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三味線弾きの日常

津軽三味線弾き唄い。
ときどき地歌・上方唄。
あるときは義太夫三味線。
三味の音を一人でも多くの人に届けたい。

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津軽三味線の始まり。

2015年07月05日 | 三味線のはなし

 

昨日は、即興と定型なんてマニアな話に突入してしまったので、
改めて仕切り直し。


三味線という楽器は400年の歴史があります。
琉球の三線(さんしん)が大阪の堺に伝わり、
琵琶法師たちによって、三味線という形に作り変えられていったそうです。
三線に比べて撥が大きくなったのも、その影響によるといわれます。

その後、三味線には、
地歌、義太夫、常磐津、清本、長唄、端唄、小唄など
様々なジャンル、流派が生まれ、
あるものは消え、あるものは現在にまで伝わっていくのですが、
津軽三味線が生まれたのは、ほんの百年ほど前の事。

そして、今のようなスタイルで演奏されるようになったのは、
さらに後のことで、せいぜい数十年の歴史しかない、
「伝統芸能」というには些か新しすぎるくらいのジャンルなのです。


📖本日の参考文献
大條和雄『絃魂津軽三味線』合同出版 1984


津軽三味線の創始者は「仁太坊」とされています。
「ボサマ」と呼ばれた盲目の門付け芸人の一人。
その歴史を明らかにしたのが、この本。

著者は、かつてボサマだった人たちを訪ね歩き、
彼らの話から、津軽三味線草創期の姿を描き出します。
創始者の仁太坊は故人であり、遺されたものは何もなく、
著者の想像による部分もあるでしょうが、
(初代竹山は仁太坊創始者説に疑問を呈していたようです)
ボサマの証言を集めた意義ある一冊。
民謡でもそうですが、
庶民の生活に息づいた芸能というのは記録に残りにくい。
気づいたときには、もう消えかけている。
著者自身が言うように、最後のギリギリのタイミングで
集めることができた貴重な証言です。

大切なことは、誰が始めたということではなく、
ボサマたちが弾いていたものだということ。
彼らの過酷な生き方を思うこと。
彼らのおかげで、今、私たちは津軽三味線に出逢うことができるということ。
それを忘れないこと。


この本は絶版のようですが、
図書館では読めると思います。
津軽三味線の歴史に興味がなくても、
音楽をやる人は読んだらいいと思う。
命がけで音楽をやるということ、仁太坊の生きざまに
私は、圧倒されて、ちょっと悔しくて、泣いた。