「舞台」は人生を呼び起こすあるいは代替する。「舞台」の役者は、文字の線一画と同じだ。

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テオフィル・ゴーチェ(1811-72)『ポンペイ夜話』(1852):オクタヴィヤンの詩的な愛と、アッリアの愛欲的な愛が時空の移動によって出会い、二人の恋が成就する!

2018-10-23 22:56:11 | Weblog
(1)
フランスの若い青年3人がイタリア旅行に出かけ、ナポリでストゥーディ博物館を見物した。そこにはポンペイからの発掘品があった。オクタヴィヤンが深く心をとらわれたのは、ある溶岩(火山灰)の塊だった。それは女性の麗しい輪郭を保存した胸と脇腹の押型だった。それは、2000年前、紀元79年ヴェスヴィオ山の溶岩が彼女の身体を包んで焼き殺し、冷え固まったものだ。オクタヴィヤンはその押型の女性に恋をした。
(2)
その後、3人は鉄道に乗り、ポンペイ遺跡に向かった。そこには遠く消滅し去った生活がまざまざと保存されていた。玉石を敷き詰めた舗道、商店、屋根の抜けた家々、居酒屋、兵営、円形劇場、門、墓地など。オクタヴィヤンは驚きに打たれた。
(3)
やがて彼ら3人は、アッリウス・ディオメデスの別荘にたどり着いた。それは、ポンペイ屈指の建物であり彼らは門、中庭、談話室、廊堂、白大理石のテラス、浴室、古代の赤で彩色した八つの部屋等をまわり、そして最後に地下の酒蔵を見物した。
(4)
その酒蔵で、案内人が無関心に説明した。「ナポリの博物館に陳列されている押型のあの婦人の遺骸は、ここで17体の遺骸の間から発見されました。」「その婦人はいくつかの金の指輪をはめており、見事な上衣の切れ端が身体の形を保存した火山灰の塊に貼りついていました。」
(5)
貴重な遺骸が発見された正確な場所を知り、オクタヴィヤンは深い愛惜の涙を流した。彼の涙は、彼女が溶岩に窒息して死んだ場所へポツリと落ちた。
(6)
この時、友人の一人ファビオが、「考古学はもうたくさんだよ。飯を食おう。」と言った。3人は宿屋で食事をとった。やがて酒がまわり3人は女の話を始めた。ファビオは女の美貌と若さを追い求める快楽主義者だった。もう一人の友人マックスは、恋の複雑な策略が好きで、自分に最も関心の薄い女を、嫌悪から思慕にみちびくことだけに熱中した。
(7)
これに対しオクタヴィヤンは「現実の女には魅惑を感じない」と言った。彼は詩人で、恋を日常生活の環境から、星の世界、空想の世界に移そうとした。彼は時に彫像に恋をした。かくてアッリウス・ディオメデスの別荘の地下室から発掘された押型が、彼にこの太古の女性への恋を引き起こした。
(8)
この詩的な陶酔を、下劣な酒の酔いで乱したくないと思い、オクタヴィヤンは実は、食卓で酒を飲まなかった。彼はその夜眠れず、夜風に当たって頭を冷やし、心を鎮めようと夜中、宿を抜け出しポンペイの廃墟に向かった。
(9)
ポンペイの廃墟を月が照らす。オクタヴィヤンは時折ぼんやりした人の姿が闇の中を滑っていくのを見た。そしてなんと月の光のもと、廃墟の家がすべて修復されていると気づいた。時計が夜の12時を指した時、太陽が昇り始めた。ポンペイの街が復活し19世紀から約2000年前、ティトゥス帝の時代に戻った。
(10)
オクタヴィヤンはある上流階級の青年と出会った。そして彼に連れられオデオン座(喜劇劇場)に行った。劇の途中、彼は婦人席に居る飛び抜けて美しい一人の女性に気づいた。彼はこの女性こそ、ナポリの博物館の押型の婦人にちがいないと思った。彼女こそ、彼が恋する遠い歴史の闇の中の幻の婦人だ。
(11)
芝居が終わると、一人の少女がやって来てオクタヴィヤンに言った。「私はアッリウス・ディオメデス様のお姫様、アッリア・マルチェッラ様にお仕えする者です。お姫様はあなた様を愛していらっしゃいます。どうぞご一緒においで下さい。」彼は、ある秘密の家に案内された。そして浴室係の奴隷に引き渡され、古代の作法で体を洗われ、白い上衣を着せられた。少女が彼を別の部屋に案内した。
(12)
部屋の奥の寝台上にアッリア・マルチェッラが横たわっていた。二人は一緒に寝台へ横たわり食事した。彼女の腕に触れた時、オクタヴィヤンはそれが大理石のように冷たいと思った。彼女が言う。「私の魂は未だこの世をさ迷っています。あの博物館で、私の身体の形を保存する溶岩の塊の前で、あなたは熱いお心をお向け下さいました。あなたの激しいご愛情が私に命を取り戻させ、2千年の距離をなくしました。」
(13)
物質的な形が消え失せても、幽魂が宇宙をさまよう。熱情的な精神が、魂を遠く流れ去った過去から手元に引きよせ、万人が死んだと信じる人物をよみがえらせる。オクタヴィヤンは、アッリウス・ディオメデスの娘アッリア・マルチェッラへ愛を伝え、彼女がそれに応えた。彼女は今やティトウス帝の時代に一日の生を得て、二人はポンペイの(今は廃墟だが)かつての美しい寝台の上にいる。
(14)
アッリア・マルチェッラが言った。「あたしはあまりに長い間愛を知らなかったので、寒くてたまりません。私を抱いて下さい。」奴隷たちが去り、あとに二人の激しい恋の場面が続いた。
(15)
突然、そこに老人(父親)アッリウス・ディオメデスが現れた。彼はキリスト教の十字架を襟元に下げる。彼が娘に言った。「どうしてお前はよしない恋の戯れを、死んでも繰り返すのか?なぜ生ける者を生ける者の世界に任せることが出来ないのか?」娘アッリア・マルチェッラが答える。「私は命と若さと美しさと快楽を愛した古い神様方を信じます。色も香もない亡びの中に私を押し戻さず、せっかく愛が私に返してくれたこの生活を楽しませてください。」
(16)
老人(父親)が娘に続けて言った。「お前の神々は悪魔だ。お前は偶像教の冥途へ戻れ!」そしてオクタヴィヤンに「若いキリスト教のお方よ。この幽霊をお捨てなされ。」と言った。「わしの言葉に従うじゃろうな、アッリア!」と老人が叫んだ。「いやです。」とアッリアが答えた。
(17)
「それでは最後の手段に訴える!」と老人(父親)が言う。彼は激しく除魔の呪文を唱えた。するとアッリアの頬はたちまち蒼白に変わっていった。彼女から苦悶の溜め息が洩れた。オクタヴィヤンは自分を抱いていた彼女の腕が解けるのを感じる。彼女を包んだ夜具はしぼみ、部屋は廃墟と化した。そしてついに、そこに「骨をまじえる一つまみ」の灰だけが残った。オクタヴィヤンは激しい叫び声をあげて気絶した。
(18)
翌朝、宿屋でマックスとファビオは、オクタヴィヤンが居ないのに気付き、ポンペイの廃墟をさがした。最後に半ば崩れた小さい部屋で気を失って倒れているオクタヴィヤンを発見した。彼は「ぶらぶら歩いているうちに卒倒した」とだけ語った。
(19)
これ以来、オクタヴィヤンは深い憂鬱症にとらわれた。アッリアの面影が心につきまとい、あの悲しい結末も彼女の魅力を壊さなかった。やがて彼は耐えられず、ひそかにポンペイにもどり、月光の夜の廃墟を愚かしい希望に胸をときめかせ歩いた。しかし幻覚はふたたび起こらなかった。
(20)
オクタヴィヤンは、最近若く美しいイギリスの女性と結婚した。彼は申し分のない夫だった。しかし彼女は女の本能で、夫がほかの女を愛していると気付いた。ところがオクタヴィヤンには踊り子の噂もなく、社交界でも女たちへ月並みな愛想しか言わず浮いた話はない。夫の秘密の引き出しにも裏切りの証拠がなかった。彼女は約2000年前のアッリウス・ディオメデスの娘アッリア・マルチェッラに嫉妬していた。だがそれを、どうして気づくことが出来たろう。

《感想1》
溶岩(火山灰)の胸と脇腹の押型の女性に激しい恋をするとは、オクタヴィヤンは不思議な人物だ。
《感想2》
愛する者の死の現場がオクタヴィヤンにもたらす衝撃。ポンペイの廃墟の地下室こそが、押型の女性が2000年前、ヴェスヴィオ山の溶岩に身体を包まれ焼き殺された現場だった。歴史上の現場が持つ抒情性!
《感想3》
恋を日常生活の環境から、星の世界、空想の世界に移し、あるいは彫像に恋をし、また太古の女性に恋する時、恋はどのように成就されるのか?
《感想3-2》
それは詩的な陶酔だが、精神的にとどまらず、肉体の陶酔も必要とするはずだ。幻視、幻聴、幻覚あるいは、音楽、舞踏、酩酊、苦行など。
《感想4》
ここでは2000年前への時空の変化が、遷移的に起きる。夜の闇の中で廃墟の建物が修復され、はかない《影》が《延長し抵抗する物質としての肉体》へと変化していく。
《感想5》
死後もアッリア・マルチェッラの魂が2000年さまよう。彼女の魂は何を求めるのか。激しい愛を求める。オクタヴィヤンの愛は詩的で時代を超える。アッリアの愛は愛欲的で肉体を必要とする。
《感想5-2》
オクタヴィヤンの詩的な愛を、アッリアは愛欲的な肉体の愛の渇望へと解釈し直し、彼女の魂に肉体を与える必要があった。彼女の肉体は2000年前、ティトウス帝の時代にしか存在しなかったので、彼女の魂の力(愛)によってオクタヴィヤンはその時代に運ばれた。
《感想5-3》
かくて彼女が言う。「あたしはあまりに長い間愛を知らなかったので、寒くてたまりません。私を抱いて下さい。」オクタヴィヤンの詩的な愛と、アッリアの愛欲的な愛が時空の移動によって出会い、二人の激しい恋が成就する。
《感想6》
古い神様(古代ローマの神々)を信じるアッリア・マルチェッラは、精神(魂)の愛あるいは彼岸の愛を信じない。彼女は《この世の命と若さと美しさと快楽としての愛》のみ信じる。彼女にとって、精神(魂)の世界つまり彼岸はなく、それは《色も香もない亡び》にすぎない。
《感想6-2》
キリスト教徒の老人(父親)アッリウス・ディオメデスは、精神(魂)の世界つまり彼岸を信じる。この世にさまよう魂は、救済されていないのだ。精神(魂)の世界つまり彼岸に移動でしていない。
《感想6-3》
このキリスト教の立場から肉体について言えば、肉体は滅びることが運命づけられている。この限りではキリスト教は、奇跡を否定する。
《感想6-4》
奇跡を否定するキリスト教は、(2000年前の時空で)肉体を復活させた(奇跡の)死後の魂を、幽霊と呼ぶ。《肉体を持った魂(幽霊)に対する除魔の呪文》は、魂を破壊しないが、この世の肉体を破壊する。かくてアッリア・マルチェッラの肉体を復活させた2000年前への時空の移動は破壊される。今や、アッリアは一つまみの灰となりやがて飛び散る。生きたポンペイの街が廃墟に変化する。

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テオフィル・ゴーチェ(1811-72)『死霊の恋』(1836):悪魔的な妖しい幻の恋!私は僧侶で毎晩城主になる夢を見るor私は城主で夢の中で僧侶となる!

2018-10-23 22:54:08 | Weblog
(1)
66歳になる僧侶の恐ろしい恋の話。その時、私は20代だった。それは、3年以上続いた悪魔的な妖しい幻の恋だった。
(2)
私は幼少のころから、神様に仕えることを天職と心得ていた。24歳の年まで修行修行の連続だったが、私には「神に一身をささげること」は世にもたぐいなく立派なことと思えた。そして終に僧侶の誓約をする叙品(ジョホン)式の日を迎えた。私は天使にでもなったように喜びにあふれた。
(3)
ところが叙品式の途中、私は女神のように美しい若い婦人を見てしまった。私に新しい欲望が生れた。それは恋の欲望だった。私は「僧侶になりたくない」と心のうちで叫んだ。その人は「あたしはあなたが好き、あなたを神さまから横取りしたい」と哀願する必死の眼差しを送ってよこした。しかし叙品式の途中で大騒ぎし、また多くの人々の期待を裏切ることはできなかった。私は僧侶になった。
(4)
そして教会を出る時、不意に誰かが私の手を握った。あの人だった。「ほんとに薄情な人!なんてことをなさったの!」そう言って人ごみの中に、彼女は消えた。私が神学校に戻る途中、ひとりの小姓が現れ、「コンティニ宮にて、クラリモンド」と書いた紙を私に渡した。私は当時、世間のことを全然知らなかったので、何も行動しなかった。
(5)
私は初めて恋の虜になった。そして僧侶になったことを後悔した。クラリモンドにひたすら会いたかった。私は、恋知りそめたばかりのあわれな神学生となった。狂おしい身もだえに私は陥った。
(6)
ある日、監督のセラピオン師が私を見て言った。「あんなに信心ぶかく、物静かで優しかった君が、まるで猛獣のように部屋の中で騒ぎまわっている。悪魔のそそのかしだ。祈りなさい、断食しなさい、瞑想しなさい。」師の訓戒が私を正気に返らせた。心の落ち着きも多少とりもどした。
(7)
やがて私はクラリモンドの住む街を離れ、田舎の教会の司祭として赴任した。私は職業上のあらゆる義務をきちんと果たしたが、もはや聖なる使命があたえる幸福感を感じられなかった。クラリモンドを忘れられなかった。
(8)
ある晩、私のもとに使いの男が現れ、「非常に身分の高い女主人が、死に瀕して司祭に会いたがっている」と言った。私は馬車で、豪壮な建物に連れていかれた。だが女主人は亡くなっていた。「せめてお通夜をしてあげてください」と執事が言った。
(9)
その遺骸はなんと私が気も狂わんばかりに愛するクラリモンドその人だった。透きとおった屍衣の下の白く美しい遺骸!私はクラリモンドの遺骸の唇に接吻した。すると死者の唇が応え、目が開き言った。「ロミュオー様、あたしは、あなたをずいぶん長いことお持ちしましたのに、死んでしまいました。でも接吻でよびかえしてくださったこの命を、あなたに差し上げますわ。では、またお近いうちにね!」あの人の頭がふたたび後ろへ倒れた。そして私は気を失った。
(10)
3日後、私は司祭館で目を覚ました。数日後、セラビオン師がやってきて、私に言った。「遊女のクラリモンドは、八昼夜ぶっつづけの大饗宴のあと死んだ。彼女の恋人という恋人は、全部悲惨なまたは無惨な最期を遂げている。私に言わせるとクラリモンドは悪魔そのものだ。人の噂によると、あの女が死んだのは今度が初めてではない。」
(11)
私は、ある晩、夢を見た。幽霊のクラリモンドが目の前に立っている。私はその手に、繰り返し接吻した。クラリモンドの肌の冷たさが、私に快い戦慄を感じさせた。彼女が言った。「あなたにお目にかかる前から、あなたを愛していました。恋しいロミュー様。ほうぼうお探ししていて、あの叙品式の日にあなたを発見しました。私は全ての愛を込めた眼差しを送ったのに、あなたは私より神さまを選びました。」
(12)
「一度死んだものを、あなたの接吻で生き返らせていただきました。それなのにあなたは未だに神さまを私より愛しています。あなたの心を独り占めしたいのに!」とクラリモンドの幽霊が、心もとけそうな愛撫をまじえ語った。私は、彼女を慰めるため、怖ろしい冒瀆を口にした。「あなたを神さまと同じほど愛している!」
(13)
するとクラリモンドが言った。「あたしの行くところへついて行って下さるわね!幸福な楽しい日々、目もくらむほどの豪華な生活をあたしたちは送るわ。明日、出かけましょう、いとしい騎士さま。」彼女は消え、私は鉛のような眠りに落ちた。
(14)
翌日、夜、眠りに落ちると、再び夢が始まった。カーテンが開いてクラリモンドが入って来る。もはや幽霊の姿でなく盛装した貴婦人だった。彼女は、私のために城主の衣装一式を持ってきた。私は着替え、彼女が私の髪を整えた。私は若い城主ロミュオーとなる。そして二人は馬車でヴェネチアの城に向かい、歓楽の時を過ごした。
(15)
この夜以来、私はいわば二重人格になり、二人の人間となった。ある時は、私は僧侶で毎晩城主になる夢を見ると思い、ある時は、私は城主で夢の中で僧侶となると思った。クラリモンドは妖しく魅力的で、彼女を恋人に持つことは二十人の女を情婦にするに等しく、彼女は様々の似ても似つかない女になることが出来た。
(16)
城主の夢が私には現実となり、(その城主の)毎晩の忌々しい悪夢で、私は村の司祭になり、昼間の享楽のあがないをするため、苦行を積まねばならなかった。そしてセラピオン師の「クラリモンドは悪魔だ」との言葉が思い出され私を不安にした。
(17)
さて少し前からクラリモンドは健康がすぐれず、顔も青ざめている。ある朝、私は果物をむいて指を切った。血が流れた。それを見たクラリモンドが猿か猫のように寝台からすばやく飛び降り、私の流れる血をすすった。彼女は私の血を吸い続け、やがて再び美しく健康となった。クラリモンドが言った。「あたしは死なない!あたしは死なない!あなたの血が、あたしに命を取り戻させてくれる!」
(18)
私が(城主の現実から)夢の中の司祭館へ戻った時、セラピオン師が言った。「お前は魂を失うだけで気が済まず、身体まで失おうとするのか!お前はいかなる罠に囚われたのだ?」
(19)
ある晩、私は鏡に「クラリモンドが私の酒に何かの粉を入れる」のが映ったのを見た。私は寝たふりをして、ことの成り行きを確かめた。クラリモンドが金のピンを私の肌に刺し、流れる血をすすった。「あたしの命を消さないために、ほんの少しあなたの命を分けていただく。あなたをこんなに愛していなかったら、他に恋人をこしらえて、あなたの生き血を吸い尽くす決心もできるのです。」
(20)
セラピオン師の言ったとおりだった。しかし、私はクラリモンドを愛さずにいられなかった。相手は吸血鬼だったが私への心遣いから、ひどいことをする心配がなかった。そして私は「この血と一緒に、僕の愛があなたの身内へ流れ込むように!」と思った。私とクラリモンドは、それからも仲良く暮らした。
(21)
だが私は、二重生活にすっかり疲れ果てた。僧侶と城主のどちらが幻想か、はっきりさせてしまおうと思った。セラピオン師が、「大患には劇薬が必要だ。クラリモンドの死骸を掘り起こし、蛆虫に食い荒らされた死骸を見れば、お前は正気に立ち戻るだろう」と言った。私は、身体の中にいる二人の男の一方を殺し他を生かすか、仕方なければ両方とも殺してしまおうと思った。
(22)
夜半にセラピオン師と私は、クラリモンドの墓に行った。鶴嘴で掘り、棺の蓋を開けるとそこには、蛆虫に食い荒らされ腐乱した死骸でなく、屍衣に包まれ大理石のように白いクラリモンドの姿があった。口のすみに赤い血の滴(シタタリ)があった。セラピオン師が「悪魔、恥知らずの淫売、血と金に餓えた妖婦!」と叫び、聖水を撒き散らし、棺に十字の印を刻んだ。
(23)
たちまちクラリモンドの美しい遺骸が砕けた。灰と半ば石灰に化した骨が残った。私の心の中でなにか大きなものが一挙に崩れ落ちた。クラリモンドの恋人ロミュオー侯と、司祭館の貧しい僧侶の二重生活は終わった。
(24)
翌朝、教会の玄関にクラリモンドが現れて言った。「ほんとに薄情な人!なんてことをしたのです!ずいぶん幸せだったのに!あたしたちの魂と身体を結び合わせていた糸は切れました。さようなら。あなたはきっと永久にあたしが恋しくてたまらなくなるでしょう。」そして彼女は、煙のように消え去り、二度と姿を見せなかった。
(25)
ああ、全くあの人の言ったとおりでした。私は今でもあの人を忘れられない。魂の平和のために、余りに高価なものを私はなげうちました。神の愛も、あの人の愛に変われません。
(26)
66歳の僧侶の私が、若い僧侶の皆さんに言いましょう。「決して女を見てはならない。いつでも地面を見て歩きなさい。刹那の気のゆるみが、手もなく永世を失わせることがあるのだから。」

《感想1》
最初、クラリモンド(貴婦人)が私(神学生・僧侶)に惚れた。私はモテる男だ。不思議だ。妖艶な貴婦人に若い神学生が惚れられるというメロドラマ仕立てだ。
《感想2》
恋知りそめたばかりのあわれな神学生が、狂おしい身もだえに陥るのはありうることだ。ただし、これは1830年代ロマン主義時代の小説だ。今の時代の現実の恋はもっと散文的で、身もだえなどしないかもしれない。ただしストーカーは居る。
《感想3》
私(僧侶)がクラリモンドの遺骸の唇に接吻した。すると接吻によって遺骸に命が吹き込まれた。クラリモンドは死霊となった。(人間として生き返ったわけでない。彼女は日常の現実では幽霊だ。身体を持つのは夢の中だけだ。)死霊クラリモンドが、命(夢の中での身体)を保つには私(僧侶)の血が必要だ。この死霊は吸血鬼だ。
《感想4》
死霊クラリモンドに対し、私(僧侶)は「あなたを神さまと同じほど愛している!」と怖ろしい冒瀆を口にする。
《感想5》
死霊クラリモンドとの生活は夢の中でのみ可能だ。夢の中で私(僧侶)は若い城主ロミュオーとなり貴婦人で遊女のクラリモンドと豪勢で贅をつくした幸福な生活を送る。
《感想6》
私の夢と現実の二重生活は、夢の比重が高まり、どちらが現実でどちらが夢か判然としなくなる。「私は僧侶(現実)で毎晩城主になる夢を見る」のか、「私は城主(現実)で夢の中で僧侶となる」のか、区別がつかなくなる。
《感想7》
(僧侶としての私の)夢の中に現れるクラリモンドは死霊だが、死霊が命を保つ(夢の中で身体を持つ)ためには、私(僧侶かつ城主)の血を必要とする。クラリモンドは吸血鬼だ。
《感想7-2》
可哀そうなことに、死霊にして吸血鬼のクラリモンドは、私(僧侶)の夢の中でしか身体を持てない。城主ロミュオーとクラリモンドとの豪華で性愛的な生活は夢の中でしか可能でない。豪華な饗宴の飲食や性愛は、身体を必要とするから。
《感想8》
私(僧侶or城主)のクラリモンドへの愛は深い。死霊でも吸血鬼でも、私はクラリモンドを愛する。
《感想8-2》
ここで注意すべきは、僧侶と城主が完全に分裂していないことだ。「二重生活の意識がいつも非常にはっきりしていた」。「違った二人の人間のなかに同じ自我の感情がそのまま残っていた。」(ゴーチェ)かくて私(僧侶or城主)は、二重生活にすっかり疲れ果て、僧侶と城主のどちらが幻想か、はっきりさせてしまおうと思う。
《感想9》
クラリモンドの美しい遺骸が砕け散ることで、夢の中でのクラリモンドの身体が消失した。墓の中の(吸血鬼の)クラリモンドの遺骸は日常の現実における身体としては機能せず、僧侶の私が見る夢の中での身体としてのみ機能する。死霊クラリモンドは夢の中でしか、現実的身体を持たない。僧侶の私が属す日常の現実の中では、死霊クラリモンドは幽霊としてしか出現できない。
《感想10》
(日常の現実にあった)クラリモンドの美しい遺骸が砕け散り、死霊クラリモンドは夢の中での身体を失った。私(僧侶)の夢の中で、城主ロミュオーはもはや身体を持つクラリモンドに会えない。
《感想10-2》
クラリモンドは、幽霊としてなら、この日常の現実に出現できる。しかし彼女は、私(僧侶)にもう会わないと決断した。「ほんとに薄情な人!」だと、彼女は私(僧侶or城主)に対し愛想をつかした。
《感想10-3》
死霊クラリモンドに、私(僧侶or城主)は捨てられた。私のみが未練を持ち続ける。「私は今でもあの人を忘れられない」。

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ノディエ(1780-1844)『ベアトリックス尼伝説』1837年::カトリックの奇跡物語だ!信仰のない世界ではドッペルゲンガーの物語になる!

2018-10-23 22:51:38 | Weblog
(1)
ジュラ山地の斜面に、ほぼ半世紀前まで「花咲くさんざしのノートル=ダーム」という教会と修道院の廃墟があった。
(2)
その創設者の「聖女さま」が亡くなり、2世紀が経った頃、聖母マリア像の聖櫃(セイヒツ)係尼僧をベアトリックスがつとめていた。彼女は18歳で、聖母マリアに一生を捧げても捧げきれないような情熱的な愛情をもって仕えた。
(3)
近くの年若い領主レーモンがある日、森で刺客に襲われた。その瀕死の怪我人は修道院に運ばれ、彼をベアトリックスが介抱した。回復したレーモンは、ベアトリックスに「妻になってくれ」と懇願した。
(4)
ベアトリックスは苦しんだ。彼女は「地獄の情熱」にとりつかれた。夜、ひとり内陣に行き聖櫃を開き聖母マリアに訴えた。「ああ、あたしの青春を守って下さった方!・・・・ああ尊いマリアさま!どうしてあたしをお見捨てになったのです?」
(5)
つぎの晩、一台の馬車が、回復した美しい騎士レーモンと誓願を破って彼に従った若い尼僧を載せ、修道院を去った。
(6)
ベアトリックスは愛情の陶酔と幸福の中で過ごした。しかしやがて彼女がレーモンに愛されていないことを知る日がきた。その人のために神の祭壇を捨てたその相手から完全に捨てられる日がきた。今や彼女は、この世に誰一人頼るものがなかった。
(7)
やがてベアトリックスは哀れな乞食女となった。捨てられて十五年がたった。彼女は疲れと空腹で、ある門前で気を失い倒れた。彼女は尼僧に介抱され、意識を取り戻した。そして彼女はそこが、「花咲くさんざしのノートル=ダーム」であること知る。彼女は歓喜したが、直ちに深い呆然自失の状態に陥った。
(8)
「神さまどうかお情けを!」と乞食女のベアトリックスが門番の尼僧に言った。「花咲くさんざしの聖母さまに遠い昔、あたしお仕えしていたんです。」「それはベアトリックス尼が聖櫃係尼僧を勤めていた頃です。」
(9)
すると門番の尼僧が言った。「ベアトリックスさまは、お堂の聖櫃のお勤めを一度もおやめになったことはありません。」乞食女ベアトリックスが言った。「そうではなくて16年前に同じお役目を勤めていて、あやまちのうちに生涯をおえた、もう一人のベアトリックスのことです。」すると門番の尼僧が「今のベアトリックスさま以外のお堂の聖櫃係なんて聞いたこともないわ」と答えた。
(10)
門番の尼僧が立去ると、乞食女ベアトリックスは勇気を奮って立ち上がり、柱伝いに聖櫃に近づいた。確かにそこには尼僧が立っていた。その聖櫃係尼僧は彼女自身だった!
(11)
尼僧が歩いてきた。そして言った。「あなたなのねベアトリックス。ずいぶん長いこと待っていました。あなたが出て行ったその日からあなたの代わりをしてきました。誰にも、あなたのいなくなったことが分からないようにね。これはあなたの愛のおかげで可能になった並々ならない恩寵なのです。」尼僧は聖母マリアだった。
(11)-2
聖母マリアが、「あなたのお部屋にはあなたが残していった衣があります。その衣を身につけ、昔の純潔を取り戻しなさい」とベアトリックスに言った。
(12)
聖母マリアは、祭壇の階段をのぼり、聖櫃(セイヒツ)の扉をあけ、その中に金の後光と、花咲くさんざしの飾りにつつまれ、神々しい威光のうちに腰を下ろされた。
(13)
昔の衣を着てベアトリックスは、かつてその信仰を裏切った朋輩たちの間に滑り込んだ。だが彼女を咎める声はなかった。誰一人彼女がいなくなったことに気づかなかったように、誰一人彼女が戻ってきたことに気づかなかった。
(14)
門番の尼僧が寝床を用意して戻ってみると、あの可哀そうな女の姿はもうなかった。
(15)
ベアトリックスはその後、苦しみも後悔も恐れもなく、幸福のうちに一世紀のあいだ生きた。彼女は聖母への優しい忠実さのためにその栄誉に値する者だった。彼女は聖者の位に列した。

《感想1》カトリックの奇跡物語だ。信仰のない世界ではドッペルゲンガー(同時に複数の場所にいる同一人物)の物語になる。理性(科学)の立場では、奇跡物語もドッペルゲンガーも虚妄だ。
《感想2》作者ノディエは、「ルターやヴォルテールの一派」にくみしない。カトリックに聖母マリア信仰があるが、ルター派のプロテスタントにはない。ヴォルテールは啓蒙主義者であり、理性の立場から奇跡を信じない。
《感想3》キリスト処刑のイバラの冠がサンザシだ。サンザシはメイフラワー(Mayflower)。イギリスの清教徒が信仰の自由を求めアメリカに渡った船は「メイフラワー号」だ。

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ノディエ(1780-1844)『死人の谷』1833年: 悪魔パプランは若者との契約で「命」を要求した!Cf. 悪魔メフィストはファウスト博士との契約で「魂」を要求した!

2018-10-23 22:49:29 | Weblog
(1)
その日は「隠者の谷」にある鍛冶屋の親方トゥサンの誕生日で、宴会が催された。朝から弟子たちも浮かれ、近所の娘たちも集まってきた。
(2)
そこに旅の2人連れが立ち寄った。馬車の事故があり、乗り合わせていた2人が、歩いてたどり着いたのだった。黒いケープの紳士(パンクラス・シューケ博士)と赤い服を来て赤い帽子をかぶった小人(コラス・パプラン)だ。
(3)
小人にせがまれてユベルト婆さん(トゥサンの母親)が「谷」の昔話をした。約100年前、まだ家も町もない森ばかりの谷にある貴族が、宮廷を去り信仰の生活を求めやってきた。彼は隠者として信仰に生きオディロン上人と呼ばれた。彼には大財産があり、谷を開発し多くの建物を建て、町を作り繁栄させた。
(4)
さてオディロン上人は、ある信仰深い若者を見込んで、その若者に身の回りの世話をしてもらった。ところがその若者は、財差目当てでオディロン上人に近づいたのだ。
(5)
30年前、若者はオディロン上人を殺した。だが財産を奪い逃走しようとしたところを発見された。若者は上人が住んでいた洞窟の中に閉じこめられ、逃げられなくなった。ところが犯人(若者)は洞窟から忽然(コツゼン)と姿を消した。
(6)
洞窟からは悪魔と若者との契約書が見つかった。そこには悪魔の言葉で「殺人罪に30年の猶予を与える」と書いてあった。それはちょうど30年前の今日、万聖節(11/1、Cf. 前夜がハロウィーン)の夜、死者の鐘が鳴る時だった。
(7)
ところが実は、その若者の30年後の姿がパンクラス・シューケ博士だった。そして小人コラス・パプランこそが悪魔だった。悪魔との契約は期限が来たら悪魔に「命」を渡す。(つまり殺される。)命を取るため、悪魔は博士(殺人罪の若者)についてきた。
(8)
今、死者の鐘が鳴った、パンクラス・シューケ博士は、あわてて鍛冶屋のトゥサンの家から出て行った。そのすぐ後、小人コラス・パプラン(悪魔)が出て行った。
(9)
翌朝、谷で、恐ろしく引き裂かれ、ひどく変形し、小さくなった死体が発見された。天の火か地獄の火に焼きつくされたようだった。誰の死体か判別できなかったが、その傍らにパンクラス・シューケ博士の黒いケープが残っていた。その時から「隠者の谷」は「死人の谷」と呼ばれるようになった。

《感想1》ここでは悪魔パプランとの契約は「命」を引き渡すことが条件となっている。ところで、かのファウスト博士の場合、悪魔メフィストと結んだ契約の条件は、「魂」を引き渡すことだった。(ゲーテ『ファウスト』第1部1808年)
《感想2》『ヴェニスの商人』で契約の条件に肉1ポンド(「命」)を要求したシャイロックは、悪魔パプランに似るが、「魂」を要求した悪魔メフィストと違う。
《感想3》契約の条件に、とりわけ違約の場合、「命」を要求するのは、歴史的には人間同士でも普通だった。例えば戦国時代の人質。
《感想4》悪魔に「命」を引き渡すこと(殺されること)と「魂」を引き渡すことは異なる。
①魂は「不死」であるから、「不死の魂」を引き渡したら死後、人は空虚となり完全に消滅する:悪魔メフィストはファウスト博士との契約で「魂」を要求した。
②「命」を引き渡すだけなら、つまり死ぬだけなら「不死の魂」は死後も存在し続ける:悪魔パプランは若者との契約で「命」を要求した。

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ノディエ(1780ー1844)『青靴下のジャン=フランソワ』1832年:著者は科学の時代に幻視を信じるor信じたい!

2018-10-23 22:45:10 | Weblog
(1)
狂人ジャン=フランソワの話。1793年のこと。フランソワは20代半ば。青靴下をいつもはき、小さな三角帽子をかぶった気のいい若者、しかし狂人だった。
(2)
フランソワは二重の存在で、精密科学が極めて優秀で正確に理性的に議論する。しかし日常生活は全くだめで、人と話を交わせない。そして彼はしばしば目を遠くへ向ける幻視者だった。
(2)ー2 
あるいはフランソワには二つの魂があると言ってもよい。一方で、現実世界(粗雑な世界)では彼は狂った魂をもつ。他方で精密科学の高貴な空間(世界)では彼は純化された魂を持つ。ここでの彼の話は脈絡がありまっとうだ。
(3)
1793年10月16日、青靴下のジャン=フランソオワが物思わしげに天を見ていた。そして言った。「あの血のあとを目でたどってごらん。フランス王妃マリ=アントワネットが天に昇ってゆくのが見えるよ。」後になって、「この日、王妃が断頭台で斬首された」とのニュースが伝わった。フランソワは王妃の死を幻視した。
(4)
フランソワは学生時代、きわめて優秀で学校でいくつも賞をとり表彰された。しかも彼は天使のような美男子だった。彼を見込んで、有力貴族の夫人がその一人娘の家庭教師に彼を雇った。彼はその娘を思慕した。しかし彼は仕立屋の息子にすぎず、身分差はどうにもならない。彼はその苦悩を紛らわすために、オカルト学や心霊術の研究に陥った。そして彼は狂った。
(5)
私はその秋、勉強のためストラスブールに移った。そしてフランソワの事は忘れていた。春になり、私は実家に戻った。ある朝父が新聞を見て、「あの貴族夫人とその一人娘が3日前、夕方4時過ぎに斬首された」と言った。
(6)
ところが実はその日、私は広場に立って天空を凝視するフランソワに会ったのだ。彼は、夕方4時頃、空に手をさしのべ、一声叫んで倒れ死んだ。それは貴族夫人とその一人娘が斬首された時間だった。フランソワは、彼が愛したあの貴族の一人娘の死を幻視したに違いない。

《感想》狂人である幻視者、そして彼の純愛の話だ。1832年の著者は科学の時代(or理性の時代)に生きる。だが著者は幻視を信じるor信じたい。

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ノディエ(1780ー1844)『スマラ(夜の霊)』1821年: 諸現実の層が重なる!①①-2日常の現実、②②-2②-3夢=《夢の現実》、③《夢の現実に登場した亡霊》が経験した現実、④夢の夢!

2018-10-23 22:41:37 | Weblog
(1)プロローグ(序曲)
「偽りの夢は夜の幻にまぎれ、亡霊をあやつって、愚かな者を脅かす。」(カトゥルス)ロレンンツォは新婚1週間。そばに新妻リシディスが眠る。ロレンンツォは眠りにおち、その眠りの中に無数の精霊・亡霊たちが出現する。
(2)レシ(物語歌)
ロレンンツォの眠りの中での物語。おれ(ルキウス)はアテナイの哲学堂で学業を終え、テッサリアの邸に行く。おれ(ルキウス)が眠りにおち、夢を見る。テッサリアの歓楽の娘たち(魔女たち)の幻が出現する。不幸な者たち、すなわち生ける亡霊たちの幻も出現する。《おれ(ルキウス)を戦場でかばい死んだポレモン》の亡霊が現れる。そこは陰気な世界。金髪のミュルテのハープがおれ(ルキウス)を救う。黒髪のテイス(金髪のミュルテの妹)。キラキラ光る長いまつげのテライラ。実は、彼らは魔女で、亡霊のポレモンを苦しめた。ポレモンがそれについておれ(ルキウス)に語った。
(3)エピソード(挿歌)
ポレモンは、テッサリアの美女の中の美女、メロエに心を奪われた。だがメロエは魔女の女王!ポレモンはメロエの宮殿にいき、恍惚と恐怖の最後の夜を迎える。メロエは、おれ(ポレモン)の心臓が止まっているのを確かめると、怪しげな無数の夜の霊たち(スマラ)を呼び集めた。彼らはメロエの魔法の指輪から現れた。周囲には魔女たちの儀式がもたらした罪のない生贄の遺骸の山。魔女たちは真紅の屍衣をまとって人を殺す。死者が蘇り、それら汚鬼たちの饗宴。おれ(ポレモン)は取り乱し,わなわなと震える。ミュルテのハープが、おれを落ち着かせ安らかに眠らせた。
(4)エポード(第三歌)
「そこで彼らは罰に服し、過去の罪を贖う。」(ウェルギリウス)さて以下はルキウスの夢!ポレモンと金髪のミュルテが、呪いをおれ(ルキウス)に投げかけ、おれの知らない人殺しの罪で、おれを責める。おれ(ルキウス)は槍を持った兵士たちに護送され処刑場に向かう。おれ(ルキウス)は処刑され、おれの首が落ちる。「ミュルテ!」とおれは叫ぶ!金髪のミュルテが「ルキウス!ルキウス!」と叫ぶ。夕闇のこうもりが、おれに羽根をくれる。私は処刑台の周りを、輪を描いて飛ぶ。おれ(ルキウス)は、ポレモンが処刑されるのを、飛びながら見る。魔女の女王メロエ、3人の魔女テイス、テライラ、金髪のミュルテが踊る。無数の夜の霊たち(スマラ)が魔女の女王メロエに報酬を求める。おれ(ルキウス)は、白髪で皺だらけの子供たちに、蜘蛛の糸でベッドに縛りつけられる。女王メロエが、死んだポレモンの胸から心臓を引きむしる。
(4)-2 エポード(第三歌)(続)
おれ(ルキウス)は目を覚ます。ありとあらゆる悪霊と、魔女たちと、夜の幻は消えた。そこは戦場で死んだポレモンの死の儀式の場、コリントスの城壁の下だった。おれは震える手でポレモンの胸を探った。だが彼の胸はカラッポで心臓がなかった。(これはまだロレンツォの夢の中だ!)
(5)エピローグ(終曲)
ロレンンツォが目覚める。ルキウス、その戦友ポレモン、テッサリアの魔女の女王メロエ、3人の魔女テイス、テライラ、ミュルテ、無数の夜の霊たち(スマラ)の夢は終わる。かたわらに新妻リシディスがいた。

《感想》
日常の現実(①①-2)、夢=《夢の現実》(②②-2②-3)、《夢の現実に登場した亡霊》が経験した現実(③)、夢の夢(④)が、諸現実の層として重なる。
①ロレンツォの現実、つまり日常の現実。(新妻リシディスと共有された現実。)
②ロレンンツォの夢の中に、ルキウス、その戦友ポレモンが登場する。夢=《夢の現実》であり、ルキウスの現実だ。
②-2 ルキウスの現実の中に現れたポレモンの亡霊。
③ポレモンの亡霊が経験した現実。
④ルキウスの夢の中に、テッサリアの魔女の女王メロエ、3人の魔女テイス、テライラ、ミュルテ、無数の夜の霊たち(スマラ)が現れる。
②-3 ルキウスの現実として、戦友ポレモンの死の儀式の場が描かれる。
①-2 ロレンツォが目覚め、《ロレンツォの夢》=《ルキウスの現実》から、ロレンツォの日常の現実(新妻リシディスと共有された現実)に戻る。そこに新妻リシディスがいて、ロレンツォに話しかける。

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