『晴れた日には・・・』

日々の雑感を綴ります。

R君のこと

2018年07月04日 | 雑感
先日、音楽会の招待状をいただいて

卒園した子どもたちや保育園の子どもたち(幼児組が発表します)

そして、交流のあったお兄さんお姉さん達の発表を聴きに行ってきました。



小規模の保育園・小学校ですし

特認校(他地区からの通学が認められている)でもありますので

いろんな子どもたちが在籍していますが

みんなそれぞれ、一人一人の持ち味を生かした

素敵な音楽会となっていました。



2年前、かなり重度の発達障害のあったⅯちゃんは

自情障のクラスでお世話になるつもりで入学しましたが、

もうすっかり現級の一員として

目立つこともなく、過ごしておりました。

ご両親も大変驚かれ、また喜ばれておりました。




重度の知的障害のあるR君も同じです。



保育園に入る前の2年間を母子通園施設で過ごし

最後の一年を地元の保育園に移ったR君。


担当になったI先生の見事な保育カリキュラムで

1、おむつが外れ

2、語彙数が驚異的に増え

3、友達に働きかけるようなそぶりを見せ

4、同じ年長の仲間である、という自覚が生まれ

5、大好きなSちゃんとだったら手をつなぐ、

という、素晴らしい成長を見せました。



しかしながら、「就学」にあたっては

「養護学校が適当である」と委員会で判定されました。


知的な障害もさることながら、自閉症も併せ持っていて

一般の学校の「知障学級」でも無理だろう、

彼にとっては「学習する」ことそのものが困難だろうと

私も担任も思っていたので、

委員会の判定は、至極当然のこと、と思っていたのですが、

しかし、ご両親の強いご希望があって

地元の小学校に入学することになりました。




音楽会の彼は、

時には友達の助けを借りて、

時には担任の指示で

そして、担当の先生(彼専任の)と一緒に

奇声を上げることもなく、パニックになることもなく

そのクラスの中にいました。



ちゃんと、セリフを言い、

歌を歌い(歌詞を覚え)

鈴のリズムを刻み(担当の先生が指を折って教えていました。)

意気揚々と音楽会に参加していたのでした。



あの時の私たちの判断(入学先)は「養護学校」でした。

教科を勉強することも大事だけれど

彼にとっては「生きる力」を身につけられる「養護学校」が適している

そう判断した私たちでした。

けれどもし、養護学校に行っていたら

今のあの彼の姿はあったのだろうか?



やってみなければわからない

子どもの可能性、持っている力は計り知れない

周りの人間の働きかけでこんなにも変わっていく

そんなことを感じ、

あの時就学先を決めつけていた自分を恥じました。


同時に、学校の先生の工夫と努力に感謝しました。



子どもって、だから面白い。です。

コメント (2)
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