『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

中秋の名月

2016年09月16日 | その他


昨晩は中秋の名月であったが厚い雲に覆われて名月を拝見することが出来なかった。
我が家の月見飾りは萩の花とススキに月見団子と質素なお供え物であった。
ヨゴロの一昨晩二重原地区にある八幡さんの森では灯が点けられており例年のごとくに放生会が催されていたようである。

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皇太子殿下行啓紀念碑

2016年09月15日 | 旅行


別府地獄めぐりをする予定であったが雨模様のために中止となって暇を持て余していたので、バス車中から見えた観海寺の石碑を訪ねてみた。
現在は樹木が茂っているがかつては別府の街並みが一望できたものであろうか明治40年(1907)11月に後の大正天皇が皇太子時代に観望、大正9年11月に後の昭和天皇が皇太子時代に観望された地のようである。

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別府温泉

2016年09月14日 | 旅行

昨日から地域の人達と別府温泉に来ています。今朝は少し雨模様です。本日は地獄巡りを久しぶりにする予定のようです。

慣れないタブレットから送信しています。

 

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JR山陽本線・出張川橋梁

2016年09月13日 | 「廿日市地区」ぶらり


佐方地区の佐伯区境近くにあるJR山陽本線の
出張川橋梁で人と自転車、バイクのみ通れる低いガードである。当初は出張川の橋梁であったものを暗渠として踏切廃止に伴って一部を通行できるようにしたようである。
上り線側の橋脚の石積みは明治30年(1897)に山陽鉄道が開通した時に築造されたものであるが上部はコンクリート補強されている。

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俵もみ用の俵づくり④

2016年09月12日 | その他


単体の俵を作る作業は6俵でありこれらを仮に積み重ねてみた。前後を黒縄で亀の甲状に編んでいく作業があるが作業進んでいないので小休止として後日紹介する。
積み重ねた俵の正面に取り付けるための縄組飾りを藁縄で6個作成し最後に俵の正面に取り付ける予定である。

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俵もみ用の俵づくり③

2016年09月11日 | その他


俵の両端2ケ所を横縄で縛り縦縄を十文字に縛っていくのであるが、俵もみの俵であるので交差部分は見てくれの良い組縄とする。
十文字の縦縄を横繩を巻きながら反対側で仮に束ねて最後に飾り縄を取り付けるのであるがしばらくこのままの状態で作業を進める。縦縄を縛り終わると俵の中央部分を横繩で縛って単体の俵作業は終わる。

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俵もみ用の俵づくり②

2016年09月10日 | その他


俵コモを筒状にして中に養生の筒型を入れて崩れないようにし端を逆放射状に折り曲げて亀の子状に仮編みとする。養生の筒型を取り出して中にスクモを入れて端を逆放射状に折り曲げて亀の子状に編み、仮編みの端も本編みとする。
俵の形ができて両端を縄で縛っていくのであるが画像がなかったので以前に作った時のもので片側1か所ずつであるが今回は2ケ所ずつとした。

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俵もみ用の俵づくり①

2016年09月09日 | その他


先人達が実りの秋を迎え収穫を喜び合って氏神に奉納していた「俵もみ」を地区の子供会が伝承しており、先輩が作成した俵もみ用の俵は何十年も使用してきたので痛みが出てきており今年新調するべく作業を始めている。
まず最初に稲わらのあくたを取る作業から始めて自作のコモ網台でコモを編んでいく。今まで俵づくりの編紐はビニール紐を使用していたが今回はシュロ縄を使用してみた。俵もみ用の俵は6俵で組み立てられているので俵コモは6枚編まなくてはいけない。

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久地~戸山道しるべ碑

2016年09月08日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


昨日、沼田郡から佐伯郡方面に行き来する人達が休息していた榊峠の辻堂(仏舎)を紹介したが、古い道筋には道しるべ碑がみられる。(看板表示にある沼田郡は明治31年(1898)に安佐郡となっている)
上画像は安佐町久地の魚切橋バス停付近の三叉路にある道しるべ碑で昭和7年(1932)に建立されており、「戸山ヲ経テ佐伯ニ通ス」と刻されている。下画像は沼田町阿戸の戸山槙原バス停付近の三叉路に建立されており、「左ハ久地村道、右ハ広島道」と刻されている。「戸山ヲ経テ佐伯ニ通ス」道を通ると下画像の道しるべ碑のある三叉路に至る。

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榊峠の辻堂(仏舎)

2016年09月07日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


先日、岡山県湯原の辻堂を紹介したが安佐南区沼田町大字吉山の榊峠近く県道77号線沿いに近代の辻堂(看板には仏舎とあり)があった。
看板表示によると車の発達する以前の昭和初期に沼田郡から佐伯郡方面に行き来する人達のために篤志家が峠付近のこの場所に休息所を建てたようで、現在の辻堂は平成元年に改修されたようである。

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二井寺山極楽寺の梵鐘

2016年09月06日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


昨日紹介した
二井寺山最高所にある極楽寺薬師堂の手前にある鐘楼に懸けられている梵鐘で、鎌倉時代の文永9年(1272)に鋳造されており県の重要文化財に指定されている。
この梵鐘を鋳造した鋳物師について銘文は「大工依継」と読むのが通説となっている。今回訪れ銘文を見たが「大工依?」でこの字は仏教難字が使用されているのかも知れない。

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二井寺山極楽寺

2016年09月05日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


何十年ぶりであろうか
岩国市周東町高森にある古寺二井寺山極楽寺を訪れてみた。当山は聖武天皇から勅願所の称を賜り当初は24坊で後に18坊あったようで山内各所には坊跡が残されている。(下画像-当寺パンフレットより)
上画像は二井寺山最高所にある県重文の薬師堂で、江戸期岩国横山の白山神社境内にあった梅枝薬師堂を明治初年に極楽寺に移したもののようである。

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元平良小学校屋内運動場(講堂)

2016年09月04日 | 「廿日市地区」ぶらり


旧平良小学校の地は宅地化されておりかつての平良小学校を偲べるものは屋内運動場(講堂)のみであり、現在は平良体育館として使用されているが老朽化が激しい。
当ブログ主が平良小学校2年生の時に大きな木造の講堂が建築されており、昭和55年(1980)にこの屋内運動場(講堂)が建築されている。平成14年(2002)9月 に現在地に新築移転したために平良体育館として使用されている。

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JR山陽本線・屋田越架道橋

2016年09月03日 | 「大野地区」ぶらり


国道2号線の宮島台団地南口交差点から物見東1丁目に向かって行くとJR山陽本線下の屋田越架道橋がある。ガード向こうの屋田越集落は現在物見東1丁目と呼称されているようである。
下り線側の橋脚の石積みは明治30年(1897)に山陽鉄道が開通した時に築造されたもののようで、石積みの石材は長方形に加工してあり表面は割肌であるがコーナー部分のみ加工がしてある。上部は橋梁でなくコンクリートスラブに改築されている。

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葛蔓が描いたアート

2016年09月02日 | 「廿日市地区」ぶらり


平良小学校の校庭擁壁には法面で繁茂した葛の蔓が伸びて垂れ下がっていたものが風により左右にゆられて擁壁面に円弧状の文様を描いている。
現在蔓が垂れ下がっていないので刈り取られたものか以前に垂れ下がっていたもので描かれたのであろう。

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