人間は、いくつになっても
努力次第で
ちゃんと成長、あるいは復活するものかもしれない。
大腿部を骨折してまったく歩けなくなった母
91歳と言う年齢で
病院はすっかりリハビリに消極的でした。
申し訳程度のリハビリが終了して
「歩行は困難。もし歩くのなら、
歩行器を使って、転倒しないように後ろに付き添いが付くこと
(ズボンの後ろを持ってあげてください。)」
「できればもう、車いすの生活を」
と言われて、退院して3か月。
今では、
部屋の隅っこに歩行器を追いやって
手すりのみで(数歩だったら、何も掴まらずに)
歩くことができます。
玄関の段差を昇るなんてことは
退院当時は考えられず
スロープを頼んで設置しましたが
今は、その段差も
「よいしょ!」と言って昇ります。
退院したばかりのころは確かに
病院から言われた通りでした。
しかし、1日数回のトイレまでの歩行や
デイサービス内での歩行、
迎えの車の乗り降りや
一日2回は行う「玄関の段差の昇降」が
母のリハビリになった、と思っています。
今、また以前のように母は元気になりました。
動作だけは、確実に緩慢になってきました。
そして認知症の進行も
ゆっくり、ゆっくりです。
そんな母が、デイサービスで
布巾を作ってきました。

縫物が得意だった母
たくさんの着物を頼まれて縫っていた母
和裁の師範の免状も持っていた母
針を持たなくなって10年以上経ちますが
「昔取った杵柄」とはよく言ったもの
縫い目もそろって
上手に縫えていました。
「かあさん、使ってくりょ」と言ってくれたけれど
もったいなくて使えないから
額にでも入れて
どこかに飾りましょう。
努力次第で
ちゃんと成長、あるいは復活するものかもしれない。
大腿部を骨折してまったく歩けなくなった母
91歳と言う年齢で
病院はすっかりリハビリに消極的でした。
申し訳程度のリハビリが終了して
「歩行は困難。もし歩くのなら、
歩行器を使って、転倒しないように後ろに付き添いが付くこと
(ズボンの後ろを持ってあげてください。)」
「できればもう、車いすの生活を」
と言われて、退院して3か月。
今では、
部屋の隅っこに歩行器を追いやって
手すりのみで(数歩だったら、何も掴まらずに)
歩くことができます。
玄関の段差を昇るなんてことは
退院当時は考えられず
スロープを頼んで設置しましたが
今は、その段差も
「よいしょ!」と言って昇ります。
退院したばかりのころは確かに
病院から言われた通りでした。
しかし、1日数回のトイレまでの歩行や
デイサービス内での歩行、
迎えの車の乗り降りや
一日2回は行う「玄関の段差の昇降」が
母のリハビリになった、と思っています。
今、また以前のように母は元気になりました。
動作だけは、確実に緩慢になってきました。
そして認知症の進行も
ゆっくり、ゆっくりです。
そんな母が、デイサービスで
布巾を作ってきました。

縫物が得意だった母
たくさんの着物を頼まれて縫っていた母
和裁の師範の免状も持っていた母
針を持たなくなって10年以上経ちますが
「昔取った杵柄」とはよく言ったもの
縫い目もそろって
上手に縫えていました。
「かあさん、使ってくりょ」と言ってくれたけれど
もったいなくて使えないから
額にでも入れて
どこかに飾りましょう。
いいですね!使わず額にでも入れてあげてください。
うちの母は洋服を縫っていました。私の背広もズボンも縫ってもらいました。腰椎圧迫骨折をしてから弱って、デイサービス、ショートステイ、そしてお決まりの特養。特養でヘルニアの手術、大腿骨骨折、誤嚥性肺炎・・・と施設に入っても入退院を繰返し、腰椎圧迫骨折から6年で、96歳で1年半前に亡くなりました。
どうぞ充分気をつけてあげてください。
私の一番関心事はやはりお母様のその後…最初の頃を思い出して、今日のお話を拝見して・・よき家族と過ごせているしあわせがこの作品に現れていますね。
まだまだ家庭で過ごして家族の愛をいっぱい差し上げて下さい。
そうですね。
なにぶんにも年齢が年齢ですから、気を付けてみてあげたいと思います。
お久しぶりです。
chidoriさまも体調はいかがですか?あまり無理をなさいませんよう・・・・・
母は、とても元気です。毎日のデイサービスも喜んで通ってくれます。スタッフの皆さんが、無理をさせず、母の好きなように過ごさせてくれるのが気に入っているようです。
根気があることは、認知症には難しいよ。
まだ少しは大丈夫ね。
私も頑張らねば!