それがどーした?
って話でも あるんだが
ま、自分の ”達成感” のために
before - after
九十近くなって認知症の進んだ母が、最期まで出来ていた
”社会的作業” は 庭の草取り。
毎日(たぶん)のように ”野良着”に着替えてせっせと除草作業を
やっていた。
ただ、作業が徹底していて(し過ぎていて)法面の養生に「適当に草を残す」
という事が出来無い、、 法はツルツル 雨が降ると土が流れて困った。
認知能力落ちても達成感、あったんだろね。
自分も草取りが 嫌いじゃ無い。
ま、こんなもんかな。
残す具合が 認知力 ってか?