宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

吉田徹(トオル)(1975ー)『感情の政治学』2014年「序論」:政治を動かすのは物欲の合理性だけでなく、非合理な感情でもある!(a)「化」、(b)「間」、(c)「群」、(d)「怖」、(e)「信」!

2019-03-08 10:17:26 | Weblog
※題の補足説明: (a) 公的な政治参加の意識への「転化」⇒「化」、(b)非合理な(合理性と無縁な)「関係性」の感情⇒「間」、(c) 非合理な「群」的行為⇒「群」、(d) 「共同体」の存在の必要性を認識させる感情⇒「怖」(「恐怖」)、(e) 「信頼」という(物欲の合理性と無縁の非合理な)感情が社会つまり共同体を可能にする⇒「信」

(1)
①合理的算段から政治に参加するのでない!人はなぜ政治に参加するか?その意思はどこからくるか。政治への参加は、知識や合理的算段からでない。
《感想1》間接民主制で、政治への参加の中心は、選挙で経済的利害の実現に有利な政治家を選ぶことだ。この限りで政治への参加は知識と合理的算段にもとづく。
《感想1ー2》しかし政治への参加が経済的利害からでないこともある。つまり知識と合理的算段によらない政治への参加もある。

②政治はなぜどのように発生するのか?
《感想2》政治への参加が、経済的利害の合理的算段以外からも生じる。

③55年体制が崩壊し(1993年)、無党派層が主流となった。
《感想3》選挙結果がポピュリズム的になった。情報コントロールが重要。(スマホの時代には特に重要。)

④選挙で「勝ちそうな」候補者は世論調査でわかる。(「勝ちそうでない」候補者を支持する者の意思は、ストレートに政治に反映されない。)合理的に行動してもよい解がでるわけでない。
《感想4》合理的に行動する時、たとえば情報収集して、自分の選挙での敗北がほぼ確実に予測できる。この場合、合理的に行動したから政治的に良い結果(解)が出るわけでない。

⑤政治とは他者の存在を前提に「共同体にとって良いこと」(他人にとっても良いこと)を実現すること。
⑤ー2 当然、「自分にとって良いこと」も実現させる。
《感想5》日本で共同体は「国家」(「国民」)レベルでは成立している。(例ア)パスポートが他国に対して有効だ。(例イ)刑法、商法、民法、その他諸々の法律に違反すれば、罰せられるor経済的損失が課される。(例ウ)心情的には「反日」が多くの日本人から非難される。(例エ)共同体としての国家の意思は、「民主政治」の諸制度を通して決定され、強制される(権力=強制力の行使)。

⑥理性の王国で統治される政治は、もはや統治不能だ。
《感想6》政治が理性で動いたことなどない。経済的利害が政治参加の主要な理由だ。「自分にとって良いこと」を実現させるためにのみ政治に参加する。
《感想6ー2》政治とはいかに権力(強制力)をコントロール下におくかの戦いだ。強制力は法に従って行使される。だから強制力を持つ法をいかに自分の利害の実現に役立つようにコントロールするか、その覇権争いが政治だ。
《感想6ー3》今は主として選挙に勝つことで、法を通して(法の支配)、自分の利害実現のためのに権力(強制力)を行使できる。

⑦ある目標を自分以外の人びととの協働によって作り出していく過程が政治だ。
《感想7》政治の代表的なものは、「国家」を各人にとって最良のものとして維持していく過程だ。
《感想7ー2》「国家」を各人にとって最良のものとして維持していくとは、「国家」を、民主的諸制度を持つものとして維持することだ。

⑧私たちは「民主政治」という擬制、神話につきあう以外に今のところは手立てがない。
《感想8》暴力的な殺し合いがなく、生命の安全が維持されているのは、「国家」があるからだ。リバイアサンが必要不可欠だ。
《感想8ー2》国民一人一人の希望が完全に反映されることは、原理的にあり得ない。「十人十色」だから。
《感想8ー3》「民主政治」は国民一人一人の希望が完全に実現されるという理念をめざす過程的な仕組みだ。理念が永遠に実現・現実化できない点で「民主政治」は、「神話」(信じられた非現実)あるいは「擬制」(理念が現実化していないが実現されたとみなすこと)だ。
《感想8ー4》「最大多数の最大幸福」の実現をめざす現実的制度である「民主政治」が、「国家」(リバイアサン)の仕組みとしては最良だ。

⑨政治とは、ある目標を自分以外の人びととの協働によって作りだしていく過程(参照⑦)あるいは、政治とは他者の存在を前提に「共同体にとって良いこと」(他人にとっても良いこと)を実現すること。(参照⑤)
《感想9》リバイアサンとしての国家(共同体)の維持が、政治の目的だ。ただしこの国家は、今は民主的諸制度(選挙制度、法の支配など)を持つ。
《感想9ー2》民主的諸制度を持たない共同体(貴族制国家、専制国家)をめざす者たちもいる。
《感想9ー3》他者との協働あるいは「共同体」が成立しなければ、政治でなく、殺し合いだけがなされる。(「万人の万人に対する戦争」ホッブズ!)
《感想9ー4》殺し合いは、他者(敵)を排除し殺すか、あるいは利用可能なら他者を隷属・収奪することを目指

⑩政治には合理的な領域だけでなく、非合理的な領域がある。
《感想10》この社会では、普通、自分の利益つまり物欲(経済的利害)を優先させ、このために合理的に行動する。(Ex. フリードマンの新自由主義)
《感想10ー2》しかし政治には、物欲に反する非合理的な行為がある。

⑪政治における非物欲的な「非合理」な「感情」が注目されるべきだ。(10頁)Ex. 北海道の夕張市でコンパクトシティ化反対の動機は、非合理な感情だった。「毎日銭湯で仲間たちと会える機会がなくなる。」
《感想11》政治の動機は(ア)合理的な経済的利害(物欲)以外にも、様々ある。(イ)合理的な軍事的関心、(ウ)物欲的合理性を時に逸脱する非合理な権力・威信獲得的関心、そして著者が注目する(エ)非合理的な感情などだ。


(2)
本書『感情の政治学』の構成:政治における「感情」(a) 公的な政治参加の意識への「転化」⇒「化」、(b)非合理な(合理性と無縁な)「関係性」の感情⇒「間」、(c) 非合理な「群」的行為⇒「群」、(d) 「共同体」の存在の必要性を認識させる感情⇒「怖」(「恐怖」)(e) 「信頼」という(物欲の合理性と無縁の非合理な)感情が社会つまり共同体を可能にする⇒「信」

第1章 政治の条件
政治における「感情」の役割を論じる。「合理性」だけで政治をとらえると見えないものがある。
《感想12》ここで扱う合理性は、経済的利害(物欲)を中心とする合理性のみでなく、目的合理的行為一般である。政治は、「合理性」だけでは説明できない。「感情」(非合理性)も考慮されねばならない。

第2章 「化」:人はどのようにして政治に関わりを持つのか
私的な空間の政治的意識の萌芽が、公的な政治参加の意識へ「転化」する。これは「感情」の問題だ。
《感想12ー2》「共同体にとって良い」(他人にとっても良い)目標を、自分以外の人びととの協働によって作りだしていく過程が政治だ(参照⑤⑦)と、著者は言う。

第3章 「間」:関係性の政治で新自由主義の政治を置きかえる
人びとは政治にどのように、なぜ参加するのか?ここでのキーワードは「関係性」だ。
《感想12ー3》経済的利害(物欲)にもとづく合理性だけで、政治を説明できない。非合理な(合理性と無縁な)「関係性」の感情(Ex. 仲間意識)にもとづく行為が政治で役割を果たす。

第4章 「群」:群れて行動するということ
人びとがともに行動するとはどういうことなのか。人が群れて行動することが、政治で大きな威力を発揮する。
《感想12ー4》非合理な「群」的行為が政治で重要だ。「群」的行為は、経済的利害(物欲)の合理性と無縁で非合理的だ。

第5章 「怖」:恐怖はどこからやってくるのか
人びとの「恐怖」の感情の考察。「恐怖」は政治においてプラスの作用を及ぼす。
《感想12ー5》著者によれば、政治は、「共同体」の目標を目指しての他者との協働だ。「恐怖」が「共同体」の存在の必要性を認識させる。(Cf. ホッブスのリヴァイアサン)
《感想12ー5ー2》もちろん①経済的利害にもとづく他者との生存競争、②権力(強制力)の独占を目指す闘争、③他者の支配を目指す闘争、それら闘争における駆け引きも、政治だ。

第6章 「信」:政治で信頼がなぜ必要になるのか
政治(とりわけ民主主義)においては「信頼」が重要だ。
《感想12ー6》「信頼」という(物欲の合理性と無縁の非合理な)感情が、社会つまり共同体を可能にする。
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